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【雑記】人権とか人権とか




同性婚を認めないのは「違憲」 & 国連から「ジェンダー平等」へ差別撤廃の勧告


10月30日! マリフォー(結婚の自由を全ての人に)訴訟、東京高裁! 私達にとってはとても嬉しい「違憲」判決がでました。
これで札幌にひきつづき、高裁で2つ目の「違憲」が出たことになります^^

(誤解のないよう言っておくと、他都市も「違憲」と「違憲状態」でおおむね一致しているので、今のところ合憲が出たのは大阪地裁だけです。)
(大阪での控訴審も進んでいます。……大阪高裁の判決はまだこれからだ!)


福島みずほさんが、SNSでいちはやく「おめでとう!」と反応してくれていましたね。
動画での分かりやすい解説つきで「もう国会は知らんぷりはできない!」憲法に反している法律を放置することはできないんだ、と言ってくれています。



10月は『旧優生保護法』をめぐり、不妊手術を強制された被害者らへの補償法案も成立しました。これも本当に本当によろこばしいニュースでした。
病気や障がいを理由に、本人の同意なく堕胎・不妊手術をするなんて、やっぱり当時から憲法違反だったとようやく認められて、法整備が進んだのです。

憲法は法律よりも重いのです。当時の社会でどんなに「合理的な理由がある」とされていたって関係はなかった。それを旧優生保護法の件が証明してくれたように、私は思いました。

つまり、今後は同性婚も……! いよいよ、いよいよ立法へと動く可能性が高い……!😆✨



私は、私自身がレズビアンだからというのもありますが、差別や人権に対するニュースが『他人事』ではなく……常に『自分事』だという感覚が強いほうだと思います。

先日も怒り狂った出来事がありました。
東京高裁の違憲判決に対して、読売新聞が、ものすごく否定的な社説をだしたのです。

(マジで腹立つからあまり広めたくもないのですが、仕方なくリンクも貼ります。)

この記事では、あたかも
〝当時の常識で想定されていなかったことは憲法違反にならない〟
かのように書かれていますが、その理解は完っっっ全に間違っています😠

新聞なんだから、デマを広めないでほしい……。

それにこの記事では、東京高裁の判決文がどの条項に『違憲』を出したかをきちんと伝えていません。
憲法14条 & 憲法24条2項、このどちらともに反しているという情報をちゃんと報じないのは、意図的なことなのでしょうか? 判決文は公開されてますから、誰でも読めるはずですが……。


しかも、あろうことか、「世界人権宣言でも婚姻は『男女』のものと明記されてる」と、世界人権宣言を利用して語っているような部分もあります。
この理解も、間違いです!😠

まっっったく人権を理解する気がないんだな?!ということが逆に分かりますね。

『世界人権宣言』は、全ての人がここに記されている権利を享受しなくてはいけないと強調するためのものであって、対象を狭く定義するような読み方をすること自体がおかしい😑

国連も2010年に、
性的指向や性自認に関わらず、世界人権宣言に記されている全ての権利を享受すべき〟
という念押しの声明を出しています。


選択的夫婦別姓だけではない


あと、国連(女性差別撤廃委員会)からも、また勧告がでましたね。別姓制度に関しては4度目でしたか。

「選択的夫婦別姓がないことは女性の権利侵害である」
導入をはやく!と、再度ハッキリきっぱり言われました。

また、選択的夫婦別姓だけでなく、

『同性婚を認めることなど性的少数者の人権』
『避妊薬(アフターピル)や中絶へのアクセス…SRHR(体の自己決定権)』

これらについても、日本の今の状況が強く批判され、差別をこれ以上放置してはいけない!と勧告を受けました。


日本ではまだまだ誤解されていることですが、

差別と人権の問題に関しては、「社会の合意」を待つものではないのです。やらない理由として理解や合意をもちだすこと自体、そもそも最初からおかしい。

差別とはなにか、人権とはなにかの前提理解を持っていないから、ずっと的の外れた議論が続いてしまっています。


差別とは何か?


差別とは何か? 難しいことですが、『差別のしくみ』などの著作がある憲法学者の木村草太さんは、以下のように語っています。

〝まずですね、差別かどうかを自分だけで判断出来ると思っている時点でアウトということですね。何故あなたが差別かどうかを自分だけで判断出来ると思ったんですか?という問いを立てなきゃいけない。〟


差別とは、特定の人種や性別などの属性への、蔑視的な感情を増進していく行為です。

感情を自分だけで判断しようとしてたら、そりゃ当然ながら全て自己正当化できてしまうわけで、それが社会や他者を害するとは気づけないわけです。
したがって、指摘されるまで気づかないのはむしろ当然のことだ、と、語られています。


「理屈では正しいと分かるけど、俺の感情が追いつくまで待ってくれ……!」
こんな風に語る人もよく居ますが、あなたの感情のことはあなたの問題だけど、なぜ社会にまで『STOP』を言えると思っているのか? そこが不思議です🤔

あなたが立ち止まって考えていたいのは自由だけど、他人にも「立ち止まれ」と言っていい訳はない。
他人にだって、自分を侵害されない権利があるわけですよね。


〝よく「昔ならこれくらいのことは許された」などと言う人がいますが、昔も今も差別は許されていません。
(中略)
だからといって、「差別かもしれないと考えると何もできなくなる」などと過剰に恐れる必要もありません。差別は人間の感情に基づくもので、特定の人に否定的な感情を持ってしまうのは誰にとっても自然なことです。〟

〝だからこそ大切なのは、差別感情を公の場に持ち込まないように注意すること。万が一、差別的な行為をしてしまったときに、指摘してもらえる関係性を、日頃から周囲の人と作っておくことです。〟

引用元〝働く私たちが考えるべき「差別されない権利」。憲法学者・木村草太氏に聞く|リクルートワークス研究所〟


差別を自分で判断することはできない。だからといって過剰に恐れる必要もない、と語られています。

他者に指摘されることを恐れず、素直に聞けるような環境や関係性を、普段からつくっておくことが大事だということです。

絶対に間違っちゃいけない!とプレッシャーを強めるのは逆効果で、むしろ気軽にそういう話をする、話ができる関係を維持するのが大事。

「そうなんだ」「知らなかった」を、お互い、素直に言い合えるような環境づくりに精を出していきましょう、ということですね。


まだ他人事なのだろうか……。


選択的夫婦別姓も、もちろん大事なトピックスですが、国連からの勧告についてはそっちにばかりニュースの枠を取られてしまった感じがします。

女性やマイノリティの人権への勧告も、もっと関心をもって見てもらえたらいいのになぁ……と思いました。

人権の問題は全ての人にとって『自分事』であるはずです。でも、まだまだ『他人事』なんだろうなと、世間との温度差を感じてしまいます。

まぁでも、私も、自分自身がマイノリティ要素をもっていなかったり、精神疾患もちだったりしなければ、これほど政治や社会への関心は強くなかったでしょう。

自分にとって死活問題だから、必死になったわけだし、自分の経験があるからこそ他人が訴えていることに対しても「大変だ!」「一緒に考えよう!」という気持ちになれる気がしています。

話しやすい環境づくり、風通しのよさ。これらはどんな職場にも人間関係にも、必要なことですよね。
それと同じで、人権問題のことも、本当はみんなの日常と繋がっているのです。

みんなで、何でも言いやすい環境づくりをしようよ! という風に、どうにか広めていけないものだろうか……🤔

私が話をすることで他人も話がしやすくなったらいいなぁと、日々思っています。
こういうことを、たまに真面目に書いておくのもいいよね。今回はそういう記事でした。



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