見出し画像

晩翠怪談 第17回 「夕暮れ坊」「ごろん坊」「最期飯」

割引あり

■夕暮れ坊

 都内で会社務めをしている遠城さんが、小学三年生の時に体験した話である。
 秋の連休に両親と、東北の山中にある温泉旅館へ泊まりに出掛けた。
 部屋は四階の最上階にあり、窓の外には、背の高い杉の木が密生する山肌の下り斜面が見える。さらに杉林の向こうには、山間に広がる田畑と集落の様子が一望できた。
 夕方近くにチェックインを済ませ、部屋で一休みしたあと、みんなでさっそく温泉へ向かった。
 大きな湯船は心地よかったのだけれど、しばらく浸かっているとのぼせてきたし、飽きてきた。父に「あがる」と告げ、ひとりで先に浴場を出る。
 部屋に戻ると窓の外が一面、朧な朱色に染まっていた。
 無数の鱗雲がたなびく秋の西空に大きな夕陽が浮かんで、里山の素朴な景色を余すところなく赤々と染めあげている。
 幻想的な光景に胸が躍り、窓辺に寄って腰をおろす。都会育ちの遠城さんには初めて目にする、圧倒的な夕焼け模様だった。リアルな昔話の世界を覗きこんでいるような心地になる。
 ガラス越しの眼下に広がる光景に夢中で視線を巡らせていると、田畑と集落の向こうに聳える山のほうへはたりと目が止まった。
 西日を浴びて淡い朱色に染まる山の上から、ぼこりと何か、丸くて大きなものが突き出ている。視線を凝らしてよく見てみると、それは大きな人の顔だった。
 つるつるに禿げあがった頭に西日の朧な光を照り返す、頬肉のだらりと垂れさがった男の顔。
 寺の住職を思わせる顔つきだったが、その大きさは常人の比ではない。目算で二十メートルはあるように見える。まるで朱色に染まった海坊主である。
 唖然となりながらもさらに視線を凝らして仔細を探ると、顔の両脇には太くてごつごつとした指らしきものが八本、稜線をがっしりと掴む形で等間隔に並んでいるのも見えた。朱色に染まった巨大な顔は両手の指を山肌に掛け、山の向こう側から眼下に広がる里の様子を覗きこんでいるようだった。
 自分は夢でも見ているのではないだろうか。
 視界に映る巨大な顔に慄いていると、ほどなく山肌に掛けられていた指がするすると引っこみ、続いて顔のほうも陽が沈むかのごとく、朱色に輝く稜線の向こう側へと下がっていった。
 あとにはあんぐりと大口を開けて窓辺に固まる遠城さんの姿と、西日に赤々と照らしだされる里山の幻想的な光景だけが取り残された。

ここから先は

1,913字

よろしければサポートをいただければ幸いです。たくさん応援をいただければ、こちらの更新を含め、紙媒体の新刊を円滑に執筆できる環境も整えることができます。