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第14回 「キャリア」重視を標榜する虚構社会 -コロナ禍のピンチを人材獲得のチャンスに-

1.キャリアに注目する理由
 近年、労働者の職業キャリア(以下「キャリア」という)について注目されることが多い。能力や立場に合わない仕事をさせることはキャリアの侵害になるのか、育児休業の取得等により長期の休業・休職をした労働者へのキャリア保障はどうあるべきか、副業・兼業を容認することは労働者のキャリアの向上が見込める、などといったものである。背景には、「生き方」の多様化が進む中で、人間的な成長や経験を積むことの重要さが認識されてきたことがあるのかもしれない。終身雇用が一般的であった昭和の時代には、労働者のキャリアは1つの会社で終わることが普通であり、職歴やそこで得た知識・技能を意識する必要性は低かったものの、転職や定年後就労が盛んになってきたことが、キャリアに注目する風潮を生んでいるのであろう。何をしてきたかもしくは何ができるか、もはやキャリアは振り返るものではなく、次に進むための原動力であるとの考えが浸透してきたのかもしれない。

2.会社がキャリアを軽視する背景
 もっとも、会社側において、労働者のキャリアに関心を抱くかというと、そうでもないというのが現実であろう。欧米諸国に比べると職種ごとの分化が進んでおらず、資格等を必要とする専門職でない限り、キャリアを限定して求人を行うことやキャリアに応じた待遇を用意するといったことは少ない。配転・出向が一般化している日本の会社の場合、労働者は、様々な業務をこなすことをもって一人前になるとの考えが強く、職業人になるというよりはその会社の会社員になることが目標とされる。したがって、キャリアにおいては、いかなる職業歴を有するかだけが重要であり、その職業歴においてどれほどの知識や技能を身につけたかはさほど問題とされない。背景には、仕事のやり方や組織の運営方法には各会社に独自性があり、前歴は意味を持たないか、もしくはかえって弊害をもたらすとの考えがあるのではなかろうか。多くの会社においては、未だ新卒採用が中心であるが、色がついていないほうが自社の色に染めやすいとの意識があるものと思われる。キャリアを積んだとしてもそれを活かす機会が少ない社会は、全体として大きなロスを生じさせているとは言えないだろうか。日本の企業は、労働生産性が低いと言われて久しいが、キャリア軽視も1つの原因になっているのではないかと思われてならない。

3.キャリアを斟酌しない法の現実
 そもそも、日本では、法律も個人のキャリアを重視する立場を取っていない。雇用保険法は、「失業」について、「労働の意思及び能力を有するにもかかわらず、職業に就くことができない状態」(第4条第3項)をいうとしているが、そこでいう「意思及び能力」については、以前の職歴などは考慮されない。したがって、例えば教員やタクシー運転手など、何らかの資格をもって職業に従事していた人についても、基本手当を得るための条件となる求職活動をしたか否かの判定においては、あらゆる仕事の可能性を探ったことを求められる。
 さらに、労災保険法においても、業務上等に起因する障害に対する障害〔補償〕給付は、当該障害の状態のみに依拠して判断されるものとなっており、例えば、プロのピアニストが業務上の事由により小指を切断して職業生命を絶たれたとしても、保険給付は、他の労働者の場合と同様、小指切断に係る障害等級に照らして支給されるに過ぎない。行政実務執行の合理性を優先した結果であり、致し方ない側面があることは事実であるが、日本の社会においては、「キャリア」を積み重ねても容易にリセットされてしまうことを表す象徴と言えるかもしれない。

4.企業が求めるキャリアの内容
 会社が労働者のキャリアを尊重する機運に乏しい理由は、会社のやり方に独自性があるというだけではない、次のような事情もあるのではないかと思う。
 第1に、一流企業の場合は特に顕著であるが、幹部職員には当該会社特有のプライドやマインドが共有されており、他社においての経験などは一段下に見る傾向が生じる。業界ごとに暗黙のランクが設定されていることは多く、キャリアの評価は、学校の偏差値さながらに、どのランクに勤務していたかを問うものとなりやすい。労働者の能力評価にはブランドが付きまとい、客観性は失われがちとなる。
 第2に、日本の職場は調和を求める空気が特に強く、労働者のキャリアに期待されるのは、能力よりも調和を乱す人間でないことの証明であることが多い。非正規雇用として転職を繰り返す人については、心身に何らかの問題があるのではないかと疑心暗鬼となり、育児を契機に退職した人については、自分の生活を優先する人ではないかとの疑念を抱く。有能とは言えない管理職の場合、採用者について、能力が無くでは困るが、あり過ぎても困るといった人選をしがちであり、これもキャリア否定の結果をもたらす。
 第3に、キャリアへの期待は、度々前歴に伴う付加価値であり、能力そのものでないことが多い。公務員の天下りあっせんは制限されているものの、実際には、人間性に問題がなければ末端に至るまで再就職に困ることはない。必ずしも能力があるとは思えない公務員であっても、役所との関係において風通しを良くする役割くらいは担えることから、重宝されるという構図である。その他、社会の風潮に呼応するために女性の取締役を入れておく、大口の取引先に勤務していた人を採用するなど、そのニーズは多様であるが、純粋に職業上の経験値を評価したものではない例は多い。

5.キャリア否定に繋がる短期雇用の履歴
 もちろん、広い意味でのキャリアとは、職業的経験値だけを指すものではなく、前歴が会社にとって有用な地位にあったというだけでも十分に価値があるとの見方もできよう。したがって、公務員試験を突破してその地位を得ていることもキャリアであり、また、職務能力は低くとも地域活動をしていたために人脈があるなどの特徴があれば、有用なキャリアであるといえる。
しかしながら、こうしたキャリアは、職業上の経験によって身につけられるものではないため、少なくとも若年者の目標にはなりにくいという問題があろう。キャリアに注目する意義は、職業的経験値を高めることによって能力が向上し、会社への貢献も可能となり、また転職も有利になるとのイメージにあると思われるが、日本の社会ではそのような力学によって事が運ぶことは少ない。欧米においては、様々な経験を積んでいることはプラスに評価されることが多く、転職の際には詳細な履歴書を提出することとなるが、日本ではそうした職業歴の羅列はむしろマイナス評価されることが多い。有期雇用においては5年を超えると無期への転換を求める権利が生じるとされているが、多くの場合会社側はそれを求めないため、5年未満で契約は打ち切られることが多く、職業歴の数は増えていくことになる。

6.能力を見極めるためのキャリア評価
 非正規雇用労働者の立場しか選択しえなかった新卒採用失敗組ないしは早期転職組は、多くの場合、再出発が困難なものとなる。会社に留まらず、日本の社会は、一旦キャリアに傷がつくと、当該傷の部分を注視し、リスクを取らない選択に向かいやすい。新卒採用の可能性が低かった就職氷河期世代には、相対的に能力が高い人が求職市場に多く残っているはずであるが、コロナ前の人材難の時期においても、ほとんどの会社はそこに手を付けようとはしなかった。
 コロナ禍の影響により失業者が増えることが予想される。多様な経験をしてきた人材のキャリアがリセットされてしまうとすれば、大きな社会的損失であると言えよう。人生において、全く異なる仕事にチャレンジすることの意義を否定するものではないが、できれば、キャリアを活かす選択肢も広がって欲しい。また、会社においても、能力を見極める視点でキャリアを評価すれば、思わぬ有能な人材に出会えるかもしれない。人材流動化の契機とみれば、コロナ禍のピンチもチャンスである。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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