第19回 職場いじめに係る労災認定判断の雑感 -職場にはびこる集団的抑圧-
1.「いじめ・嫌がらせ」判断の難しさ
精神疾患を発病した理由として、職場で「いじめや嫌がらせ」(以下、まとめて「いじめ」という)を受けたという主張がなされる例は多い。いじめ問題は、人が集団となる場では必ずといってよいほど出てくるものであるが、職場の場合には、仕事をする上で関係性を断ち切ることができない場合があり、深刻な状態に至るまで我慢をするといったことになりやすい。職場におけるいじめは、学校やその他の組織などの場合と同様、様々な様態となって現れるのであるが、単に人間関係における好き嫌いの問題に過ぎないとみるべきなのか、意図的ないじめであると判断すべきなのかが難しい場合が少なくない。たとえば、ある労働者について、職務能力に欠ける、空気を読めない、態度が悪いといった理由から、職場の同僚や部下が敵対的な態度になっていたというケースにおいて、これをいじめと判断して良いかといった問題がある。セクハラやパワハラは、当事者の関係性や加害者の嗜好・性癖、さらにはその言動の様態などから、仮に証拠が被害者の主観的な訴えしかない場合でも、状況把握は比較的容易なのだが、いじめの場合には、様々な事情が絡み合うため判断に迷うケースが多い。そもそも、職場全体が他者に対して厳しい態度を取るいじめ気質になっていることも少なくはなく、ある特定の事象を捉えていじめであると考えることに躊躇することもある。
2.受容力の低下した職場の現実
精神障害の労災認定基準においては、心理的負荷評価表にパワハラの項目が設定された現在も、「(ひどい)いじめ・嫌がらせ、または暴行を受けた」(以下、「いじめ・嫌がらせ」という)という項目は残されており、パワハラに該当しない場合にも同項目には該当する可能性がある。もっとも、パワハラの定義は防止法と同じとされており、その加害行為者には同僚を含む場合もあるとされていることから、いじめ・嫌がらせの項目をもって認定判断をするケースは減るものと思われる。
いじめ・嫌がらせの項目によって「強」であると判断されるためには、人格や人間性を否定するような言動が執拗に行われたことや治療を要するほどの暴行を受けたことが必要であるとされており、直ちにこれに該当するようなケースが多いとはいえない。もっとも、労災とは判断できないものの、事実関係を精査していく中で、職場における人間関係のゆがみや混乱を感じる例は多かった。そうした事態に至る背景は様々であるが、人の受容力の低下、仕事の余裕のなさ、評価に縛られた職場の現実など、いくつかの共通点は見出せるような気がする。
3.職場のいじめがもたらす影響
職場におけるいじめであるといえるか否かを悩むケースとして、例えば、ある一人の労働者に対して、仕事を回さない、連絡・報告をしないといった仕事上の嫌がらせをしていたケースやある労働者だけを飲み会に誘わないといった仕事以外での嫌がらせをしていたケースなどがある。一見些細な事に見えることであっても、人によっては、死をも選択肢になるような深刻な問題と受け止められる場合がある。仕事は、自己実現の機会でもあるとの話をしたが、一方において、自らの人間性や能力を見つめさせる機会にもなってしまう。誠実で真面目な被害者の中には、加害者を非難すると同時に、自らの至らなさに自己嫌悪を感じて、落ち込むことになってしまうことがあるようである。
4.心理的負荷評価表の矛盾
労災認定の実務においては、いじめであることは明らかであるも、そこに至る事情において、評価表の当てはめに苦悩するようなケースがある。例えば、いじめ被害者であった者が、逆に多数で結託していじめ加害者に仕返しをした結果、当初いじめをしていた労働者が精神疾患に罹患したと訴えるケースや、いじめ被害者が上司等に申し立てをした結果、いじめ加害者は懲戒処分を受け、その不当な処分のために精神疾患に至ったといったケースなどである。心理的負荷評価表は、あくまで労働者が業務上の出来事によって受けた心理的負荷を評価するものであり、その過程までも斟酌することを明示はしていない。したがって、当初加害者であった者が、結果として、いじめや処分を受けたとしたら、当該いじめの様態や処分の法的妥当性を評価・判断することになるのである。審査会においては、被害者がなぜいじめを受けるに至ったかの事情も斟酌しており、当人の自招行為的な言動がきっかけであるとすれば心理的負荷の評価は下がるとの判断をしていたが、正しい判断といえるかには不安もあった。心理的負荷評価表は、その基準だけが独り歩きしてしまうと様々な矛盾を生じてしまう危険性があり、あくまでも指標に過ぎないと考えるべきとして自分自身を納得させていた。
5.職場のいじめ体質とは?
職場における労働者の権利侵害は、個人対個人という構図を超えることがある。典型的には、職場全体がいじめ気質になり、そのことについて何らの違和感も持たなくなってしまうという事態がある。例えば、年休をきちんと消化する労働者に対して上司・同僚が休みすぎるという印象を持つ、休まれてしまうことにより自分の仕事が忙しくなってしまうといった不平がまかり通る、定時に帰宅する労働者に対して仕事が中途半端であるといった批判をするといったものである。おそらく、こうした感覚が、個人の言動によるいじめと同じように、労働者の権利を制限する効果を持つなどとは考えてもいないであろう。こうした状況が生じる会社は、事業主または当該組織の長が真面目であり、休まないことを誇りにしているなど、一生懸命さが忠実さの証であり、組織ないしは他の労働者を思いやる気持ちがあれば自分が頑張るべきであるといった刷り込みをしていることが多い。
6.いじめと同じ育児休業休暇を取れない職場
自分の会社ではそのようなことはないと思った人でも、育児休業休暇(以下「育児休暇」という)を取得する労働者に対して、苦々しく思ったり、もしくはこれを批判する上司や同僚がいるといったことはないであろうか。急激に少子化が進む現在、育児休暇の取得は国家的な課題であるとして、近年その取得促進施策が次々と打ち出されているが、思うような効果を上げていない。理由は明白である。日本は、未だ育児休暇を取得することに後ろめたさを感じる後進国であるからである。職場の誰かが育児休暇を取って減員になると、誰かがその仕事を穴埋めせざるを得ず、仕事の負担が増える。仮に補充要員が来ても、慣れないパートタイマーや派遣社員であることが多く、負担の軽減にはつながらないといったことになりやすい。先例などを見て、そうした状況を理解している労働者は、0歳児も対象とする保育所を探すか、退職するしかなくなる。
7.総論賛成・各論反対の帰結
育児休暇を取りやすいと自認している会社でも、特定の労働者が二人目、三人目と立て続けに出産し、連続して育児休暇を取得するような状況になっている場合には、果たして職場全体として快く受け入れられているであろうか。少子高齢化の波が急速に進んでしまった日本の場合、次々と法的な対策は打ち出されるものの、国民の意識を変えるには至らず、結局宝の持ち腐れ状態になってしまっている。余裕をなくしてしまっている会社に対して、育児休暇の取得を嫌う行為もいじめと同じであるといっても、馬耳東風であろう。しかし、誰もが少子化対策について総論賛成、各論反対と言っている間に、人口減により顧客も労働者もいなくなり、会社そのものもが存在しえなくなる、そんな現実に突き進んでいることを真剣に考えるべきであろう。
8.職場いじめの本質
職場におけるいじめ問題を個人の関係性の問題であるとして矮小化することは、本質を見逃すものである。労働時間管理のルーズさ、年休を取りにくい雰囲気、労働者の生活環境を無視した配転・出向の横行、責任を取りたがらない組織の体質、パワハラ・セクハラ言動に象徴される人権への無頓着など、労働者間にいじめが生じる根本的な要因は、会社の体質にあるのではないかと感じられることが少なくない。
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アフターコロナの雇用社会と法的課題
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