晩翠怪談 第13回 「虚の茜」「鼠だけれど」「分離」
■虚の茜
保育士の紗代乃さんは小学一年生の頃、こんな体験をしている。
彼女が生まれ育った、宮城県のとある田舎町で起きたことだという。
秋の夕暮れ時、彼女は三歳年上の姉とふたりで、自宅の近所に延びる田んぼ道を歩いていた。
カアカアと鳴き声をあげて空を飛び交う鴉たちを目で追っていると、田んぼの向こうに聳える山並みのほうへ目がいった。
宵闇に翳って薄黒く染まる山々の稜線の少し上には、真っ赤に輝く夕陽が浮かび、辺り一面を鮮やかな朱色に染めあげている。
「綺麗だねえ」と紗代乃さんが言うと、姉も「うん、綺麗だねえ」と言って微笑んだ。
ところがそれからまもなく、姉は「ん?」と首を傾げ、怪訝な顔で夕陽を見つめ始めた。
「どうしたの?」と尋ねると、「なんか変」と答え、やはり訝しげな目で夕陽を見つめる。
言われてみれば、確かに紗代乃さんもなんとなくだが、変な感じがする。何がどう変なのかはうまく言い表せないのだけれど、なんだかいつもの夕陽とは違うような印象を受けた。
夕陽を見ながら一緒になって首を傾げていると、姉がふいに「あっ!」と叫んで目を見開いた。
「違うよ、紗代乃! こっち見て!」
慌てた様子で、姉が夕陽の反対側に向かって指を差す。
視線を向けた先には、田んぼの中に聳える大きな鉄塔のシルエットが見える。
その鉄塔のさらに向こうには、西の空を鮮やかな朱色に染める真っ赤な夕陽が浮いていた。
「あ、そうか……」
それでようやく違和感の原因が分かる。
夕暮れ時、この道を歩いている時にいつも夕陽が見えるのは、山々が連なる東の方角ではなく、鉄塔が聳える西の空のほうなのだ。陽は西に沈むのだから当たり前のことである。
だが、東の山の上にも陽は浮いている。あれは一体、なんなのだろう。
姉とふたりで振り返ったとたん、東の空に輝く夕陽は突然、目蓋を閉じたかのようにばちりと黒く染まり、そのまま山の向こうにすとんと落ちて消えてしまった。
あとはどれだけ待てど暮らせど、消えた夕陽が昇ってくることはなかった。
こんなものを見たのは後にも先にも、この時一度きりのことだったと紗代乃さんは語る。
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