苦心

中毒性のあるマイナス記事。 これは私の分人が書いた記事。 18になりました。

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太宰治の生まれ変わり

 今から話す内容の前提として「太宰治の生まれ変わり」とそう自分のことを考えている。理由は沢山あるけれど、ただ天才に見られたいなどという思いは少しも無い。合ったとしたら、私は生まれ変わりではないということだろう。考えは飛躍しているかもしれないが、もう少し詳しく話せばわかってもらえるんじゃないんだろうか。  私は、太宰治は自分自身の存在を嫌っていると思う。そして自分自身の存在を嫌っている自分に酔いしれていると思う。特に研究をした訳では無い。しかし私は太宰治自身と同じく、太宰治

    • 頑張りたくない。 もう終わりたいですね。

      • 自他

        自分は本当に自分が嫌いで、自分と関わってきた人間にも嫌悪感を持っている。 もちろん、素敵な人には出会っているし、なんだかんだ出会ってよかったなと思う人もいる。それでも自分と出会ったがために無駄な時間を過ごさせてしまっていると思うし、自分の人格を形成した親密な関係の人々には全く良い思いがない。 良くも悪くも他人に影響を受けて生きてきた自分がこのような感じであるから、より他人を受け入れられない。自分はもっと受け入れられない。 自分だけが突然変異して、他人はみな素晴らしい人間

        • 無知

          何も知らないことが救いになることって沢山あると思う。でも自分は知らないことを知りたいと思うし目を逸らしたくないとも思う。 必ず痛みも伴うし、思考が複雑になればなるほど選択を迷う。 偏差値の高い学校に行く人間に当てはまるのが、「勉強は必ず将来の役にたつ」という思考で。「高学歴でも落ちこぼれ」の存在を見てないし「正当に評価されない、その人の立場から見ても貰えない高学歴」の存在を知りもしない。 大抵みんな純粋な目で 「自分たちはいい生活を送れる」と思っている。「努力は絶対に報

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        太宰治の生まれ変わり

          自分にしかできない仕事

          先に言っときます。自分は学生なので仕事の諸々についてなんもわかってません。 その上で、自分にしかできない仕事ってあるのかなと考えてみた記事です。 最初に結論を言うと、 自分にしかできない仕事は無いと思います。 それは能力的な問題で、こんなに人がいたら自分以上にできる人間なんて大量にいる。だから、自分にしかできない仕事というのはもちろんないのです。 しかし、自分しかする権利を持たない仕事はあると思います。 この仕事は自分に回してください、この仕事は貴方に任せる。そして私

          自分にしかできない仕事

          書こうと思えば不格好な記事を、何千文字を何万と書けるのですが ただ17年生きた人間が自分の浅い経験を書くのは、あまり手が進まないものです。 でも何故か「初めてそんなふうに考えました」と言われることもあって、読む人を置いてかない記事を書きたいなと思う所存です。

          書こうと思えば不格好な記事を、何千文字を何万と書けるのですが ただ17年生きた人間が自分の浅い経験を書くのは、あまり手が進まないものです。 でも何故か「初めてそんなふうに考えました」と言われることもあって、読む人を置いてかない記事を書きたいなと思う所存です。

          世界に私だけじゃない理由(詩)

          世界に私だけじゃない理由 私の愚かさを知れる 世界に私だけじゃない理由 私の慈悲深さを知れる 世界に私だけじゃない理由 私が幸せを独り占めしないように 世界に私だけじゃない理由 私が悲しみを独り占めしないように 世界に私だけじゃない理由 それが私の生きる理由

          世界に私だけじゃない理由(詩)

          真反対の人間と付き合うメリット。 元から合わないやつだからしょうがない、と合わないことを許容できる。

          真反対の人間と付き合うメリット。 元から合わないやつだからしょうがない、と合わないことを許容できる。

          死ぬために生まれてきました

          普段ニコニコとした顔で人と関わるこの私も何度か自殺を試したことがある。でも死ぬ事は出来なかったし、それでこそ確実に死ねる方法を選ばなかったのだから勇気がないということなんだろうと思う。 私が家族にそういう話題を話した時、家族はみんな息を飲んだだろうなと思う。普通の人にとって『死ぬ』とは自分たちとは離れたところにあり、受け入れ難いものなんだと思う。家族には心配になるからそういうこと言うなと強く約束させられた。 私にとって死ぬことと生きることの違いが昔から全然理解ができなかっ

          死ぬために生まれてきました

          正直自分の書き方は人に好意を持たせられないと分かっているし、でも書きたいことを書くというのは気持ちいい。だから承認欲求はここでは抑える。

          正直自分の書き方は人に好意を持たせられないと分かっているし、でも書きたいことを書くというのは気持ちいい。だから承認欲求はここでは抑える。

          とことん合わない人間を探しなさい

          自分が分かりませんという人間は実はこの世に沢山いる。分からないことに気づいていない人間も沢山いる。社会という荒波に飲まれ、自己の感情を抑えることに慣れた人は徐々に自分とは何だったのかを忘れる。 自分が分からなくて、生きる理由もないし、もう死んでしまってもいいのではないかと思う人を私は沢山見てきた。 そういう人間に助言をしても、大抵が受け入れない。それは自分の求める言葉じゃないからだ。自分が分からなくてというなら、自分の感覚に耳を傾け聞こうとすればいいじゃないかと思うのだけ

          とことん合わない人間を探しなさい

          愛をどう測るのだ

          私は所謂メンヘラと言われる部類の人間かもしれない。最近そう思うようになった。恋人といわれるような人間ができ、そして愛されているのか疑問に思うようになる頻度が異常だと気づいた。 彼のひとつの言動で私は奈落に落とされる。花畑で手を繋いで歩くような日常とは真反対の場所に着いた時、なぜこのような状態になったのかを思案するのは当たり前であろう。 でもひとつ聞きたいのだ。 愛とはどうやって測るのだ。 愛されているのをどうやって感じるのだ。 別れずにいる、その状況が愛されているという

          愛をどう測るのだ