『イド・コーネリア』
イド・コーネリア【2018年4月3日 未明】
ある初夏の昼下がり。窓からまばゆい陽光が射しこむ、ぬくぬくと心地よい部屋の中。
わたしは茶色いフローリングの床にぺたりと座って、膝の上に開いた雑誌のページを捲りながら、目の前に座る誰かに向かって、にこにこと笑いながら語りかけている。
何を語りかけているのかは分からない。
目の前にいる誰かが誰なのかも、思いだせない。
けれども、とても楽しい時間を過ごしていることだけはよく分かる。
それはわたしにとって、何にも増して代えがたく、尊い日常だったはずのものだから。
そんな光景を茫漠と眺めていると楽しくもあり、懐かしくあり、愛おしくも感じられ、あの頃に帰りたいなとわたしは思う。
でも、どうすれば帰ることができるかなんて分からなかったし、もしかしたらもう二度と帰ることはできないかもしれないと、わたしは心のどこかで噛みしめてもいる。
それから心はどんどん悲しく、寂しくなって、目の前に広がる光景を見つめることが苦しく、つらいものになっていく。
暗転。
凄まじい怒気を孕んだ双眸で生者の視線を射貫く、この世ならざる美貌の女。
素性を巧みに偽りながら人の心に入りこみ、死ぬまで蝕み続ける異端の魔性。
死神の不吉さを彷彿させる、闇より黒いドレスに身を包んだ、異様に背の高い女。
仮初めの命を吹きこまれて彷徨う、おぞましくも哀れな少女人形。
人里離れた樹林の中で、見えざる悪意を放ち続ける古びた仏壇の山。
闇夜に暗く染まった家の中、生きる人形たちに追われて逃げ惑う窮地。
漆黒に支配された森の奥深くから、こちらへ向かって一直線に駆け寄ってくる何か。
そして蛇。
背中に無数の女の頭を背びれのように並べて生やした、とてつもなく巨大で邪悪な蛇。
得体の知れない光景が、意識の中でぐるぐると渦のようなうねりを描いて回り続ける。まるで深い霧の中、かすかに垣間見えるもののように、それは全てが断片的で朧だった。
これはわたしの記憶だろうか? それとも単なる悪い夢?
どちらとも判然としないし、どちらと考えても、なんだかしっくりこない。
怖いし、気持ち悪いからもうやめてほしいと思った、多分その直後だったのだと思う。
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