くすぐり遊びについて|わらべうた『てってのねずみ』
くすぐりはとてもポピュラーな触れ合い遊びです。
「くすぐるそぶり」だけで、くすぐったさを想像して笑ってしまう子どもって可愛いですよね😊
くすぐりは、身体感覚を予想したり共有したりする遊びです。強い一体感がうまれるコミュニケーションでもあります。
しかし反面、脇や首などのデリケートなゾーンを触る(触らせる)ことには、不快さ、恥ずかしさが常に付いてきます。くすぐりは〝快と不快のバランス〟が重要な遊びでもあるのです。
どんな関係の子どもに、どんな場面で「くすぐり」をやっていますか? やってあげたいですか?
今日は、わらべうたの『てってのねずみ』を題材に、くすぐり遊びについて書いてみました。
てってのねずみ 歌詞とうた
『てってのねずみ』は石川県のわらべうたです。
子どもの腕をつたい上るような動作をしてやり、最後「こちょこちょこちょ」で脇をくすぐります。
ねずみが柱をのぼってきて、お米を食べてしまう……。要は、体を建物のように見立てて、ねずみが侵入してくるぞ…!と歌っている、なんともユニークな歌です。☺️
ねずみ返しなんていう弥生時代の建築も、歴史の授業で習いましたね。(のぼってくるという事だよなぁ!)
「こちょこちょこちょ」を唱えにしない(⚠️歌のメロディのままで伝えてね!)
最後の「こちょこちょこちょ…」のところが変わってしまいやすいので、注意してみてください。(☝の♬音声ファイルで歌いながら説明しています。)
最後までメロディを歌うこと! 最後を自己流にアレンジしてしまうと、なんとなく遊び自体も「そこで変なことをして笑かしてやろう」というように、目的が変わってしまいやすいです🤔
くすぐりは基本的に、くすぐったさを予期して笑うものです。
(ちょっとした意識の違いで、知的な行為になるか、おふざけっぽくなるかが変わります!)
そもそも〝くすぐり〟への反応って何なのでしょうか? この遊びの目的は??
発達について確認すると、今一度、遊びの目的が整理しやすいのではないでしょうか。
くすぐったがる反応は、生後6か月から
くすぐったがる反応がみられるのは、だいたい生後6か月以降だと言われます。「焦らし」を含んだくすぐり……つまり「くすぐるそぶり」を見せるだけであっても、刺激を予期して笑う反応を示します。
【日本】乳児と養育者におけるくすぐり遊びの初期発達 - 研究室 (石島 このみ、2020)
前回、私のnoteでは〝いないいないばあ〟で笑うのは生後5~6か月からで、それは記憶と予想の能力であると書きました。
〝くすぐり〟で笑うのも、予想が活発になっているからだといえるでしょう。
また、相手の「顔や手」を注視する、他者の視線を追って何をしようとしているのか注意を共有する、といった成長も見られます。
歌がつくと、さらに……?
「にほんばしこちょこちょ」のような歌付きのくすぐり遊びへの理解は、早くて生後7か月くらいから見られるそうです。
歌がつくということは、また新たな要素が面白さとして追加されます。
「肌にふれられる感触と、耳から聞こえてくることが、関係あるみたいだぞ?」という、複数の感覚が一体になった気づきですね。
そうして、歌と動作がいつも同じ長さでぴったり終わる!ということに気づくとき、よく見る・よく聞くという気持ちと力が引き起こされます。
「最後にまた、コチョコチョ…ってやつがくるぞ? やっぱり、きた!」
これが予測と期待の面白さです。〝いないいないばあ〟の記事でも書きましたが、基本は「いつも同じ繰り返し」だということですね。
もちろん呼応的な働きかけ・変化が必要なときもありますが、それであっても子どもの反応をよく見てコミュニケーションをとることが主目的にあります。(大人がおどけるのが大事なのではない、ということ!)
くすぐりの需要が高いからこそ……
生後100日目頃から、赤ちゃんは母親の顔を見て笑うようになるといいます。笑顔は養育者の意欲を大いに高めてくれます。
反応があると「意思の疎通ができた!」という喜びが生じますし、養育者の自信に直結します。生後100日までは母子をけっして孤立させない、と決めている母子シェルターもあるくらいで、笑いという反応の重要さがうかがえます。
生後6ヶ月以降のくすぐり遊びになると、身体感覚の共有があるために、さらに強い疎通感・一体感が生まれます。(自分がくすぐったいと感じる部分があってこそ、相手にもやってあげられるわけで、それが身体感覚の共有です。)
より活発な反応がひきだせることから、養育者側も思考をこらして成長していきます。「もっと赤ちゃんと関わろう!」という思いが強まるわけですね。
伝える側に求められること
「触れ合いのわらべうたを学びたいです」というリクエストを、私達の会でも本当によくいただきます。
ただ、需要が高いからこそ、伝える側に求められる慎重さもあると思います。
(母子だけでなく、保育士と子どもなど、さまざまな関係のなかでくすぐり遊びをするという前提で書いています。)
最初に書いたとおり、くすぐりは〝快と不快のバランス〟が重要です。「ちょうどよい加減」の見極めができる関係でこそ、楽しく遊べるものなのですが、これを言葉で伝えるのが案外難しいのです。
気をつけたいところ
例えば『てってのねずみ』に関して言えば、
■ 「こちょこちょこちょ」を唱えにしないこと(不要な力を入れないこと)
■ 脇の下はデリケートな部分、触れられる「不快さ」への理解 (回避する反応が見られたらやめること)
などなど、注意点があり、遊びを紹介するときには合わせて伝えなければと思います。
また、歌の選択肢は他にもあります。
例えば、『にほんばしこちょこちょ(バンソコはって)』は手のひらの上にしか触りませんので、触れ合いの導入としてはこちらのほうが易しい遊びです。
そういう意味で、わらべうたの比較の仕方、選択の仕方を伝えていく……!ということも、重要かもしれません。
合わせて参考にしたい【知恵を育てる唄】|遠野での考え方について
阿部ヤヱさんが伝えた〝遠野のわらべうた〟では、くすぐりについて何と言われているでしょうか?
・くすぐりは、おむつ替えの時の遊びで、体をキュッとしめる感覚を伝えていた。
・少し大きくなると、おじいさんがわざとしつこく『こちょこちょ』をしてきた。(恥ずかしいを教えていた?)
・よそのおじいさんが女の子をからかう時は、実際に女の子の体には触れないで、くすぐる動作だけをしていた。
などなど、『知恵を育てる唄』のなかに興味深い記述があります。
科学的研究と、伝承の子育てとは視点が異なるようで、違った〝くすぐり〟の意義がここに言語化されていると思います。
おそらくは、他の地域でも似たような「暗黙のルール」があったのだと思われますが……。
ヤヱさんの素晴らしいところは、この暗黙の部分を、上手に言語化してくれたところだと思います。
今までならば「なんとなく」で引き継いでいけていたようなたくさんの暗黙の部分が、今は「はっきり」言語化しないとなかなか伝えていけません。
これは家族の形態や、チーム制での子育ての在り方が変わったことからも明らかです。
社会のなかで組織立てた子育てをしていく上で、丁寧な共有をするには、言語化が不可欠だからです。
(遠野のわらべうたについては、若輩の私ではなかなか語りきれませんが、ぜひ一度、ヤヱさんの著作を読んでいただきたいです。私ももっと勉強します。)
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