連作『解放』『邂逅』『接続』
解放【2016年11月5日】
確かに引き受けはしたけれど、やはり本音を言うなら、気乗りのしない仕事だった。
気おくれと躊躇いが綯交ぜになった、かすかな苦味を胸中に感じながら小橋美琴は電車の中で小さくため息を漏らした。
四日前、都内で暮らす四十代の男性から、出張相談の依頼を受けた。
もう三十年以上も前、重い病の末に亡くなった幼い妹の声をもう一度、どうしても聞きたいのだという。
いわゆる口寄せ、ないしは降霊に類する仕事だった。
二十代の半ば、都内を拠点に霊能師を始めて、そろそろ十年が経とうとしている。その間、仕事として口寄せは数えきれないほど執り行ってきた。けれども時期は、開業から三年ほどに集中していて、その後はほとんどおこなっていない。
ぼんやり思い返してみると、前回、口寄せをおこなったのは、確か四年前だったはず。依頼主は交通事故で夫を亡くした三十代の女性。突然の事故でこの世を去った夫に何か心残りになることはないか。自分に何か、伝え残しておきたいことはなかったか。
そんなことを知りたいから、話をさせてもらいたいと頼まれた。
あの時も美琴は気乗りしなかったのだけれど、依頼主の度重なる願い出に根負けして不承不承ながら、口寄せをおこなったのだった。
結果は、美琴が暗に懸念していたとおりになった。
懸念と言っても別段、口寄せ自体が失敗したわけではない。美琴の呼びかけに応じて、依頼主の亡き夫は美琴の身体に降りてきてくれたし、きちんと言葉も発してくれた。
それも、本来ならば当事者同士でしか分かり得ないような話まで、亡き夫は依頼主に語りかけるほど、饒舌に言葉を発した。依頼主は嗚咽をあげながら夫の言葉に耳を傾け、美琴の身体に乗り移った夫も、美琴の身体を使ってぼろぼろと大粒の涙をこぼし続けた。
口寄せ自体が成功か失敗かと考えれば、結果は大成功だったと言える。
けれども乞われて口寄せをおこなったことが正解だったか間違いだったかと考えれば、それは大失敗だったと、美琴は結論を下している。
この一件以来、依頼主はたびたび美琴に口寄せを依頼してくるようになった。
うっかり尋ねるべきことを忘れていたことがあったとか、夫がまだまだ話したそうにしていたからとか、電話口であれこれ理由を並べ立ててはいたけれど、それらはいずれももっともらしい建前に過ぎず、本音は単に夫と再び話をしたいだけなのは明白だった。だからやんわり依頼を断り続け、彼女が諦めてくれるのを辛抱強く待った。
四度目のやりとりで、ようやく彼女からの音信はなくなった。以後は他の依頼もない。だからあれから彼女がどうしたのかは分からない。
潔く気持ちを切り替えてくれたのならいいのだけれど、もしかしたら他の霊能師なり霊媒師なりを頼って、夫を呼びだし続けているのかもしれない。
そんなことを考えると、ますます胸の苦味が増して苦しくなった。
口寄せや降霊という行為、それ自体を否定する気はない。
それらを生業とする者たちを、批判したりするつもりもない。
けれども美琴自身は、過去に数えきれないほど口寄せをおこなってきた結果として、これらが依頼主に及ぼす有用性や効能について、懐疑的な見解を抱かざるを得なかった。
“死”とは本来、そんなに軽い別れではない。この世とあの世を隔てる壁も、そんなに薄いものではない。
人はかならず亡くなるものだし、どんな出逢いにも別れの時はかならずやってくる。
“死”という別れは本来、絶対的なものであり、もたらされてしまえば決して避けては通れぬ不可避の事象である。
死とは避けるものでも目を背けるものでもなく、受け容れるべきものだと美琴は思う。
受け容れるために人は、葬儀という形で故人を送りだし、年忌という場で故人を偲び、供養という行為で故人の冥福を祈り、長い時間をかけて気持ちを少しずつ整理していく。
故人との対話は心の中にて、互いに声なき声として、墓前や仏前でおこなうべきもの。それが自然であり、必然であり、健全な営みであると美琴は考えている。
けれども人は、ないものねだりをしたがる生き物である。
彼岸へ渡ってしまった故人と、もう一度だけでも言葉を交わしたい。
せめて声だけでも聴いてみたい。
斯様に願う人々は、この広い世間にどれだけいることだろう。
たくさんいるというのが答えだし、美琴自身も幼いみぎりに両親を亡くしているから、人の情としてそんなふうに願ってしまう気持ちも、実は痛いほどよく分かる。
ただ、そうした願いが「口寄せ」ないしは「降霊」という手段を用いて実現した場合、人はどうなってしまうか。
その答えを美琴は、霊能師を始めてわずか三年の間に、身をもって知ることになった。
結果は、依頼主が口寄せという行為に依存してしまっただけだった。
依頼主の求めに応じ、美琴の身体を介して現れた故人との再会に、依頼主は甚く驚き、感激して、涙に声を詰まらせながら、故人との対話を実現する。
けれどもそれは、あくまで初めのうちだけに過ぎない。
乞われるままに二度、三度と口寄せをおこなっていくうち、依頼主と故人の間で取り交わされる言葉や態度にはしだいに慣れが生じ始めて、やがて緊張感を失い、大した時を置かずして、最後は気安く、気軽なものへと成り果てる。
そのやりとりにはもはや“死者と言葉を交わす”という厳粛さは、微塵もない。
あるのは生と死という、本来ならば絶対的な隔絶を意味する壁が取り払われた状態で、気安く世間話に興じる生者と死者。
そして、まるであの世とこの世をつなぐ通信機のごとく、依頼主からぞんざいに扱われる美琴自身の姿だけだった。
単に仕事と割り切るならば、乞われる限り、とことん付き合えばいいだけの話だった。
けれども自分の仕事で、そんな不誠実なことはしたくなかった。
依頼主の心がダメになっていく行為に加担するなど、美琴には耐えがたいことだった。だから美琴は開業から三年ほどで口寄せには区切りをつけ、以後は新たな依頼が舞いこんでも、ほとんど引き受けなくなってしまった。
人のためになるとはなんだろう。
霊能師として人の力になるとは、人の救けになるとはなんだろうと、美琴は考える。
簡単に答えをだせる問題ではないけれど、少なくともそれは、依頼主の欲望を無判別に叶えることではない。それだけははっきりと答えが出ている。
続ければ続けるほど、この仕事はつくづく難しいものだと実感させられる。
自分がよかれと思って引き受けた案件が、逆に依頼主の不幸につながることもあるし、こちらが理不尽な被害を被ることもある。
昨年夏にも美琴は依頼主との距離感を見誤り、結果、とんでもない目に遭っている。進退窮まり、救いを求めた宮城の拝み屋には、「自己満足で仕事をするからこうなる」「できもしない仕事を引き受けるからこうなる」などと、きつい言葉も浴びせられた。
ただ、その言葉はどちらも正鵠を射てもいた。
以来、美琴は厳に気を引き締め、以前よりも仕事を慎重に選び、依頼主ともいっそう慎重に関係性を図るようになった。
けれどもそうした一方で、美琴は長い間、忌避し続けていた口寄せの以来を引き受け、こうして依頼者宅へ向かってもいる。
それはどうしてか。長年営み続けた霊能師という生業に、自分なりの答えをきちんとだして、綺麗に幕をおろしたいからだった。
昨年の十一月、美琴は思うところがあって海を渡り、しばらく台湾で暮らしていた。
台湾に渡ってまもなく、好きな人ができた。
相手はふたつ年上の台湾人。気性がとても穏やかで、あまり多くは話さない人だけど、いつでも美琴のそばにそっと寄り添い、美琴の話に笑顔で耳を傾けてくれる人だった。
我ながら信じられない気持ちだったけれど、彼との仲は急速に深まり、帰国後も関係は途切れることなく続いて、ますます深みを増していった。
そして互いに深まりきった思いは、やがて結婚という願いに実を結ぶことになった。
美琴は今年いっぱいで日本を離れ、今後は台湾で彼とふたり、新しい暮らしを始める予定だった。
いろいろ思うところもあったし、大いに迷いもしたけれど、考え抜いた末に霊能師は悉皆(しっかい)、廃業することに決めた。
ただ、やめるにしても悔いのない形で幕をおろしたかった。
最後の最後まで仕事と真摯に向き合いたかったし、たとえ“自己満足”と思われようと、依頼主が持ちこむ相談の一件一件に最善の形で寄り添い続けていたかった。
口寄せの依頼を引き受けた理由も同じだった。
依頼主が依存したり、心得違いをしたりしてしまわないよう、以前も事前に注意は促してきた。けれどもそうした一方、自分がどれだけ辛抱強く、依頼主の心に響くよう、それらを説明できてきただろうか?
改めて振り返ってみると、自分自身にも至らない面が多々あったようにも感じられた。
ならばもう一度、この仕事から身を引く前に、きちんと答えをだしておきたかった。
果たして口寄せは、依頼主の心を救えるものか。
それともやはり、堕落させてしまうだけのものなのか。
四日前に依頼を受けた際、あるいはこれが自分にとって、最後の口寄せになるかもしれないとも感じ、美琴は心を奮わせた。
ただ、こうして依頼主の許へ向かう段に至ると、やはり過去に見てきた依頼主らの記憶が心の奥から勝手に蘇り始め、胸の内が苦く、苦しくなっていく。
果たしてどんな結果になるものか。
全ては自分しだいと思いながらも、目的駅へと電車が近づいていくにつれ、美琴の心はしだいに強張り、重たいものになっていった。
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