【お城巡り】高知城
2015年8月 高知城
愛媛県松山城、香川県丸亀城に続いて、四国名城巡りのラストは土佐、高知城です。
現存天守
全国に僅か12城の現存天守は、流石に見応えがあります。徳川の封建制度、幕末維新の動乱、明治新政府による廃城令、戦争や地震、火災などなど、歴史の苦難を乗り越えた自信が、逞しくて、美しくて大好きです。
天守は望楼型といって、初期のoldタイプ構造です。入母屋造りの上に物見(望楼)をチョコンと載せた天守で、犬山城と同じですね。
山内一豊
戦国時代の土佐といえば長宗我部が有名ですが、高知城の築城は山之内家によります。
関ヶ原までの活躍により徳川家康に評価され、この地を治めたのが初代藩主山内一豊です。
一豊は、内助の功で有名な妻千代とともに戦国時代を大出世して生き抜いた有名武将で、司馬遼太郎の作品"功名が辻"で語られた人物です。
山之内家は、その後も土佐の大名家として代々存続し、明治の廃藩置県まで16代続きます。さらに明治期も華族として存続した家柄です。
幕末の土佐といえば、15代藩主 山之内容堂 が有名です。
当時、尊王攘夷運動の時代、徳川家への忠義を持つ容堂は、公武合体を模索します。そして坂本龍馬、後藤象二郎らの新国家構想に関する進言を徳川慶喜に建白し、あの大政奉還に至ったとされています。下級武士龍馬と将軍慶喜を繋いだのが山内容堂だったということですね。
穴太衆 野面積み
近江、遠州を経てやってきた山内一豊は、近江の石積み職人集団"穴太衆"(あのうしゅう、と呼びます。)を雇い入れ、高知城を整備しました。城の至る所で、武骨な野面積みが見られます。雨が多い土地柄なので、しっかりと水害対策を施した石垣が特徴です。
と、現地ガイドさんがとても丁寧に説明してくれました。
本丸御殿
現存天守、石垣の他、もう一つの見所は、現存する本丸御殿です。
天守・本丸御殿ともに現存するのは、日本で唯一高知城のみだそうです。
最近は、煌びやかな御殿を再建しているお城が全国的に見られます。観光産業を期待してなのかどうかわかりませんが、大きな予算の流れがあるように感じます。
現存する高知城の本丸御殿は、けして華美な御殿ではありません。むしろ質素です。しかし、ちゃんとしています。御殿に入ると、いつのまにか背筋が伸びて正座してしまう雰囲気が漂っています。
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