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何者でもない私へ

5月秒速爆速猛ダッシュ。
春だね、夏だねとぼやく間にもう6月。まじか。

思えばちょうど1年前の5月は家から一歩も出ず、
文句を言いながら課題をこなしたり、
顔に絵の具を塗って過ごしていました。
あと、ディズニーキャストさんごっこ。

最近YouTubeに過去動画をアップロードし始めたのでもし良かったら覗いてください👀ばくわら

今日はそんな1年前を思い返しながら
今の私を書いてみます✏️

何もない、全部ない。

第一回緊急事態宣言の発令により
全てのシャッターががらがらと
容赦なく下された1年前。

バイトもない、学校もない、レッスンも受けられない、友達にも会えない。
何もかも全部が、無くなりました。

学校は新学期を迎えることなく春休みが延長、
学費払ってるのに授業始まらないの焦ったよね。

大学1年から続けていた飲食バイトは休館中に閉店、最後のお別れを言えないまま、一緒に働いた皆に挨拶もできないまま。

通っていた歌やダンス演技のレッスンは
全てキャンセル。
苦肉の策でオンラインレッスン始まったけど
家でレッスンって受けられるんかいな〜
大声出せないしなぁ〜と頭抱えたよね。

友達とテレビ電話しながら、笑い声が
一人部屋に虚しく響き渡るのも日常で。
あと、電話切った後の喪失感えぐかった。笑

アルバイターであり、学生であり、
レッスン生であり、遊び人だった
私の心の居場所が全部全部消え去って
突如
何者でもない私
と出会うことになったのでした。

どこかに所属している私、誰かと一緒にいる私
にしか価値を感じられなかった1年前。
1人の部屋に放り出された時は
何もかも見失って、ふわふわしちゃって。
私は誰で、私は何で、私はどこに向かうのか、
私の中にしか答えはないはずだったのに
私が1番わからなかった。

「詩菜は詩菜」でしかない

私が魂を預けている人の1人に馬場美根子さんという人がいます。

彼女は元々劇団四季の舞台に立っていた人。高校生以来ずっと追っかけをしていた私の、大好きだった女優さん。退団を知った時はそれはそれは悲しくて、月を見ながら泣いたものですが(病んでいた)その後ひょんなことから彼女が開講するバレエのレッスンを受けるようになりました。
ファンと女優という関係性が、生徒と先生という関係性へ。
ファンでいた頃は舞台の上の姿に魅せられ憧れ夢中でしたが、先生として慕うようになると舞台の上での輝きの基盤にある凄まじい努力と苦労があったことを知りその人間性にも惚れ込んだのでした。

という説明は100回ほどしてきたので
本来であれば割愛したいところですが。
ロマンティック劇場すぎて
何度でも言いたがり杉岡。

で、嬉しいこと悲しいこと何かあれば
すぐ泣きつく相手も美根子さんです。
お母さんより先に大事な報告しちゃう系。

そんな美根子さんにコロナ禍激病み杉岡が
「何者でもないのが怖い」と縋りついた時、
彼女が送ってくれた一言が

「詩菜は詩菜。」

でした。

確かに、何者でもないけれど、私は私。
焦っても焦らなくても、とりあえず
私が私であることには変わりない。
今自分が持っている要素に誇りを持って
何者かになろうとしなくていいのだと、
ふっと肩と力が抜けたのでした。

それと同時に。
私は私でしかないのだから
私という人間の性質を高めないと
空っぽなまま時を流してしまう、とも気付き
自分との戦いが始まったのでした。


何もできない自分との対面

どこかに属していることに安心感を覚え
そこに存在意義を感じていた私は
コロナ禍で1人の世界に放り出されて
ようやっっっっと
自分の無力さに気付き始めました。

ちょうど就職活動を通して大学卒業後の
キャリア選択について考えていた頃だったので
自分の特技は?強みは?長所は?と
自問自答を繰り返す日々でした。

何もできん。
何でもやってきたのに、何にも、できん。
焦りました。

小学生の頃から勉強は好きだったし、
様々な習い事も楽しかったし、
積極性やリーダーシップは評価される方で
生徒会所属、学級委員なんでもやります!
みたいなタイプで。
文章を書けば毎回コンクール行くし、
弁論大会でも入賞するし、
合唱祭では指揮や伴奏も挑戦したし、
自画像でも表彰されたし、
部活も楽しいし(トランペットやってた)、
先生のことも友達のことも大好きで、
絵に描いたような優等生でした。
自分で言うなって感じだけど、
本当に、とてもとても模範生でした(爆笑)

なんとなくいろんなことをこなすのが楽しくて
なんとなく日々を過ごした結果がこれよ。
なんでもやってきたのに。

もちろん周りからとても褒められて育ったし
自分で自分に自信もあったので
「これでいい」と思っていたのだけど。

結果的に私は何者にもなれなかったわけです。
何も残っていないわけです。

それなりの気持ちでそれなりにいろんなことを
楽しんで挑戦していたのに、何もできんって...
ショックでした。


何もできない自分への許容

能力や手柄が何も手元にない自分を見て
虚しく切なく情けなくなった同時に。
何者でもない自分を認知し、
受け止める必要があると考え始めました。

苦しいけど、考えたところで仕方ない。
だってできないものはできないし。
やってこなかったことに変わりはないし。

許す。容認する。諦める。
私なりの第一歩でした。

何でもできる!何でもやってやる!
というチャレンジングな心持ちは
とってもとっても大事ですが!
それを大前提として。

何者でもない自分を一旦許容して、
現実を冷静に分析して、
そこで感じた悔しさや虚しさを基盤に
前に進むことは。決して
ネガティヴなことではないと思っています。

オープンマインド✨
ステイポジティブ✨
とか私は大の苦手なので
まずは自分はダメダメですわ、無能っすわ
って認めることから始めてみたヨ🚶‍♀️

てかなんでポジティブでいなきゃいけないわけよ
ネガティヴでも自分が心地よければ
それでよくなくなくなくなーい?????

マインドだってそう簡単にオープンしねぇよ!

人には人の乳酸菌と価値観がありますので。
オープンマインドしたい人とステイポジティブしたい人はそうすればいいと思う、こっちに強要すんな!!
根暗な私は呼吸するだけで精一杯です。


欲しい能力は努力で身につける

何も出来ない自分の許容から、
これできるようになりたい!挑戦したい!
という段階に進めたなら。
(どうでもいいけど最近横文字ビジネス用語が本当に分からなくて、大の苦手で、慣れなきゃいけないと思うので、ここらで「フェーズ」とか言うとくべきだったか)

そこからは勉強して
身につけるしかないですよね。
死ぬまで学ぶことを辞めたくない。
学ぶことを放棄した瞬間
人の成長は止まると思います。

元から才能がある人なんてほんの一握り。
私には才能がなかったので
とにかく謙虚に誠実に貪欲に学ぶことが必要で
その姿勢さえ大切にすればいつか何とかなると
思えるようになったのもコロナ禍でした。

出来ないことを出来ないで片付けるのではなく
少し考えて、まずは挑戦することが
絶対に必要だと思っています。
人の才能を羨む暇があったら、
自分がやりたいことや、やれることやれ!!
って感じだねぇ。

私はすぐ人に嫉妬するし、
いいなー素敵だなーー羨ましーい
って指咥えようとするので
指咥える暇あったらその手も口も動かせぇい!
あ、自分に言い聞かせています。

考える・行動することにも
それなりの努力が必要なお尻の重さを感じる
今日この頃なので。
まずは、動き出す努力を。重ねます。
努力し続ける努力も。重ねます。

出来ない理由を探したくないです。
言い訳に頭使いたくないです。


なんやかんやで社会人デビュー🐣

そんなことを考えているうちに、
私は大学を卒業し社会人デビューしました。

やりたいことややれることに囲まれて
毎日めちゃくちゃ楽しく生きています。

生まれてこの方学生じゃない/保護されない
時間なんてすごしたことがなかったので
どうなることやらとビクビクしていました。

でも1年前、何者でもない、何も出来ない自分に出会えて、許容できて、そこからやりたいことややれることに出会えたから
今の自分があると思っています。

まだまだ、本当に何も出来ないのだけど。
何も出来ないことを自分で分かってるだけでも
世界は全然違って見えるし、
何も出来ないなりにやれることや自分の所在地を探ることは面白いし。

社会人1年生。ぴよぴよなりにPDCAを回して
少しずつ成長できるよう、明日からも
生きていきます💃🐣毎日楽しみ。


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