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ムダを入れ込む(ムダの必要性について)
ムダの必要性についてお話します。
私は以前の note に書いたように、タスクシュートという技法でタスク管理、時間管理をしています。タスクシュートとは「一日の1分以上かかる全ての行動を書き出し、分単位で見積もり、実測値を書いていく」というものです。
朝(本当は寝る前の方がいいらしいけど)、その日の全タスクを洗い出して見積ると平気で午前0時を超える計画ができてしまったりします。睡眠時間は死守するのが人の道ですので、仕方なくあれこれタスクを削ったり、翌日に回したりします。また、休憩をちゃんと取るのも人の道なので休憩も計画します。
しかし、そこまでやっても忘れがちなのが、計画のバッファをみること。大体、2時間の見積(計画)に最低6分はバッファをとるべきとされていますが、既にあれやこれやとタスクを削っており、そこに2時間に6分程度のバッファも入れる余裕がないことがタスクシュートを実際にやってみるとよくわかります。
結局、バッファを入れられずに見切り発車する日も多いです。しかし、実際にタスクを消化していく段になって気づくのです、バッファがないと息が詰まるということに。
あらかじめ予定していたタスクでもない、割り込みタスクでもない、休憩でもない、何をするわけでもない(が、次のタスクに進む気にはどうしてもなれない)ぼーっとする時間、迷う時間などなどは計画上はムダな時間です。しかし、この時間を削ってしまうとおそらく精神がやられる直感があります。
単純に見積より時間がかかった場合にもバッファは必要なのですが、そうでなくても、計画されない時間というものがなければ人間はおかしくなる。だからバッファは絶対に必要なのです。
バッファを無くした、ムダを一切排除した行動(計画)は、空間に例えると空きスペースが完全にゼロの物でいっぱいの物置のような部屋となります。効率は最大化されていますが、そこで生活することはできないのです。
それと同じことが時間とタスクに関しても言えます。バッファゼロの計画は効率は最大化されていますが、そこで生きることはできないのです。また、バッファゼロでは変化に対応することができません。これは物でいっぱいの部屋が模様替えができないこととイコールです。変化するためには余裕、バッファ、ムダが必要なのです。
※ このあたりのことは トム・デマルコの 「ゆとりの法則 - 誰も書かなかったプロジェクト管理の誤解」に詳しいので興味のある方はご一読ください。
ムダを排除せず、ムダを計画に入れ込む。ゆとりを持って変化に対応できるようにしておく。それが大切という話でした
※ そのため、なくてはならないと思っているタスクを泣く泣く削るということを断行する必要があることをタスクシュートは明確に教えてくれます。おすすめ。ちなみに私はクラウド上でタスクシュートを行える Taskchute Cloud を使っています。