晩翠怪談 第37回 「忌み人形」
■忌み人形
「なんとか処分をお願いできないでしょうか――?」
2017年3月初め。南方ではそろそろ桜が蕾を開きかける、春到来の時節である。
寿子さんという女性客から、メールで人形処分の依頼を受けた。
彼女が暮らす実家には、古びた人形がたくさんある。市松人形やフランス人形を始め、尾山人形に博多人形など、種類は雑多で様々らしいのだが、そのうち何体かの人形から“霊的な冷たい念”を感じるのだという。
圧迫されるような“冷たい念”を感じる以外、これといった実害が生じたことはない。けれども寧ろ、その静けさこそが恐ろしく、昔から厭だったのだと寿子さんは語る。
人形たちの持ち主は、彼女の年老いた母親なのだが、数年前に認知症を患ってしまい、最近は意思の疎通すらままならない。この際なので処分しようと思い立ったそうである。
気味が悪いと感じていた人形の大多数は、どうにか自分の手で処分することができた。しかし、残った数体の人形に関してはだめだった。
人形に向かって手を差し伸ばすと、怒気を孕んだ凄まじい威圧感に気圧されてしまい、その場に身体が凍りついてしまう。無理にやろうと思えばできなくもなさそうだったが、こんな人形たちを単にゴミとして処分してしまったら、何か祟りでも起こるのでは……。
そんな不安が脳裏をよぎると、もはや下手なことはできなくなってしまった。
それで私に処分の依頼をしてきたというわけである。
寿子さんからメールが届いた当日、私はすぐさま承諾のメッセージを返した。
迅速な対応に彼女は心底安堵した様子で喜んでいたが、こちらもこちらで喜んでいた。人形の処分など、実に楽な仕事だからである。だから返事も早かったのだ。
年間を通して、こうした依頼はたびたび受ける。
床の間に飾っている人形から視線を感じるとか、人形の顔が最近怖くなってきたとか、古道具屋で年代物の人形を買ってきて以来、身の回りでろくなことが起こらないだとか、斯様にもやっとした理由で「処分をお願いしたい」という依頼が舞いこんでくる。
けれどもその大半が、依頼主の勘違いか思いこみである。
中には本当に何かが入りこんでしまったとおぼしき人形が持ちこまれる場合もあるし、杉原弥生の家にあったエケコ人形のように変則的な“難物”に出くわすケースもあるが、それでも決して数は多くない。
百体持ちこまれても、そんなものはせいぜい1、2体もいれば多いほうである。
書いて字のごとく、人の形を模しているのが人形だから、人がそれに感情の芽生えや魂の宿りを感じてしまうのは、別段おかしなこととは思わない。むしろ必然だろう。
しかし現実問題として世間一般が思うほど、人形に何かが宿るなり入りこんだりして、人に実害を及ぼすということは、実のところあまりない。
処分自体は依頼があれば請け負うし、引き渡された人形は問題があろうとなかろうと、仕事場の祭壇で手厚く供養をしたうえで一応、魂抜きの儀式もおこなうようにしている。大半はこれだけで済んでしまうため、私としては至極楽な仕事なのである。
寿子さんから依頼を受けた人形たちも、怪異らしい何かを起こしているわけではない。彼女自身が“霊的な念”を感じているというだけであり、単に主観の問題だろうと思う。
こちらが処分を引き受け、寿子さんが安心してくれた時点で、実質的には解決である。人形たちが送られてくるのを、のんびりしながら私は待った。
数日後の昼過ぎ、百サイズの段ボール箱が我が家に届いた。
さっそく仕事場に運びこみ、目張りされたガムテープをカッターナイフで切っていく。細く開いた蓋に顔を近づけ、中を覗きこんだ瞬間だった。
暗闇の中で丸い物体がぎょろりと動いて、こちらを見あげた。
反射的に顔をあげ、箱からばっと身を引かせる。
……なんだ、今の?
一瞬だったが、確かに見えた。目だった。
それも鮫みたいに真っ黒で感情のない、物凄く厭な感じのする目だった。
恐る恐る箱へと再度近寄り、蓋の箱をつまむようにしてゆっくりと開ける。
全開になった箱の中にいるものを見るなり、全身から一気に血の気が引いた。
箱の中には古びた人形が三体、仰向けになって収められていた。
全長四十センチほどの市松人形が二体と、博多人形の合計三体である。
まんなかに寝かせられた市松人形を見るなり、みるみる胃の腑が冷えていく。
……なんなんだ、こいつ?
長い黒髪。まっすぐ切り揃えられた前髪。仄かに赤みを帯びた顔。黒くて大きな両目。服装は桃色の着物に、光沢を帯びた真っ赤な帯と、若草色の帯締め。
染みやほこりで薄っすらと汚れ、全体的にくたびれた風情を醸しだしているこそすれ、外見だけはどこにでもあるような、ごくありふれた市松人形である。
だがこれは、そんな普通の人形ではない。
佇まいが、眼差しが、あまりにも生々しいのだ。
精巧に作られた人形を評する際に、「今にも動きだしそうな」という例え言葉がある。だがこの人形は、「絶対に生きている」と確信するほど、存在感が生々しかった。
まるでこちらに「生きている」ことを悟られないよう、じっと息を殺し、石のごとく身を固くしているように感じられる。
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