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雨空を見上げて

朝から雨模様の1日に何となく
読んで字の如く心が晴れない時を過ごした。
なぜ晴れは「天気が良い」と言われ、
雨や曇りは「天気が悪い」と言われるのか、
良いとか悪いとかの判断は個人に依るだろう
って考えた日もあったわ、
考えた上で私は最近晴れが好き🌞

晴れていると、
空の色と一緒に気持ちが明るくなって
今なら何だってやれるわっていう気がするよね?

なんとなく、
晴れの日の思い出は楽しいものが多くて、
雨の日の思い出にはどことない寂しさが伴いませんか?

そんな私にも。
雨の日に付き纏うある思い出があります。
「思い出」の前に苦いとか苦しいとか
付けようかと思ったけど、やめた。
苦く苦しいだけのものにするの、やめた。

でも、いつか文字に起こそうとして、
何となく気が引けて、
ずっと胸の奥にしまっていたことに
今日このnoteを通して向き合ってみようと思う。
学生と名乗れる極楽を離れ、社会人としての
一歩を踏み出した今、逃げずに書いてみたい。

ばいばーい、またねぇ

私が通った高校は1年生から2年生に
進級するタイミングでクラス替えが行われた。
2年生と3年生は同じクラス。

ぼんやり雲が翳る雨の日の昼間に
必ず思い出すのは、
その2年生と3年生の2年間を共にした
あるクラスメイト。

単刀直入に書くと。

私たちは、高3の冬、友人を亡くした。

私は、ではなく、私たちは、
と書いたのは彼がクラスみんなから
すこぶる愛される人だったからだ

最後に交わしたことばはバス停での
「ばいばーい、またねぇ」で
その「また」が来る前にお別れしてしまった。

高校生ながらに抱え込んだ想いを
この胸に留めておくにはもう限界で、
彼の名誉を守りつつ書き残したい。 

星が綺麗じゃねぇ

これは彼の言葉の中で特別印象深いもの。

彼のことは、高2でクラスが一緒になるよりも
ずーっと前から存在を知っていた。
彼の妹と小学生の頃から仲が良く交流があった。
その子のやんちゃなお兄ちゃんと、同じ高校に進学するらしいと母から聞き少々ビビりながら
ふぅんと小さく頷いた記憶がある。

入学してすぐ、その妹にそっくりの
いかにもやんちゃそうな奴を隣の隣のクラスに
見つけた。「君の妹と知り合いでさ、」
と声をかければよかったものの、
当時倍率が高い人気校だった母校に
いやよくもまぁその感じで受かったな
と言いかけるほど、やんちゃそうな彼とは
関わりを持たないことにしておいた。
高校生なりの危機管理能力。笑

2年生になり同じクラスになるとすぐ、
彼がクラス全員を味方につけるような
不思議な魅力を解き放つ奴だと知った。
1年越しにようやく
「君の妹と知り合いでさ、」
と声をかけ、私もみんなと同じように
すっかり仲良くなった。

高校付近に住む友人がたくさんいる中、
私と彼はかなり離れたところに住んでいた。
通学時間に1時間半くらいかかっちゃうような。ど田舎。どどど田舎。
通学のバスは2本乗り継がなければならない。

何だよ遠いなめんどくさいな、と、
文句を言いながらよく一緒に
バス停からバス停へ
乗り換えに向かったものだった。

忘れもしない高校3年生の文化祭の帰り道。
文化祭で散々盛り上がった後
高校生なりに「遅い時間」まで
打ち上げしてさらに盛り上がって
(当時打ち上げは禁止されていたような気もするが、学校の近くで堂々と開催したなぁ)
じゃあ代休明けにね、と解散した。

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放課後河原で練習、町中駆け回った段ボール集め。青春そのものだったよねぇ


みんなすぐおうちに帰れるのいいよねぇ〜
と言いながら、田舎組4.5人で
バス停まで一緒に歩いた。
両手いっぱいに文化祭で出た
ゴミを抱えていたような気がする。

彼がふと、
星が綺麗じゃねぇ
と呟いた。

その日は本当に「良い天気」で
街灯が落ちた暗闇には
星がいくつも煌めいて見えた。
彼の言う通りの綺麗な星空だった。

しかし、やんちゃな容姿の彼の口から
飛び出す言葉としてはあまりにも
ちぐはぐとしていて、みんなで大笑いした。
「あんたがそんなこと思うん?!」
と聞くと
「俺だって星を綺麗だと思う心くらい
 ちゃんと持っとるんよ」
と快活に笑った。

なんか今の会話、小説にでも出てきそうよねぇ
そのうち映画化するようなさぁ〜

みたいなことも話した気がする。

俺ねぇ夢があるんよ、誰にも言っとらんけど

星空を眺めながらバス停にたどり着いたものの
ど田舎住みの私たちが乗りたいバスは
休日ダイヤの場合1時間に一本。
(文化祭は土曜だったからね)
かなり長い時間を、時刻表とベンチ以外
何にも面白いものがないバス停で、
(大抵大幅に遅れて到着する)バスを
じっと待たなくてはならなかった。

文化祭終わっちゃったねぇ〜
次の楽しみは体育祭かなぁ〜
と話している最中に、彼が突然放った言葉が
ずっと耳にこびりついている。

俺ねぇ夢があるんよ、
誰にも言っとらんのんじゃけど。

大学受験へのサポートが手厚く
勉強する習慣づくりに力が注がれる母校は
いわゆる 進学校 だった。
中学まで楽しかったはずの勉強が苦痛になり
ちょっと逃げ出した私には、
学校というものは正直息苦しい空間で。
将来は?大学は?と聞かれることが辛かった。

少しずつ終わっていく行事に
後ろ髪が引かれたのは
美しい青春の1ページをめくりながらも
確実に迫ってくる「受験シーズン」から
目を背けずにはいられなかったからだと思う。

そんな不満を漏らしたからだっただろうか、
やんちゃで、課題も出さず、私と一緒に
いつも追試に引っかかる彼の口から
「夢」という言葉が飛び出したのが
かなりの衝撃だったことを覚えている。

音大に行きたい、ミュージカルがやりたい、
と話す私に困った表情を浮かべた先生たちを
思い出しながら、
もしかするとやんちゃな彼も同じように
どこの大学受けるんだ、何をやるんだ、
と詮索されているのではないかと思っていた。

ご家族に話したら喜ぶね、絶対!

と、言うと、
父さんにもまだ言ってない。
と、笑った。

その「夢」がなんだったのか
その時はあえて聞かなかった。
いつか教えてもらおうと思っていたから。
今でも時々その夢の内容が気になる。

みんなにアイスあげるわ

夏休みが終わり体育祭を迎えた。
勉強漬けの私たちにとって学校行事はご褒美。
日頃の鬱憤を晴らすように騒ぎ狂った。
体育祭が終わり、お疲れ様と教室でホームルームが始まるのを待っていた時、
突然彼はクラスメイト全員に
アイスとジュースを配り始めた。

北海道バニラバーとオレンジジュース。
誰かがすかさず撮影した写真が残っていた。

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暑さで少々溶けたアイスの甘さ、今でも覚えてる。前昼祭、体育祭、全部楽しかった。

体育祭で披露するダンスの練習を
少々サボりがちだった彼なりの謝罪の気持ち、
だった気がする。
黒板の前にアイスとジュースを並べる彼の顔が
あまりにも清々しかった。

そういえば騎馬戦の最中に上裸になり、
会場を大いに沸かせた彼は
後日ゲラゲラ笑いながら反省文を書いていた。
彼が在学中に書いた反省文の数は
計り知れない。呼び出される天才。

何かをやらかしては反省したふりをして
全く反省しない奴だった。最強だった。
みんなのヒーローだったし、
みんなの憧れだった。

受かったんじゃろ、すごいね!

その後私たちは遂に受験シーズンを迎える。
冬休み中にこっそりと一足早く受験を終えた
私は、少々肩身の狭い思いで
まだまだ頑張るみんなのことを応援していた。

みんなにとっての受験本番はまだこれから
というタイミングで先に終えてしまったこと、
なんとなく所在なくてソワソワしていた。

そんな中一番最初におめでとうと
声をかけてきたのが彼だった。

受かったんじゃろ、すごいね!

大胆にもロッカーの上に腰掛け、
何故か手には小さな国旗を持った彼の言葉は
寒空の舌であたたかく響いた。

それにしてもあの国旗は何?🇯🇵🎌

ありがとう、と小さく小さく頷くも
胸の内では救われた気持ちでいっぱいだった。

その日の帰り道、バス停で
ばいばーい、またねぇ
とバスに乗り込む彼に手を振ったのが
彼との最後の思い出となった。

雨空に思い出すは

ほどなくして私たちは自由登校期間を迎え、
クラスメイト全員で登校し授業を受けることはなくなった。ここからは個人戦だ。
次に全員揃って会えるのは、
3月頭の卒業式かなぁー。
そんなことを考えながら過ぎゆく日々を
なんとなく、本当になんとなく過ごしていた。

そんなある日。なんでもなかったある日。
訃報が届いた。

忘れもしない、父と近所の書店に買い物に
出かけ、家に帰ってきたその瞬間。
青ざめた母から、落ち着いて聞いてほしいと
リビングに座らされた。

彼が亡くなった、と。

私が買い物に行っている間に
担任の先生から電話があったらしい。

意味がわからなかった。
涙も流れない。
頭が真っ白になった。
すぐにクラスメイトに連絡をとり
嘘だよね?とLINEを交わした。
手の震えが止まらなかった。

通夜は明後日、葬儀はその次の日だから。
と聞かされて、訳がわからないまま
久しぶりに制服に袖を通し、通夜に向かった。

自分の目で彼の顔を見ても信じられなかった。
会場に流れるメモリアルビデオは
いつものようにやんちゃな笑顔を浮かべる
あいつの写真ばかりだった。

葬儀の日、初めて泣いた。
涙が流れるということは事実として受け止めたのだと自分で認識し悔しくてたまらなかった。
何故、今自分はここにいなければならないのか
夢なら早く醒めてほしかった。

会場を出ると、雨が降っていた。
雨は心が泣いているみたいだ、心の涙だと
表現されることもあるが
それにしては全然降り足りない、小雨だった。
あの日クラスメイトと見上げた雨空の冷たさを
今も忘れることはできない。

クラス全員での卒業式

その後迎えた卒業式前日のリハーサル。
言葉にできない重苦しさでいっぱいだった。
口を開けば涙が出そうで
だけど受験も真っ只中、まして卒業式、
何も言葉にできなかった。
リハーサルでの呼名、彼の名前が呼ばれないことに全員で憤りを感じていた。
「以上、37名。」と1人減らした人数をマイクに飛ばす担任の声は、震えていた。

彼の名前を呼んでほしい、私たちは38人で1クラスなのだと抗議した覚えがある。
手続きの関係上難しいという担任の声は、やっぱり震えていた。

迎えた卒業式当日。
共に過ごした2年間を振り返りながら、
持ち込みを禁止されているはずの携帯電話で
クラスメイトとの自撮りを繰り返した。

いるはずの人がいない寂しさを
ひた隠しにしながら笑い合うみんなの顔が、
今でもはっきりと浮かびあがる。

苦虫を潰し、悔しさを握りしめ迎えた呼名。
やはり彼の名前が呼ばれることはなかったが
「以上、3年4組38名。」
担任のその声が忘れられないものとなった。
38人で3年4組だった。
間違いのないものとなった。
寂しさと苦しさの中に、1点だけ
安堵できる居場所を見つけられた気がした。

コーラが好きだったよね

高校を卒業し、私は上京した。
初夏、彼と知り合う前から仲が良かった
彼の妹から「お兄ちゃんに会いに行ってあげてほしい」と墓園の地図が送られてきた。
クラスメイトに共有し、私自身も帰省の際に
ようやく立ち寄ってみた。

一緒に向かった友人と
「あいつはコーラ好きだったよね、
学校でもよく飲んでたよね」
と近くのコンビニでコーラを買い、向かう。
坂道を登って着いた先で、驚いた。
彼の周りにはすでに信じられないほどの
本数のコーラが並んでいた。
あのコンビニ、やけにコーラが売れるんじゃないか?🥤

帰省のたび立ち寄るが、20歳を超えると
彼の周りには
タバコやお酒が堂々と並ぶようになった。

間違いなく、彼は私たちと一緒に
大人の階段をかけ登っていた。


あれから4年が経ち私たちは社会人になった。
今でも時々、ふと彼に似た後ろ姿を
追いかけそうになることがある。
記憶の中の彼は18歳で立ち止まり、
今でも誰よりもやんちゃな笑顔を浮かべる。

苦しい寂しいと涙を流すことしかできなかった当時に比べると、私もいろんな考えを持つことができるようになってきた。

命の尊さだとか仲間の大切さだとか
そんなありふれた言葉で表現したくないほど
大切な仲間だった。なのに守れなかった。
当時突然別れを告げた18歳の彼は
私たちと一緒に22歳になり、23歳に向かっていると勝手ながら信じたい。

彼の選択を、最後の決断を、
全肯定したいと思うようになった。

その背景に何があったかは何も知らない。
知らない方がいい気がしていたし
知らなくてもいい気がしていたし
知らなくても前を向ける気がしていた。

たかだか高校3年生に降る判定で
人生は左右されるわけがないと
もっと広い世界を見せてほしかった。
とは思う。

それでも、
彼が最後まで語らなかった「夢」が
誰かの手によって叶えられる日が来る日を
心待ちにしている。

あの日の私たちは強かった。
彼を含めた全員が自分の力で前に進んだ。
その私たちが少しずつ社会に足を踏み出して
(まだ勉強に追われている子も沢山いるけど)
自分の夢や、彼の夢に手をかけようと
している頃だと思う。

美談にしたいとか思い出話にしたいわけではない。
ただ、自分の気持ちを許容して
蹴伸びがしたかった。

いつかまた会える気がしていたけれど
思い出の写真を眺めることでしか会えない彼の笑顔に
心を寄せて、この文章たちを結ぶ。

4年経ったよ。
晴れた日に、またコーラ持って会いにいくね。

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38個の机が並ぶ私たちの教室と、
卒業式の日のかたしょー。元気?笑
撮影はもんちゃん。

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