見出し画像

コロナによって終止符を打たれる会社イベント

 かつて職場は、技術やノウハウを伝承しながら組織として目標を達成し、そこに連帯ややりがいが生じるという側面があった。一般的に、管理職は、仕事の遂行状況とともに部下の心身の状態や私生活上の悩みについても配慮し、一方労働者は、よくも悪くも明確な社内ヒエラルヒーの下にあって、上司に対して不満があってもあからさまにこれを批判するようなことはなかった。多くの職場においては世代を超えたコミュニティーができ、時には日常生活にまで及ぶ人間関係が形成されていた。そして、そうした環境のもとに、休日を利用した職場運動会や社内旅行など、職場の人間関係を深めるイベントはごく自然に受け入れられていた。

 ところが、職場に関するこうしたイメージはもはや遠い昔の話であり、今や日本の職場文化の1つであったともいえる年1回の忘年会でさえ、若い世代においては参加したくない人の方が多いというのが実態である。職場は、楽しいか楽しくないかに関わらず、仕事をする空間であり、多くの人にとって拘束される時間は自由をはく奪される点において好ましいものとはならない。おそらく、忘年会に参加したくない人の本音は、職場の仲間と過ごす時間が「嫌い」というわけではないが、拘束される必要のない時間であれば、自分にとってより楽しいことに利用したいというのであろう。

 さて、幸か不幸か、終末期を迎えていたこうした会社イベントは、コロナによって臨終を迎えることになりそうである。在宅時間が長くなりすぎているため、一時的には会社仲間と会食の機会を持ちたいという気持ちになるかもしれないが、少なくとも会社イベントとして労働時間外に労働者を集めるといった企画は死滅することとなろう。習慣となっていたから、その理不尽さに気づかないか、もしくは黙認していただけであり、習慣が途切れた現在、多くの人が正気に戻るのではないかと思われる。冷静に考えれば、労働時間外に必ずしも懇意でない人を含めて職場のメンバーが集まるというのは、誠に不思議な文化である。賃金が支払われる労働時間内であるか、もしくは経営者の全額支出による豪華な食事であればともかく、労働者各人の支出のもとに、トップの挨拶や乾杯という昭和の儀式から始まる忘年会など、平成世代が拒否するのは当たり前といえるかもしれない。

 もっとも、今後、在宅勤務が一般化し、非正規労働者や定年退職後の嘱託職員等が多くなる職場において、相互のスムーズな意思疎通をどのように実現するかは重要な課題である。業務は担当ごとに細分化され、相互に連携を図る必要性は減少し、また、情報や判断の伝達はメールの送信で済まされるため顔が見える必要度も低くなったが、そうした仕事の分断が組織の分断につながる危険性は否定できない。組織や個人が、仕事が進まない理由を他の部署や他の従業員のせいにするといったことはよくあることである。組織が持続するには寛容さが必要であり、また、相互に本音でコミュニケーションが取れることは必須である。平成世代も、分かってほしいという気持ちは大きいように感じられる。決して、コミュニケーションそのものを嫌がっているわけではなく、優先順位が違うだけなのではないかと思われる。
職場イベントに代わるコミュニケーションの機会をどのように作り上げるか、コロナを契機として、新しい発想をもって取り組んでいただきたい。若年層がIT企業にあこがれる背景には、労働条件だけではない魅力があるのではないかと思う。従業員に自由な発想や本音の議論を望むのであれば、職場が不自由な環境になっていないか、総点検すべきである。

いいなと思ったら応援しよう!