そもそも「良い写真」って?写真好きな男子高校生が写真について本気で考える話~
こんにちは。
カメラを趣味に4年目となる男子高校生の僕です。
4年目ともなれば流石にカメラの知識量は増え、
必然的にのめり込んできました。
周りの人からも自分の撮った写真を褒められることが多くなってきて、その度に嬉しくてより写真にハマっていくのです。
そんなある日考えました。
(結局、「良い写真」とはなんだろうか?)
実はよく聞くのがこのテーマ。
また、多くの人が「自分はなぜ良い写真が撮れないんだろう…」「自分の写真下手だなぁ…」と
なる人も多いのではないでしょうか?(経験談)
「この写真は良い写真だ。」
「この写真はダメな写真だ。」
そもそも、その基準っていったい何なのか?
今回は、「良い写真」について考え、まとめていきます。
多種多様な写真のジャンル
そもそも、一括りに写真といっても写真には当然、ジャンルというものが存在します。
大きく分類して、・記録用写真・感性的写真・現代的写真 etc...
さらにそこから被写体に分けていきます。
・人物(ポートレート)・風景・鉄道/飛行機・料理
・小物・ファッション・レース etc...
すると、まず大まかな分類として何なのか。被写体は何なのか。何を目的としてるのか。等々、ジャンルというのも無限に近くあるわけです。
すると、少なくとも分かることがあります。
それは、
「そもそもジャンルや目的が多種多様なら、一貫して良い写真なんてものは存在しない。」
ということです。
例えるなら、
ある所に電車を撮ったカメラマンが二人いました。
1人はいわゆる鉄道オタク、撮り鉄と呼ばれる人。
1人は撮った写真をPhotoshop等使い、夢のような写真を合成する。Photoshop使い(魔法使いとも)と呼ばれる人。
2人ともカメラについて詳しく、こだわりを持っています。
しかし、撮り鉄はPhotoshop使いの、あまりに現実離れした鉄道写真をみて、
「こんなのは邪道だ。そもそもここまでくると写真じゃない。」と批判しました。
Photoshop使いは撮り鉄の撮った無編集の鉄道写真をみて、
「撮って出しだなんて、なんて雑でつまらない写真なんだ。レベルの低い写真だ。」と批判しました。
これは流石に大袈裟に表現しましたが、
つまり、「そもそも目的もジャンルも違うのだからお互いの写真を比べることは不可能であり、比べること自体間違っている」ということです。
撮り鉄は電車自体を求め、Photoshop使いは見栄えの良さやファンタジーさを追求した。
結局、「自分の求める写真(目標)に、どれだけ近づけたのか」が「良い写真」なのではないかと思うのです。
しかし、明確に「良い写真」の判定・基準が事前に決められている場合は別です。
例えば構図、明るさ設定、画質、 等は基本的にどのジャンルにも定石というかテンプレというものがあります。
これらが適応しないのは個人の感性的、芸術的写真ぐらいなのではないでしょうか。
感性的写真というのは造語()で、あえてブレッブレの写真を撮ったり、白飛び、白潰れした写真を撮ったり、なんでもないものを撮ったり、
完全に自分の好きなように、決まり事無しで撮る写真のことです。
いわば「完全な自由」です。
逆に、どのジャンルにも多く共通している決まり事、「良い写真の撮り方」として代表的なものは
白潰れ(白飛び)していないか、 色味は?構図は?
等が挙げられます。
もしくは、明確な目標(こんな写真が撮りたい!等)
がある時だと思います。
何においてもそうですが、明確な目標があればアドバイスを貰ったり、自分で勉強したりして自分の中での目標に近づく…上達しやすくなるのだと思います。
僕も現在、インスタグラム等で見た写真家さんを目標にしています。
すると、やはり初期の頃と比べ、より「目標」に近づいていると感じれます。
まとめ
結局、「良い写真」というのは何を目指すのか、
自分の中で「良い写真」とは何か、また、自分の「写真のスタイル」を決めておくのが大切なのだと思います。勿論それは人それぞれで、三者三様です。
結局、「楽しんだもん勝ち」なのかもしれません。