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【神社の世界】#56 熊本泰勝寺跡
2021年
令和3年12月17日
今回は、現役の神社仏閣ではなく、名勝史跡となっている寺院跡地です。当然、御朱印はありませんが、是非ともちゃんと訪れたかった念願の場所です。
泰勝寺
泰勝寺跡は、熊本大学の裏山"立田山"(地元では、たっだやま と呼びます。)の自然公園内にある史跡です。
元々、泰勝寺は、江戸時代、肥後熊本藩主細川家の菩提寺です。現在でも細川家代々の墓所となっており、細川家の私邸も隣接しています。
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四つ御廟
墓所のうち、特に、歴史的に有名な戦国びと四名の墓所は、"四つ御廟"と呼ばれ、歴史好きにはたまらない見所です。
・初代 細川藤孝(幽斎)公
・ 正室 麝香(じゃこう)の方
・二代 細川忠興(三斎)公
・ 正室 伽羅奢(ガラシャ)の方
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細川ガラシャ
細川伽羅奢(ガラシャ)は、気高く聡明で才色兼備、戦国時代随一の美人だったといわれています。
明智光秀の娘"珠"として生まれる。
光秀の主君"織田信長"の命により、細川忠興の正室となる。
本能寺の変の後、豊臣秀吉に父光秀が討たれ、謀反人の娘として、丹後に幽閉される。
豊臣秀吉の取りなしで大坂へ帰還し、カトリックに帰依する。洗礼名は伽羅奢。
関ヶ原の合戦に向け、石田三成が珠を人質に取るため強行するが、これを拒否する。
ガラシャは、忠興の命令通り自らを家臣に介錯させ、侍女たちを逃した後、屋敷ごと爆破し亡くなる。
ガラシャの三男"細川忠利"は、徳川家光の命で、熊本細川藩初代藩主となり、泰勝寺を建立する。
これだけのビッグネームと渡り合った女性がいるでしょうか。武家の妻としての矜持、キリスト教の教えを守り、賢く、強く、壮絶に生きた女性です。この時代に、女性が自分の信念を貫き通すことはどんなに苦難だったでしょうか。
(辞世の句)
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
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九曜紋
細川家の家紋は、九曜紋です。
四つ御廟の建物の壁には、九曜紋の穴が綺麗に施されており、九つの丸い光が供養塔に差し込んでいます。
ちなみに、私の大好きな熊本の郷土料理に辛子蓮子というものがあります。断面は九曜紋ですね。
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ロザリオ
ガラシャの墓所には、よく見ると、されげなくロザリオが飾られていました。
ロザリオとは、カトリック教会において聖母マリアへの祈りの際に用いられる用具で、数珠と十字架でできてます。
カトリック教徒の方が架けられたのでしょうか。このような行いの根っこにある思いは、宗教や人種や国に関係のない、もっと根源的に大切なもののような気がします。
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ガラシャの手水鉢 つくばい
この手水鉢(ちょうずばち)は、ガラシャが石田三成からの人質要求を拒み、命をたつ直前、手水鉢を水鏡にして最後の身支度を整えたと伝えられているものです。
大阪玉造の細川家屋敷から熊本へ移されたものだそうです。山中の墓所で直接眺めていると、戦国時代にタイムスリップして、ガラシャの覚悟が生々しく感じられます。水に映し出されたガラシャの顔は、どんなだったんでしょうかね。さぞかし美しかったことでしょう。
日本庭園や茶室では、石で作られた水鉢をよく見かけます。清浄な水で手を清めるための装置で、"手水鉢"、"蹲 つくばい"と呼ばれるそうです。もちろん衛生上のこともあったことでしょう。神社にある手水舎と同じですね。精神性と実用性を兼ね備えた侘び寂び文化の様式美といったことだと思います。細川家らしい逸品です。
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宮本武蔵の供養塔
泰勝寺の一番奥には、歴代僧侶らの供養塔が静かに並んでいます。湿気の多い熊本の山際にありますので、長い月日を重ね、苔むした供養塔がとても美しいです。
また、熊本ゆかりの剣豪、宮本武蔵の供養塔と伝わる石塔もあります。
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