わらべうた『盆ぼん』と、私の思い出
こんにちは! もうお盆も終わってしまいますが、せっかく『盆ぼん』を歌ってみたところですし、解説記事を書きます!
↑ここで音源が聴けます。
盆ぼん 東京・深川のわらべうた
今回歌った『盆ぼん』は、東京・深川のわらべうた。
子どもたちが歌いながら練り歩くための唄で、どこか古調な調べです。
古い盆礼の姿のなごりだと思われますが、私達のよく知る盆踊りとはずいぶん趣きが違うようです。ただ街中をずーっと歩いていくだけ……。
今の夏祭りや、◯◯音頭とイメージするような盆踊りではなく、京都で八月七日に行われた『小町踊り』に近いと思われます。同系の行事が各地方にありましたが、時代とともにほとんど消失してしまいました。
長野には、現存、唯一と思われる『松本ぼんぼん』が残っています。
横に隊列を組むのが東京流!
先日、この唄を採譜された尾原昭夫先生に話をうかがったところ、
「横に隊列を組むのが、東京の特徴」とのこと。
横一列に?! 驚きましたが、その後の流れがさらに驚きでした。
道を占拠するように進んでいき、前から違う一団がきてかち合わせると(「花いちもんめ」みたいな感じ?)、そこから喧嘩遊びが始まるそうです。面白そう😂
お互い譲らずに、負けじと、自分たちのわらべうたを声高らかに歌う。
だからなのでしょうか? 『盆ぼん』にはもっともっと歌詞が長くつづくバージョンもあって(録音を聴かせていただきました!)、歌の終わりが分からなくなるほど、ずっとずっと歌い続けるようでした。
負けたと思いたくないから、歌い続ける、歌い続けるうちに即興の歌詞がつぎたされて、また長くなる……そういう事かもしれません。
よう子の思い出
私が初めてこの唄をうたったのは、おそらく小学5〜6年の頃だったと思います。
『盆ぼん』は、町田の合唱団で、定期演奏会のオープニング演出で歌いました。
夏の合宿中、ずっと歌い続けて、九月の演奏会で皆さまの前で披露しました。
この演出がまた思い出深いのです。
〝まっくらな舞台の上に、ひとつのロウソクの火が灯る。どこからともなく歌声が起こる。〟
〝だんだんと、火と、歌声とが、数を増していき、隊列をなして歩きだす。〟
〝ムードが最高潮に達したところで、火がふっと消えて、真っ暗に……。〟
〝一拍置いて照明が点いたら、壇上に並んだ団員と指揮者が挨拶して、演奏会のはじまりはじまり!〟
こういうイマジネーションの世界を先生が思い描き、私達にも共有されて、当日の実演が叶いました。
しかし、実際には『火』は使えないとのことで、(施設側からすると、火事のリスクはできる限り避けねばならず、許されませんでした😭)
火のように揺れて見える〝ロウソク風のライト🕯️〟で代用したのだったと思います。
実際の東京の『盆ぼん』で火が使われたかは分かりませんが、(前述のように〝花いちもんめ〟形式の歩きだったようなので…)
小町踊りをはじめとした、地方の盆うたでは、子どもたちが提灯🔥をもって歩いていくという景色がありました。
長野県松本市では、たすきがけをした女の子たちが駒下駄を履いて、紅いほおずき提灯をさげて、夕暮れの街を練り歩く……という、昔ながらの盆祭りがまだ残っているそうです。
〝火〟にふれる機会
大熊進子先生はよく、「近頃の子どもは〝火〟にふれる機会がない」と嘆いていました。
お仏壇のない住宅が増え、煙草を吸う人も減りました。煮炊きも風呂も、ガスどころかIH(電気)になっているお宅があります。そうなったら、本当に日常で〝火〟を見る機会がない……。
「火の怖さを知る機会がなくなってしまうから、火のありがたさを知る機会もない。火とともに生きてきた『暮らし』についての想像力が乏しくなっていく。」
そもそも、古来から〝火〟とは神聖なものでした。
家のかまどには火の神様がいて、家とはすなわち、〝火〟のことでした。家を分けるということは、〝火〟を分けることでもあった……。
私がそういうことを知ったのは、大人になって、たまたま民俗学の本を開いたからです。それは大熊先生とわらべうたを遊んだ日から、ずっとずっと後のことでした。