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道 008 出会い、そしてダンス

ずっと人に夢と感動を与える仕事をしたいと思い続け、ようやく見つけたテーマパークという世界への道。

ところが、具体的にテーマパークという目標は見つかったものの、あまりにも漠然としすぎていてどうすればいいのか分からない日々が続きました。

今のようにインターネットはなく、情報を得るといえば人づてに聞くか図書館に行くかといった程度の時代です。

当時誰にどう聞いたのか覚えていないのですが、テーマパーク作りは映画の手法が基になっており、テーマパークの仕事に就くなら映画を勉強するのがいい、ということを言われました。
映画と言えばアメリカのハリウッドであり、本場アメリカで勉強することが夢を果たす近道、という、今思えばなんとも稚拙で恥ずかしい思考で、大学を卒業したらアメリカに行こうと決めました。
そして、両親が苦労して安くない費用を出してくれて大学に通わせてくれたにも関わらず、就職活動をせずにずっと部活動を続けていました。

卒業後、テーマパークとは何も関係のない、そして渡米するつもりのくせにたいして時給も高くないアルバイトにつきました。
お店の宣伝用のティッシュ配りをしながら、遠い将来の夢の世界に思いをはせて日々を過ごしていました。
なんとも恥ずかしい話です。

まわりの友人達は「ディズニーランドでバイトしてみれば?」と言いましたが、何故か東京に行くほど気持ちが動かずにいました。
思いばかりが先走り、目先のことは何も進まず悩んでばかりいました。
テーマパークとは何の関係もない当時の仕事の中で、ただただ苦しみ続けていました。

そんな生活と並行して、大学の部活の一つ下の後輩たちの就職がどんどん決まっていきました。
私はその姿を見て焦り出し、アルバイトはまずいと思って服飾雑貨のメーカーに就職しました。
今思えば、新卒で就職という人生でとても素晴らしいイベントとチャンスを棒に振っていたのです。

さて、そんなこんなで卒業して1年半が過ぎた頃、ふとしたことから株式会社トーゴという遊戯具メーカーでジェットコースターを設計されている人と知り合いました。
残念ながら2004年に倒産してしまいましたが、トーゴは老舗遊園地『浅草花やしき』に国産初のローラーコースターを納入した会社で、ちょうどその方と知り合った頃にテレビで紹介されていたのが強く記憶に残っています。
番組では、ラスベガスに納品するジェットコースター制作の流れと、同社の社長がクローズアップされていました。

もう30年近い前の話なので細かなことは覚えていないのですが、何かの記事でジェットコースターの設計者が紹介されているのを見かけ、コンタクトをとれそうな知り合いがいたので、頼み込んで連絡をとってもらい無理やりつなげてもらったのです。

そうやって知り合えたその方は、関東の遊園地の雄である富士急ハイランドに当時新設された「FUJIYAMA」というジェットコースターの設計者のお一人でした。

電話で私のテーマパークに対する思いを聞いていただきました。
ジェットコースターに興味があることも伝え、とにかくその世界で仕事をしたいことを伝えました。

「もしうちの会社に入りたいなら、図面が描けないとだめですね。でもそこまでテーマパークに対する思いが強いのなら、一度うちの社長に手紙を書いてみたらどうですか。」
と提案してくれました。実はトーゴは浅草花やしきの運営も行っていたからです。
ささやかなことでしたが、私には一筋の光明に思えました。

そういった経緯の傍ら、私は地元の後輩を通して東京のテーマパークでパレードダンサーをしている人間に出会います。
ある日後輩から、「Shinさん、東京のテーマパークでダンサーをしてる友達が今度大阪に戻ってきます。よかったら会いますか?」と話がありました。
私はぜひともと思いセッティングをお願いし、後輩の家で会うことになりました。
ダンサーの彼は、私と違って身長がスラっと高く、手足も長くてまさしくダンサーになるために生まれたような恵まれた体型をしているがとても印象的でした。
彼の話を聞く中で、そのテーマパークが毎年ダンサーのオーディションを行っていることを知りました。
私は「パレードダンサー」という職業に一瞬で興味を覚えました。
その理由として、高校時代に流行った「元気がでるテレビ」というテレビ番組のダンス甲子園というコーナーをきっかけに、もともとダンスというものに強く惹かれていたからです。
ただ、高校生当時は少林寺拳法の部活があったことや、今のように情報もなくてダンスの習い方が分からず、まわりにダンスに興味がある友人もいなかったため、憧れのもので留まっていたのです。
そして、パレードダンサーという職業に興味をもったもう一つの理由に、高校生時代に部活動として取り組んでいた少林寺拳法が関わっていました。

少林寺拳法の試合は、規定の時間内に闘いの演技を行い、迫力や技の正確さを競う「演武」というものです。
私はこの演武を通して、体を用いて何かを表現することの楽しさを学んでいました。また、鍛錬による身体の表現がどれほど人に感動を与えるかということを、自分なりに感じ取っていたのです。

多くの人を魅了するテーマパークのパレード。大学生の頃、初めて見たディズニーランドの夜のパレードが、感動で涙ぐんでしまうほど自分にとって感性をくすぐられるものであったことを思い出しました。
もしあのパレードのダンサーになれたのなら、きっと自分自身も感動しながら沢山のお客さんも感動させることが出来るだろう・・・
テーマパークの中で自分が納得できるのはこの分野だ!
やっと見つけたぞ!
私は自分の年齢もかえりみず、一度期間を決めて挑戦してみようと思いました。

パレードダンサーの彼は私にこう言いました。
「Shinさん、オーディションは男性は結構合格しやすいですよ。男性の人数がものすごく少ないんです。もうすぐオーディションがあるから受けてみたらどうですか。」
「よかったら、僕が大阪にいた頃に通っていたダンススタジオを紹介しますよ。そこはレベルが高いから、1年習えばきっと合格できますよ。」

その時、自分の想いとパレードダンサーという職業が見事に一致したため、その道にかけてみることにしました。
24歳になった年の11月のことでした。

009につづく


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