晩翠怪談 第22回 「川赤子」「釣り法師」「裏付け」
■川赤子
福島県で自営業を営む松棟さんが体験した話である。
週末の深夜、松棟さんは隣町の山間を流れる小川へ夜釣りに出掛けた。
目当ては鯰。周囲に草むらが生い茂る川辺の淵にポイントを定めて陣取り、釣り糸を垂らした。
やがて二時間ほどが過ぎ、時刻が深夜に至る頃である。
暗闇の中で突然、赤ん坊の泣き声が木霊した。
獣の声ではない。確かに赤ん坊の声だった。火がついたように泣き叫んでいる。
びりびりと鼓膜を震わす大声に、ぞくりとなって身が強張る。
声は草むらの中から聞こえてきた。しばらく様子をうかがってみたが、一向に止む気配がない。仕方なく怖じ気を振るわせながらも、声が聞こえるほうへと向かっていく。
丈高い青草を掻き分けながら歩を進めていくと、声との距離はみるみるうちに縮まっていった。懐中電灯の光を翳した草むらの地面には案の定、凄まじい声で泣き叫ぶ赤ん坊の姿があった。
なりは素っ裸。仰向けの姿勢で湿った草地の上に寝そべり、大口を広げて泣き喚いている。
どう考えても捨て子としか思えなかった。えらいことになったと蒼ざめる。
警察に通報するのはもちろんだったが、その前にこの子の身の安全を確保しなければと判じた。慌ただしくしゃがみこみ、赤ん坊を抱きあげるべく手を伸ばす。
すると赤ん坊は急にころんと寝返りを打って、うつ伏せの姿勢になった。
背中のほうから抱きあげようとした瞬間、今度は四つん這いになって草むらの中へ入っていく。巨大な蜚蠊を思わせる、それは凄まじく俊敏な動きだった。
得体の知れない赤ん坊は、なおもけたたましい泣き声を張りあげながら、丈高く伸びる青草をじぐざぐに揺らしつつ、草むらの彼方へ遠ざかっていった。
あとには呆然とした面持ちで身を竦ませる、松棟さんだけが取り残された。
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