濁りを超えて清らかさへー言葉が導く学びー
前回は「神=シン」と「人=ジン」の音が似ていることに着目し、清音と濁音の視点から神と人の繋がりを考えました。
今回はその続きとなります。
前回の最後に、濁音を持つ「人=ジン」は、清らかな「神=シン」に近づくために自己を磨く存在であると述べました。
それでは一体なにを磨いたら良いのでしょうか?
ヒントになるのはやはり「音」です。
清音である「シン」という響きは「神」だけでしょうか?
「シン」は我々の中にも存在します。
それが「身(シン)=肉体」と「心(シン)=精神」です。
つまり、ジンを磨いてシンに近付くには自らの心身を磨く事が大事だというわけですね。
心だけでも不十分。
かと言って肉体だけでも不十分。
太極図に描かれる陰陽の関係のように、心と体も互いに補い合いながらバランスを保っています。
どちらか一方が欠けると、その調和は崩れてしまうわけですね。
当然と言えば当然ですが、言葉と音の繋がりに気付く事でその重要性が改めて分かってきます。
また面白い事に、神はシンと読みますがジンとも読みます。
つまり、清らかな部分と濁った部分の両方=二面性を兼ね揃えているわけですね。
これは神道における「和魂」と「荒魂」に通ずるなと考えています。
これもまた陰陽合わせた太極図となるわけですね。
前回もお伝えしましたが、我々が持つ「濁り」もまた、清らかさを目指すための一歩。
心と身を磨くことで、自分自身の内に宿る「神」に近づけるのかなと思います。
今回は以上です。
皆さんの参考になれば幸いです。