晩翠怪談 第11回 「案山子」「石垣の内」「連れ去り魔」
■案山子
兼業農家を営む折越さんが「気味の悪いものを見た」と言って、聞かせてくれた話である。
時節は数年前の秋口。そろそろ辺りが薄暗くなり始めた、夕暮れ時のことだという。
その日、折越さんは、自家の田んぼに植えた稲穂の生育を確かめるため、軽トラックに乗って近所の農道へ向かった。
田んぼに到着し、道端に車を停めて外へ降り立つと、黄金色に染まった稲穂が揺れる田んぼの遠くに人影が見えた。稲穂の中から上半身を突きだし、左右にふらふらと揺れている。
仔細をつぶさに検め始めてまもなく、それは生身の人ではなく案山子だということが分かった。だが、自家の田んぼに案山子など立たせた覚えはない。
案山子は桃色の作業着に、麦わら帽子という出で立ちである。目深に被った帽子の陰から覗く白い布製の顔には、黒い線で象られた目鼻口が描かれている。女を模した顔に見える。
得体の知れない案山子が自家の田んぼに立っていることも不思議だったが、それ以上に妙だと思ってしまったのは、ふらふら揺れるその動きだった。
辺りに風はそよとも吹いていない。それが証拠に田んぼの稲は、ずっしりと穂を垂らしたまま、わずかに動く気配もない。不審な案山子だけが右へ左へ、ヤジロベーのごとく揺れ動いている。
ひょっとして、田んぼの中に誰かが隠れて動かしているのではないか。
そうだとしたら、許し難い暴挙である。こっぴどく叱りつけてやらねばならないと思った。
稲の根を傷めないよう、慎重な足取りで田の中へ入り、案山子に向かって進んでいく。
一方、案山子のほうは折越さんが進み始めても、なおも左右に揺れ続けていた。
稲穂を掻き分けながら一直線に突き進み、ほどなく案山子から数メートル手前の距離まで至る。
稲に隠れた案山子の足元に向かって「おい」と声をかけたが、案山子は変わらず揺れ続ける。
「おい! いい加減にしろ!」
今度は声を荒げ、案山子の前へずかずかと詰め寄っていく。案山子はそれでも揺れ動いていた。
「貴様!」と叫びながら、案山子の足元に伸びる稲穂を両手でばっと払い広げる。
露わになった案山子の下半身は、地面から五十センチほど離れた宙にふわふわと浮かんでいた。
折越さんがはっとなって身を引いた瞬間、案山子が「ぼふふっ」とくぐもった笑い声をあげた。布地に描かれた女の顔がぐしゃりと歪み、いやらしい笑みを浮かべてこちらを見つめている。
折越さんが悲鳴をあげると案山子はふわりと身をひるがえし、ざわざわと鋭い音を立てながら黄金色に色づく田んぼのどこかへ姿を消してしまったという。
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