第9回 ノルマの呪縛を超えて
1. ノルマの必要性
多くの企業では、労働者が、製造、流通、販売のいずれの部門に携わっていようとも、それぞれにノルマを課され、これを達成することを求められる。ノルマは、部局の目標に過ぎないという場合もあるが、多くの場合、個人の目標として具体化される。労働者に対してノルマを課すことについては、労働運動においても批判の対象とされることは少なかった。目標管理や業績主義が人事・労務管理の主流となるなか、ノルマは組織や個人の成長の指標ないしは会社共同体の生き残りのために必要なものであるとして、自然に受け入れられてきたのであろう。
2.自社製品の推奨は当然であろうが
会社の製品が売れなければ、労働の場がなくなるといったことは、経営者はもちろん、労働者自身もこの度のコロナ禍によって痛切に感じたものと思われる。自分たちが売っている製品やサービスについて、労使一体となって売り込もうとする姿勢は、もちろん悪いことでない。労働者の誰もが、自社製品は最高のコストパフォーマンスを持つとまでは考えていないとしても、当該企業において働き、賃金を得ている以上、自社製品を使うもしくは推奨するといった動機を与えることも批判すべきではない。問題は、そこにノルマを課すという形でプレッシャーをかけることが、真に有効な結果をもたらすのかという点である。
3.ノルマ信奉の論理
労働者にノルマを課すことを正当化する論理とは、おおむね次のようなものである。
「ほとんどの仕事は、達成された成果によって得られた果実を構成員で配分するものであり、成果を確実にするためには一人一人の目標を明らかにしておく必要がある。その際、成果を上げた者も上げられない者も同じ配分であるとすれば、構成員のモチベーションは下がってしまうため、これを避けるためにも各人のノルマを明確にして客観的に評価する必要がある。1つの目標が達成されれば、新たにそれ以上の目標を掲げ、結果として会社の成長と労働者のやりがいが確保される。労働は、それ自体に意義があるわけではなく、成果が果たされて初めて意義を持つのであるから、結果に拘るのは当然である。」
4.ノルマに縛られる心理
ノルマが課されることについては、これを好意的に受け止める労働者もいるものと思われる。努力や能力を測る指標として数値に現れる達成度は客観的であり、上司の好き嫌いによって恣意的な評価をされるよりは好ましいと考える者もいるであろう。また、自分自身のモチベーションアップにとって意義があると捉えるポジティブな労働者もいるかもしれない。しかしながら、精神障害にり患したとして労災申請をする請求人には、ノルマによるプレッシャーが原因の一つであると訴える人がかなりの頻度でみられ、少なくとも万人に受け入れられるものとは言えないようである。
欧米においても、セールスなどの仕事においては、ノルマやインセンティブの制度を設ける会社は少なくないが、日本の企業のように、例えば工場労働者であっても、自社製品を販売することにノルマを課されるといった状況は聞いたことがない。また、日本企業の場合、長期的には評価の対象とはなるであろうが、当該ノルマの達成と賃金は必ずしも密接にリンクしているわけではなく、労働者の動機は、会社への貢献や忠実度を示したい、もしくはそうしなければ職場への居心地が悪くなるというものであることが多いように思われる。
5.ノルマの法的問題点
労働者にノルマを課すことは、法的にどのように評価されるのか。おそらく、いかなる労働法の教科書にも載せられていないテーマであると思う。ノルマを果たさなければ給料を減らすといった何らかの制裁が制度に組み込まれていない限り、ノルマを課すこと自体は事実行為であり、人事・労務管理の戦略の問題であると考えるべきであろう。ただし、労働者がノルマを達成するために時間外においても営業行為をすることが常態化しており、使用者はこれを知るか、もしくは知り得る立場にあったにも関わらず放任したといったことがあった場合には、当該時間に係る時間外手当等の支払い義務ないし事故発生に際しては安全配慮義務違反を問われることはあり得よう。また、例外的なものではあろうが、厳しいノルマが誘引したといわれるカンポ生命の不公正な保険勧誘トラブルなどに至ると、もはや労働法の問題で済まされなくなる。
6.ノルマの合理性は理解するが・・・
さて、上記に示したノルマを課すことを正当化する論理は、相当程度説得的であり、安易な批判は資本主義社会そのものを否定する結果になってしまうような気がする。企業が競争を生き抜くためには、組織構成員一人ひとりが責任感を持って行動することが望ましく、そのために具体的な目標が与えることを否定することはできない。また、労務管理の側面から見ても、ノルマの達成度をもって評価の基準にするとしておけば、効率的であるとともに批判を受けにくいという利点もあろう。しかし、こうした論理を十分に理解しながらも、労働者にノルマを課すことには、様々な弊害があることも意識されるべきであると考える。
7.ノルマを課すことの弊害
第1に、ノルマを課すことの意義の1つは、競争を煽ることによって、持っている能力を最大限に発揮してもらうという点にあるといえようが、そのことが労働者間に軋轢をもたらすことが少なからずあるという点である。ノルマの達成そのものよりも、上司ないしは同僚からの見えない圧力に疲弊してしまうといった場合もあるようで、極端な場合には、会社への愛着や仕事へのプライドまで削られてしまうということがある。
第2に、ノルマに象徴される結果重視の偏重は、プロセスを軽視する風潮を生み出しやすく、達成された結果に係るノウハウは組織において伝承されにくいという点である。労働者間に過度の競争意識が生じれば、自らの技能を他の者に教えようとしなくなるのは当然であり、達成されたプロセスは属人的な能力の問題として処理されてしまうことになる。
第3に、ノルマを達成できなかったことを理由として解雇するなどということは一般的には難しいため、やる気をなくした労働者についても雇い続けるしかないという点である。会社によっては、研修等を積み重ねて改善を促すといったことをするであろうが、「できないものはできない」といって開き直られると、もはやどうしようもない。
第4に、近年の若年労働者は、働くことについて極めてクールな視点を持っており、自分の生活スタイルや考え方にプレッシャーを受けることは好まないため、ノルマを課されること自体でブラックな企業体質であると捉える傾向が強い点である。ネット上には、誰が書き込んだか分からない、やけに詳しい会社の内情が語られていることがあるが、求職者にとっては、ノルマの有無は企業体質を知る客観的な情報であると受け止められる可能性が高い。
8.自己開発研修と緩やかなノルマという提案
数日前、トヨタ自動車が賞与の査定基準について、業績主義を徹底するとの報道がなされた。当該業績がノルマと関係づけられるものとなっているか否かは不明であるも、業績主義を貫くためには評価基準を設定する必要があり、何らかの形で具体的目標が設定されていることは間違いなかろう。そもそも「働く」とは大なり小なりノルマを果たすことであり、それが顕在化・具体化されていることは悪いこととは言えず、また緊張感を失う可能性のある労働者のモチベーションアップのためには、仮に多少の副作用が予想されるとしても「必要悪」であると考える経営者もいるものと思われる。
しかし、上記の弊害を気にするか否かは別として、労働者にノルマを課して仕事をさせることが本当に効率的・効果的なものなのかどうかは、一度立ち止まって考えることも必要なのではないかと思う。ノルマは、会社組織構成員にそれなりの連帯感があり、将来への明るい見通しがあれば労働へのモチベーションにつながるものであろうが、転職へのハードルが下がり、会社に対する忠誠心も薄れつつある現在、ノルマを課せば全力で仕事に向かうはずだというのは、経営者の誤解であるような気もする。労働者のモチベーション向上には、自己能力の開発や職務の意義を丁寧に刷り込む研修等を行う方が効率的なのではないかと思う。仮に労働者個人にノルマを課すとしても、単に売上額といった表面的なものではなく、当人の課題克服や職業能力の向上に関連づけることにより、レベルアップしながら長期的に成果を上げられるようになっていくのではないかと思うが、いかがであろうか。
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アフターコロナの雇用社会と法的課題
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