30代、最後の夜に
もう数時間後に迫った明日、1月3日に40歳の誕生日を迎えます。
したがって、この数時間は30代最後の数時間ということになります。
私にとって30代は前中盤は病気(うつ病)のため、辛く、険しく、それまで出来ていたことが全然出来なくなる、無力感を味わう時間でした。ただ、それすらも後になって思えばということであり、当時は薬の副作用のせいもあったと思いますが、何も覚えていないという感覚、生きていないという感覚、ずっと眠っているかのような感覚、etc...が強く、正直、当時は苦しかったことは覚えていますが、記憶が混濁していて非常に曖昧になっています。
カミさんに当時のことを聞くと、かなりとんでもない発言、暴言もあったようで、随分と迷惑をかけたようなのですが、聞いてみても覚えていないという始末です。まさに病のなせるわざというところでしょうか。
カミさんには言動でも迷惑をかけましたが、経済的にもかなり迷惑をかけました。なにせ、働けなくて収入がないのに、投薬、入院等で治療費はかかる。生活費も当然かかる。発病してからまともに働けるようになるまでにカミさんにウン百万もの負荷をかけてしまいました(少しづつ返していっています)。
うつ病、だけでなく、働けなくなる病気のリアルってやつを存分に味わったのが30代前中盤だったと言えるかもしれません。
そして、30代後半は、題すれば『復活と奪還』でした。
健康も、仕事も、合気道のコミュニティも、集中力も、自信も次々と取り戻していきました。何もかも健康の奪還が最初のトリガーでした。そして、犬を飼うために家を買い、保護犬のゆきとるかを引き取って家族が増えて幸せがブースト。さらに、ずっと心に秘めていたNPO支援の仕事に従事することがかなって幸せがバースト。そんな感じ。
終わり良ければすべて良し、の観点でいえば、私の30代はとても良い30代だったといえます。まっすぐに人の目をみていいきれます。病をしたことで理解できるようになった人の気持ちや概念、思考の理路はかけがえのない財産になっています。二度とうつ状態にはなりたくないですが、うつから得たものは本当に大きなものです。
数時間働くのも無理、ましてやフルタイムなんて・・・という時期を経ている私にとって、毎日働けているだけでも幸せですし、加えて自分のやりたい仕事をやれているというこの贅沢。素晴らしい家族(犬含む)と友人、仲間にも恵まれ、ちょっとできすぎなぐらい恵まれていると思います。
40代はさらに自己を充実させると共に、30代で得た知見を1人でも多くの人に共有、展開して役立てていただこうと決意しています。私は、人は自己を含めた周囲の人達の幸せの総量を少しずつでも積み増ししていくことが生きる目的なのじゃないかなと思っていて、そのためにできることを行っていきたいです。
30代最後の日、カミさんの実家の親戚の集まりに顔を出しました。帰り道、以前びっこをひいていたと思っていたお義父さんの歩行がかなり危ういレベルにまで悪化していてまともに歩けない(なかなか止まれない、曲がれない、痛む)ことを目のあたりにしました。
若い頃に大病したお義父さん、その影響が経年と共に大きくなってきているようでした。カミさんの手を握って悔しそうに歩くお義父さんの姿を後ろから追いながら、「間に合ったのか?」との自問が止められませんでした。30代の長い間使い物にならなかった間に、時は残酷に過ぎてしまった。
思わず亡くなったお義母さんに祈っていました。
「どうかお義父さんを護ってください」
間に合わせますから。必ず。
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