インディジョーンズの老いと今作のラスト、『それでも人生という旅路は続く』 感想と考察
旅への出発が、消極的だった。
今までは、探究心と冒険への誘惑、日常との葛藤、むずむずして気がはやるのを止められない気持ち、帆を広げたら強風が吹いてきて一気に『ときめき』の船が動きだす、そんなスタートだった。
だが今作では、退職した日に殺人犯として疑われて、踏んだり蹴ったり。インディは仕方なく旅へと出発する。
もうそれくらい背中を押される要因がないと、インディは動き出せないのだ。あぁ、年老いた、と思った。
思えば教室のシーンも示唆的だった。
彼の講義は、過去作であれば女子生徒で色めきたっていて大盛況だったが、今作では寝ぼけ顔でやる気のない生徒がぽつりぽつりと着席するのみ……みんな心の中は「月面着陸」のニュースでいっぱいで、インディの解説する地中海美術やシラクサの戦いは魅力が色褪せたものとして映る。
時代は1969年へと進んでいる。インディはただ歳をとったわけでなく、イケメンの自信家だったかつての調子を失っていて、様子がおかしい。あきらかに自信を喪失している。
妻との別居・息子の死去が説明だけさらりと流され、主人公としての彼が今までにない種の〝欠落〟を抱えていることが提示される。
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……そうしたインディの消極的変化が、ストーリー展開に注ぎ込まれた映画だったが。終盤の展開の盛り上がりに合わせて、最後にインディ個人としての感情も一気に解き放たれた。
名付け子『ヘレナ』のギリシャ風の名前がどこかで匂わせていた通り、インディは大好きな古代ギリシャ世界に辿りついてしまい、「もうずっとここに居たい」と思ってしまうのだ。
旅の始まりで胸をときめかせなかった男が?
終わりに来て胸をときめかせている!
この構成にはグッときた。
インディにとっては、ここがやっと心ときめく〝旅の始まり〟なのだ。
ラストがスタート。
これは皮肉にも『クリスタル・スカルの王国』のラスト描写とも通じている。あれは帽子を再び手に取ったインディの姿で〝旅はここから〟を予感させるという明るい描写だったが。今回のこれは、あまりに、あまりに消極的だ。
この対比がエモいし、エグい。
「ここに残りたい」がこうなっては全てを諦めることだと、瀕死のインディは分かっている。
──もう家に帰っても誰もいなくて寂しいだけ、それなら、もう、〝人生のご褒美〟をもらって幕引きにしてもいいじゃないか。ここには生涯愛したギリシャがある。
そんなインディの心の声が聞こえてきそうだ。(号泣。)
しかし、そうは問屋が卸さないのだ。
ぶん殴られて拳で解決されるのは、まさしくインディジョーンズ流!
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……そうして次に目覚めたら、年老いたインディはアパートに戻ってきている、着古したパジャマ姿で。傍らにはヘレナがいて、さらに妻マリオンがやっと登場する。
彼は「体中が痛い」と言う。マリオンは頷く。
「私も痛いのよ」「でもここだったら痛くないかも」「どうかな、キスしてみて?」
あーーーーーー!!
最高のセリフだ。
つまり、これが、生きるという事なのだ( ; ; )
痛くても苦しくても、生きていく。誰もがいつかは年老いて、だんだん動けなくなっていく。「私もよ」と言ってくれる人が隣にいるかもしれないし、いないかもしれない。
一瞬、痛くないと感じられる時があるかもしれない? でも、やっぱり体中が痛むかもしれない。
取り返しのつかない傷だってある。後悔も。
……それでも僕たちは生きて、人生という旅をしていく。
これなんだよなぁーーー。(感無量。)
これが、映画だ( ; ; )物語が私たちに必要な意味だ。
この美しいラストが、物語を旅してきた我々へのご褒美なんですよ( ; ; )(落ち着けなくてすみません。)
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映画を観る意味に、通じるように思った。
どこか人間の普遍性を、人間とは何か、という問いと答えを、物語を通じて教えてくれる、それが映画の持つ大きな役割じゃないか。この2時間で、物語にどっぷりと浸ることの、ひいては主人公に自分を重ねて2時間を懸命に生きることの、価値じゃないか。余韻のさめない頭でそんなことを思った。
インディが歳をとることに意味はあったのだ。それを教えてくれたのだと分かったとき、この映画に深く感謝していた。
(私が生まれた時からこの映画シリーズはあり、家族団欒のひとときの大事な象徴でもありました。あれから自分は大人になり、映画が好きになり、何度も見返したインディジョーンズを不朽の名作と思うようになりました。)
私達はこうしてこれからも、インディ・ジョーンズとともに生きていける。
インディ・ジョーンズの冒険シリーズ、ありがとう。