晩翠怪談 第29回 「ぼん、ぼん、ぼん」「びしばしと」「ぼちゃり」
■ぼん、ぼん、ぼん
都内で会社勤めをしている小山内さんの話である。
8月の月遅れ盆に、彼は群馬県の田舎町にある実家へ帰省した。
帰省2日目の昼下がり、両親は親類宅へ出掛け、小山内さんは茶の間で昼寝をすることにした。
茶の間と隣接する仏間を隔てる襖は開け放たれ、座敷の奥に設えられた精霊棚が見える。
縁側の窓ガラスも開放され、時折吹きつける微風が、軒先に吊るされた風鈴を涼やかに鳴らす。外では庭木に留まったミンミンゼミが盛んに声をあげていた。
ふたつに折った座布団を枕代わりにして横たわると、眠りはすぐに訪れた。日頃の仕事疲れに、帰省の披露も重なったのだろう。意識が蕩けるような心地よい眠りだった。
すやすやと寝息を立て始め、しばらく経った頃である。
夢の中で「ぼん、ぼん」という音が聞こえてきた。
誰かが畳の上を等間隔に跳ねている。そんな印象の音である。音は絶えることなく、断続的に「ぼん、ぼん、ぼん、ぼん」と聞こえてくる。
なんの音かと思い始めてまもなく、目が覚めた。
ところが目蓋を開けても、音はなおも聞こえてくる。
何気なしに仏間のほうへ視線を向けると、精霊棚の前で着物姿の女が跳ねていた。
黒い髪を長く伸ばした若い女で、着物の色は深めの紺。女は両腕を胴の脇にぴたりと貼りつけ、畳の上を一心不乱に跳ねている。生白い裸足の裏が畳に付くたび、「ぼん、ぼん」と乾いた音が鳴り響く。顔に表情はなく、人形めいた虚ろな面持ちでひたすら跳ねるを繰り返していた。
ぎょっとなって身を起こしたが、女の姿は消えなかった。寝ぼけているのではないと確信する。
躊躇いながらも「おい……」と声をかけてみた。しかし、女は呼びかけに応じる気配すらなく、なおも畳の上を跳ね続ける。
そこへ外から車のエンジン音が聞こえてきた。反射的に目を向けて見ると、門口から宅配便のトラックが入ってくるところだった。再び視線を女のほうへ向け直す。
すると女の姿が消えていた。仏間の中は何事もなかったかのように静まり返っている。
まもなく玄関口にやって来た宅配便の業者から荷物を受け取り、再び仏間の中を検めてみたが、やはり女の姿は見当たらなかった。
ただ、女が跳ねていた畳の上辺りは、わずかに湿り気を含んで薄黒く変色していた。
奇妙なことにその日から、小山内さんと実家の家族は数日間、微熱に悩まされたそうである。
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