誰かの為に。私の為に。
誰かの為。そんな時は本当に不思議な力が湧いてきますよね。
誰かの為って命を削る行為でもある訳で、だから神様がちょっと力を貸してくれるのかもしれません。寿命と引き換えに。
今回の展覧会、会期中の言葉は振り返ってみればほんの数百文字だし、大した文章でもないのですが、その時の自分の限界を不思議な力で越えさせてもらっていたような気がします。おそらく寿命と引き換えに。
誰かを紹介するという事が、ここまで命を削る行為だと知れてよかった。
私のお守り、スロウ日和の記事。重さがさらに増した。
この度執筆者の たつたかんな さんの担当企画のこっそり編という事で、この記事を朗読してくれた。
クラシックに来た事がある人なら、情景がありありと目に浮かぶだろう。
声の力って凄いですね。ぐんぐん引き込まれて向こうの世界へ飛んでいってしまい、絶対に来る事が叶わない店主である自分が、ひとりのお客さんとして初めてクラシックに来る事ができました。
おすすめは雨の夜。ぜひ聴いてみてください。
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ここからはInstagramだと流れていってしまう為、いつでも立ち帰れるように自分の為の記録用。2021 9/23〜30 平松麻 絵画展の記録。
9/23〜9/30まで、平松麻さん @things_once_mine の絵画展を開催します。
3月から温めていたこの企画。うまく緊急事態宣言もかわせたなと思っていたら、DMが刷り上がって準備万端というところでまさかの宣言延長になってしまいました。
絵画展の方はひとり静かに絵と向き合うという特性上、言葉を発する事も無いので全く問題ないのですが、不特定多数の人が訪れる中で滞在型の喫茶営業の方はどういう形にするかはもう少し熟考したいと思います。
この絵画展について、なぜカフェで、なぜクラシックでやるのか、そんないろいろは、これから小出しにお話ししていきますね。
朝晩は半袖では辛くなってきましたが、肌寒さと共に美しい秋空もやってきました。
ナナカマド(函館の街路樹に多く植えられている木)も色付き始めています。日中の暖かさにまだ後ろ髪を引かれてしまいますが、潔く枯れていく植物たちを見ていると気持ちが切り替わり始めます。
DMの絵「白昼」これからの季節の函館の空のようです。日程は深く考えずに決めたのですが、絶妙なタイミングに導かれました。(ついさっきの谷地頭の曇り空と、去年の今頃のぽっかり浮かぶ雲)
たまたまなのか必然なのか、この広い世界でこうして関わりを持てている不思議。麻さんの絵と向き合う時間があなたの人生に絶妙にリンクする。たまたまなのか必然なのか、そんな不思議な事が起きたなら嬉しく思います。
早速カレンダーに予定を書き加えて頂けたら幸いです。
東京にいた頃、毎日仕事前に立ち寄っていたカフェがあります。
その店のオーナーはイギリスに住んでいた事があり、ロンドンのギャラリーで2年ほど働いていたそうです。
その時にアートは特別なものではないということを感じ、こう綴っていました。
"ギャラリーも堅苦しいものでなく、子供が遊びにきたり、老人が休憩する場所でもあった。"
"有名、無名に関係なく、まるでスーパーで野菜を買うかのように当たり前に作品を購入していく姿があった。"
帰国後「アートを日常へ」という目標を掲げて店を開き、私はたまたまふらりと辿り着き、過ごす日々の中で自然と自分もアートのある風景を増やしたいと思うようになり、そう、要するに種を受け取ったのです。
昨年11月、平松麻さん @things_once_mine との出会いは1枚のポスター。
そして「絵のある風景を増やしたい」という一言。15年ほどの時を経て、受け取った種が発芽した瞬間でした。
前回書いた、なぜクラシックで。これがその理由のひとつです。
長くなりそうなのでこの辺で。
絵のある風景、見に来てください。
絵なんて自分達の暮らしとは関係ない違う世界のもの、そう思っている方たちに、そう思って"いた"人になって帰りのドアを開けてもらえたならカフェ冥利に尽きます。(なぜカフェで、この話はまた今度)
最後に美術館に行ったのはいつだろう?
学校の行事以外では美術館に行った事がないという人は少なくないのではないでしょうか。
かくいう私も例のカフェに出逢ってなければそうだったかもしれません。
0を1にしてもらい、今では10くらいにはなったのかもしれませんが、ご縁があればギャラリーに足を運ぶ事はあっても未だに画廊に足を踏み入れた事はありません。
現代アートに親しみのある人でも美術となると気後れしてしまう、美術や芸術って「向こう側の世界」そんな風に感じている人も多いのではないでしょうか。
また前回のカフェオーナーの言葉を引用します。
"日本にあるギャラリーや美術館は元々、興味がある人が集まるようになっている。
それでも昔に比べると、今は間口がかなり広がった方だと思う。
場所により、役割は様々だが、うちの場合は、「ゼロをイチにする」役割を目指している。"
これは美術だけではなくあらゆる事に当てはまるのですが、カフェは出会いの場なのです。(なのでした。が正しいかな)
知らない食べ物や飲み物、知らない人、知らない音楽、知らない文化、日常の流れの中でそれらと出会える場所、0を1にする場所、1が10に育つ場所。役割はそれぞれですが、クラシックはそう在りたい。
絵画展をなぜカフェでやるのか。これがその理由の中のひとつです。
絵のある風景を増やしたい。
DMも風景となれるように仕立てました。
色褪せたり汚れたり、自分だけの1枚に育て上げていって頂けたら嬉しいです。
絵と共に時を重ねる日々、この1枚から始めてもらえたら、そんな嬉しい事はありません。
9/23〜9/30 平松麻 絵画展 @things_once_mine
もうすぐです。会期中はどんな空になるでしょうね。
明日から1週間、平松麻さん @things_once_mine の絵画展を開催します。
どんな絵が来るかもわからず、ぶっつけ本番の設営。
絵の力に圧倒され、これは普段のクラシックのままでは受け止めきれないと感じて、想定していたよりめかしこみました。
会場としてやれる事はやり切り、自信を持って来て下さいと言えます。
クラシックがこんな風になるとは。と、ちょっと驚いてもらえるんじゃないかな。
夜の設営だった為、自然光で見ていないので私達も明日が来るのが楽しみです。
会期が長いのでぜひ明るい時間と、暗い時間、両方見て頂けたら嬉しいです。
カフェ営業については緊急事態宣言中の為、残念ながら不特定多数の方を滞在させる事は難しいと判断するに至りました。
ご不便をおかけしますが、お茶のご利用は原則1人でのご利用に限らせて頂きます。(いつもお二人でいらっしゃっている皆さんはいつも通りどうぞ。※食事はありません)
函館に、秋の繊細な心にぴったりな空間となっています。お楽しみに。
平松麻 @things_once_mine 絵画展、2日目が終わりました。
「ふたり」という絵が展示されています。しかしそれは雲がひとり、ぽつんと浮かんでいる絵なのです。
「水まき」という絵は、雲がこれから水を撒きに行くのか、撒き終わったところなのか、それとも…
この2日だけでも、みんな見えているものが違って、感じ方が違って、時には斜め上を行く意見が聞けたり、とても楽しませてもらっています。
あなたはどう感じるのでしょう。どう感じたのでしょう。ぜひ教えて下さい。
春夏秋冬、朝昼晩、晴れ曇り雨、喜怒哀楽、音、匂い、全く同じ条件が合致する瞬間は2度とないので、全く同じ場所にあるはずなのに、目を向ける度に違う表情を見せてくれる、あるいは違う印象が湧いてくる、絵って本当に不思議です。
連日、時間帯を変えて来てくれた人がいました。日暮れの時間を選んで陽の光に照らされていた状態から、照明の灯りの中に浮かび上がってくるまで、ゆっくり過ごしていった人もいました。
残り5日、何度でも、何時間でも見ていって下さい。絵の中から、自分の心の中から、たくさん見つけていって下さい。
不思議だな。面白いな。絵に対する好意的な感情が芽生えたなら、いつだったかどこかで封印してしまった、もともと持っていたそれを思い出してもらえたなら幸いです。
晴れが続いています。重たい空が生み出す色の中で見れたのは初日のオープン前、私だけ。一期一会ですね。
昨日、ほんのひと時、「白昼」から光の玉がふたつ産み落とされていました。これは曇っていたら見れない光景。
あなたの居合わせた時間は、あなただけしか感じられない瞬間です。その時ならではの風景に深く潜って、楽しんで頂けたらと思います。
お花が贈られてきました。飾ってあるその送り主の名前を見て「なぜ?」と思った人もいるかもしれませんね。
実は函館の歴史ある食堂、津軽屋食堂にも「絵のある風景を増やしたい」この絵画展が行われるきっかけとなったあのポスターが、貼られているのです @things_once_mine
クラシックのは8枚中の2。追加で刷ったそうで全部で10枚ほどなのですが、函館に2枚もあります。
各地に点在するこのポスター。北は北海道、いちばん南は沖縄の胃袋というお店にあるそうです。
胃袋の壁には麻さんが壁画を描いたそうなので、いつかコロナ禍が収まったら訪ねる事ができたら良いなと夢見ています。
場所を変えれば見え方も変わる、津軽屋食堂の「待つ雲」もぜひ見にいってみて下さい。
自分の状態を変えても見え方は変わりますね。町のおじさまがワイン片手に文字通り絵に酔いしれている姿を見て、なんだかいいなぁ、これは美術館ではできない事だなぁと。
会期中2回、3回訪れるならこんな鑑賞の仕方もいいかもしれません。
3日と半日が過ぎて、折り返しました。
陽が落ちてからも。陽が落ちてからこそ。
本日後半もお待ちしています。
平松麻絵画展。5日目が終わりました。明日は通常通り定休日です。 @things_once_mine
あっという間に残り2日となりました。
まだ見てもらえていない、どうしても見てもらいたい方々の顔が浮かびます。
ちょっと無理してでも、どうしてもこの空間に立ち会って欲しい。普段なら絶対に出ないこんな言葉が腹の中から漏れ出てしまう、そんな絵画展です。
皆さんの美しい背中を見ている時、2度目のドアを開けて入ってきた顔と対面した時、静かで確かな芽生えを感じています。
この期間中、何度もこの言葉が浮かびました。↓(長いフォロワーさんにとっては耳にタコができているかもしれませんが)
"「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いてみせるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・。その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」ー星野道夫"
そして、もうひとつ。
"子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉でなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えてられたりすることがきっとあるような気がする。一 星野道夫"
今はこれからの人生史上、いちばん若い。死ぬ直前から見たら、今は子ども。ここで感じた事が、いつかの未来のあなたを支える、後押しする力とかもしれません。
残り2日。「ちょっと」なら無理してでも来る価値があると思います。あなたに見せたい。見てもらいたいのです。
津軽屋食堂に貼られた「待つ雲」、隣には世界アルツハイマーデー。カレンダーは2枚。なんだかじわじわくる景色です。(撮影許可を頂いています) @things_once_mine
壁に何もない状態を想像してみてください。
やっぱりに絵がある風景っていいなと思いませんか。
夕方には友人の学童でのお面作りのワークショップへ。
「自由に描いてみて」大人はそう言われると何を描いていいか思い浮かばず、全く筆が進まないという人が多いのだそうです。
「ある時から絵から離れてしまった」そんなエピソードをこの会期中に何度も耳にしました。
ある年配の方は、小学生の頃の先生がとても自由に、伸びやかに書かせてくれたので絵を描くのが大好きだったそうです。
しかし中学に上がり点描が必修で、指導が大変厳しく型にはめられてしまった事で、それ以来絵からは遠ざかってしまったと仰っていました。
自由だった頃の「あの感覚」を麻さんの絵によって取り戻す瞬間を背中から感じる事ができて(それも何度も)本当に開催して良かったなと思っています。
残り一日半。あと何度その瞬間に立ち会えるのでしょう。チクタクチクタクと柱時計が刻一刻と時を刻み、時間が過ぎてゆくことに胸が締め付けられます。
それでは、お待ちしています。
平松麻 絵画展。 @things_once_mine
終わりたくないですが、最終日です。
会期中は曇ることすらなく、ずっと晴れでした。
今日は待望の雨。この風景が見たかったのです。
雨音、柱時計の音、仄暗い空間。
やはり、とてもよいです。
「〇〇年前のあの絵画展でさ…」いつかそんな思い出話に、「昔こんなお店があってさ…」いつかそんな昔話に、花が咲く瞬間が生まれたらいいな。
種、受け取りにいらして下さい。
平松麻 絵画展。 @things_once_mine
沢山、何度も足をお運び頂きありがとうございました。
会期の終了と緊急事態宣言が明けて、カタチは通常通りに戻っていますが、皆さんの魂の一部がまだここに居る気配と、あの美しい時間の余韻に満たされています。
購入者様たちのご厚意で、ひとまず月曜まではこのまま飾らさせて頂いています。
会期中のように向き合って対話することはできませんが、ボーッとしていてふと気配を感じてそちらを見ると絵が囁きかけている。
観るぞという気持ちで見るのとはまた違う絵の力を感じてもらえるかと思います。
(インテリアにはならない)絵のある風景とは。私たちが伝えたいそれを感じてもらえる贅沢な空間です。
限りなく絞る時もあり、人によっては無音だと言われる事もあるクラシックのBGM。
聴こえないのは聞こうとしていないからなのです。絵(心)の声、微かな音楽、スマホをしまってクラシックで過ごせばきっとちゃんと聴こえてくるはず。
絵のある風景と共にしっかりと伝えていきたいのは、音楽のある風景。
会期中のある日は一日中、一度も変えることなく haruka nakamura @_casa のスティルライフ を流していました。
麻さんの絵のある風景に心地よく降り注ぐ光のようなピアノの音色。雲が旅立ち、陽が射してきて、外ではスズメが大合唱をはじめて、今日もスティルライフ日和です。
それではお待ちしています。
この景色は今日でおしまい。
アンコールのような会期後の4日間もまた美しい光景が沢山見れて、宝物の日々となりました。 @things_once_mine
展覧会最終日は最初で最後の雨だったとお伝えしましたが、カーテンコールは谷地頭の神様のラブコールも加わり、言葉を失う美しさの空の色で幕を閉じたのです。
まるで一本の映画のような11日間でした。
寂しいですし、名残惜しいですが、終わらせないと始まらない。おしまいは私にとっては希望の言葉。あと数時間後、次の種が芽を出すことでしょう。
コロナ禍、緊急事態宣言で今回は見ることが叶わなかった皆さま。いつかまた、きっと次回がある予感がしています。
いつかのその時まで、お互いに健康に時を旅して行きましょう。
足を運んで下さった皆さん、本当にありがとうございました。麻さんとクラシックの物語の続き、お楽しみに。
平松麻 絵画展 @things_once_mine が終わり、元通り…にはならなかったクラシック。
入店して驚いた方も多い事でしょう。「白昼」と共に新しい日々を歩み始めています。
購入希望者が沢山いたので、店としては本来ならお譲りしなくてはならないのですが、皆さん「この絵はここにあるべきです」と快諾して下さいました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
緊急事態宣言でどうしても来場が難しいという方があまりにも多く、せめてこの絵だけは見てもらえるようにしようと心に決めていました。
そしてもうひとつ(ふたつ?本当はもっと沢山)理由があります。
クラシックに「白昼」がある事で、足を運んで頂いた皆さんの原画を眺めたあの日々の記憶が、手元にあるDMが、きっと時を経るごとに特別なものになっていくはずです。
麻さんがどうしても見てもらいたいと連れてきた「種まき」の絵のあった場所に、初開催のDMの絵(種)である「白昼」を飾り、この展覧会をただ終えるのではなく、始まりにしたかった。などなど書ききれない思いが沢山あります。
あるお客さんがDMを額装してみたんです。と見せにきてくれました。そんな私たちの想定を超えた嬉しい楽しみ方をしてくれたり、提案通りに壁に冷蔵庫に貼って育て始めてくれたり、感無量です。
数年後、数十年後、歳を重ねたDMと再会させてもらえる日を心から楽しみにしています。
絵を外し、絵がなくなる喪失感を知りました。各フロアにある油絵、ポスター、drawing、もうそれらが無い風景は考えられません。今まで以上に「絵のある風景を増やしたい」そう思うようになりました。
きっと必ず次の機会を。いつかまた。
函館、秋が深まってきました。今年も見る事が叶わない方々へ、少しでも多く伝えられたらと思います。