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短編小説、鳥
チチチチチチッ・・・
最初はうるさいと思った
いつからか聞こえてくる声
けれど男はいつの間にか、それがないのをなんとなく、つまらない、と思うようになった
時々聞こえていた声が、ある日ふっと聞こえなくなり
最初は静かになったと思った
一階のリビングの掃き出し窓の向こうに物干し台と三輪車、草が生えた庭に一本のオリーブの木があって、そこにいるのか、それともブロック塀のどこかにとまっているのか、ないていた鳥の声がしなくなった
男はただ静かになったと思ったけれど、代わりに硬いオリーブの枝が乾いた冷たい風に揺れ、塀の向こうの道路を走る、車の音が聞こえてきたり、通り過ぎる人の話し声が聞こえてきて、うるさいと思った
声は年配の女性、学生、いろいろだったけれど、ケータイで話でもしているのか、どれもけたたましい
男は鳥を思い出した
うるさいと思った鳥の声は、ただ、チチチとなくばかりだったけれど、それだけだった
チチチチチチッ・・・
いつの間にか、また鳥の声がするようになった
日が柔らかくなり、物干し台がサビ、三輪車に泥が付き、草が伸びた頃のことだった
戻って来たんだな
男はただそう思った
渡り鳥か何かなのか、鳥が戻ってきて、ないているようだった
男は愛鳥家でも自然好きでもなかったけれど、最初にうるさいと思ったそれは、気にならなかった
家にいれば鳥の声がする
時々聞こえてくる声は、そのうち男の生活のいいアクセントになった
これといって趣味もない男の生活は静かなものだ
男は遅い朝に、キッチンの冷蔵庫を開けてコーヒーをグラスに注いで口に含み、買っておいたパンをかじることがあったけれど、その鳥は朝が遅いのか、その頃になるといつの間にか、鳴き始めるようだった
そんな日が続いたある日、男はふと、リビングの窓を開けてみた
風が入ってきて、鳥の声が良く聞こえるようになった
思い立って、男は窓の外のほこりをかぶった小さな白いサンダルははかずに、はだしのまま外に出てみた
鳥の姿は見えず、声も止んでしまった
男が鳥の姿をやっと見る事が出来たのは、それからずっと後だった
庭にパンくずをまいてみても鳥は現れず、代わりにチュンチュン鳴くスズメが来るばかりだった。
男はなんとなくしゃくで、インターネットで鳥のエサ台を探してみた
以前、アメリカの田舎で庭先に木のエサ台を置いて、鳥を呼び寄せている家があった
母親や子供がパンくずやフルーツなどを置いて、鳥が食べている様子をじっと見ていた
それを思い出して、同じことをしてみようとした
木の棒の先に平たい板がついていて、エサを乗せておく簡単なものだ
せっかく買って庭に立ててみたけれど、やっぱりスズメが現れるばかりで、チチチとなく鳥は現れなかった
男は腹を立て、エサ台を引っこ抜いて庭の隅に放り投げた
何日かすると、また鳥はなくようになった
なんとなく腹立たしいまま、男はリビングのソファーに座って鳥のなき声を聞いていた
腹立たしいあまり、男は立ち上がって窓のそばに行こうとして、ソファーにつまずき大きな音を立てて転んだ
足の痛さに顔をしかめ、しばらく床にうずくまっていたけれど、チチチチという声がした
ふと窓の外を見ると、鳥が庭先に姿を現していた
鳥
薄茶色い小さな鳥
スズメでもインコでもない
ただの小さな薄茶色い鳥
人の不幸を見物に来る、腹立たしい鳥
ひとしきりをじっと見た鳥は、どこかへ飛んで行った
日差しがきつくなりはじめたある日、男はいろんなものを準備した
鳥かご、虫取り網、エサ入れ、水入れ・・・
リビングの窓一か所、ほんの少しだけ開け、他の扉という扉は全部閉めた
男は鳥の声がしているのを確認してから窓のすぐそばで大きな音を立てて、窓にほんの少し手をかけ倒れこんだ
10分、20分、30分・・・
男は倒れ続けた
どれぐらい時間がたったかわからない頃、カサッ、カサッ、という音がした
男はそっと窓を閉めた
男はやっと鳥を手に入れた
大格闘の末だった
部屋に鳥がちょんちょんと入り込んだとたんに窓を閉め、逃げようとした鳥を虫取り網を振り回し、リビング中、追い回した
最後はエアコンの上の隙間に逃げた鳥を網で振り落として手に入れた
スズメでもなくインコでもない
何かはわからなかったけれど、小さな、何のへんてつもない鳥だった
けれど捕まえて手のひらでぎゅっと握りしめたそれは、温かかった
男は鳥かごの鳥がなくのを期待したけれど、なくことはなかった
エサも食べず水も飲まず、かごの隅でただじっとしていた
暑さで食欲がないのかと思い、リビングのエアコンの温度を下げてもみた
鳥は震えるばかりだった
日差しが柔らかくなってきたころに舞い戻って来た鳥
暖かいのが好きなのかと思い、エアコンを止め窓を開けると、少しは元気になったけれど、それでもなくことはなかった
男は鳥かごの鳥をじっと見つめた
ただ、かごの中で鳥がエサをついばみ、なけばいいと思っただけだったのに
野生の鳥
エサが違うのかと思ったけれど、男の見ている前では、水さえ飲もうとしなかった
鳥のために毎日窓を開け、エサや水を新しいものと取り替えても、何日たってもその調子で、男はとうとうしびれを切らした
無理にでも口に餌を入れ水を飲ませれば、少しは元気になり、なくかもしれない
男がそうしようと思って鳥かごに近づくと、鳥は鳥かごの床に落ちていた
死んだかもしれない
ただ、鳥がなけばいいと思っただけだったのに、勝手に死ぬなんて・・・
男は一瞬、どうしていいか、わからなくなった
でもまだ息があるかもしれない
思いなおしてかごを開け鳥を出して手のひらに乗せると、鳥の体は少し暖かかった
男はそれに安心したけれど、羽根にフンがついていて男の手についた
男が一瞬、それに気が取られた瞬間、鳥が動き出した
男は逃がさないよう、ぎゅっとつかもうとしたけれど、鳥は首を激しく動かし男の手を噛んだ
痛さのあまり男が鳥を床にたたきつけると、鳥は窓の向こうまで吹っ飛び、羽が散り足が曲がった
それでもそのまま窓の外へ、よろよろと飛び出していった
庭のオリーブの木は風に揺れ、物干し台も三輪車もサビ、庭の草は枯れたけれど、男にはいつも通りの日常が戻った
塀の向こうの道を行く人は、相変わらずケータイを片手にしているのか話していたけれど、男にとってはそれがどこか遠くのことのように思えた
変わらない日常、何も変わらない
鳥かごはリビングに残ったまま、床に散らばた鳥の羽根はどこかへ行き、床に落ちた鳥の血はシミになったけれど
何も変わらないまま
チチチチチチッ・・・
いつからかまた、鳥の声がどこかで、かすかに男の耳に聞こえるようになったけれど
男はもう、振り返らなかった
後書き
この短編小説は10年ぐらい前、2010年頃に一度書こうとしたものです
庭にやって来た能天気な鳥を孤独な男が捕まえ、取り逃がす
それだけのストーリーで全部頭の中にあったのですが、どうしてかすぐに書き進められなくなって、それ以降、小説などの類を書くこともなくなってしまったのですが
最近、創作大賞の募集を見た時に、今なら短時間で書けそうな気がして、以前の書きかけの原稿を引っ張り出そうかと思ったのですが、それはやめて、もう一度書きなおしたものです
鳥を捕まえる手口、通りを歩く人の様子など、細かなところは今日、書きながら考えましたが、それ以外はストーリーも最後の言葉も10年前と同じ
その後の鳥がどうなったのか、男がその後、何をどう思ったのか
法律で野鳥は勝手に捕ってはいけないし、自然の鳥を捕まえようとするから・・・
なんて教訓めいた話ではないのですが
どちらかといえば、ちょっとした考え方の違い、みたいな
ちなみに作者の中ではこの話、セリフはなく映像と鳥の声、物音だけです
ずっと以前から頭の中にあった話、10年たちましたが、書き上げることができて嬉しいです
2022年1月30日