192、日本のコロナ禍の正体。それは「猿真似」と「一体感」
いつまで経っても日本のコロナ禍は終わらない。
なんなんだこの珍現象は? 他国は続々とコロナを過去のものとしているにもかかわらず、我が日本だけは相も変わらずコロナ禍が続いている。
それもそうなのだ。他国のコロナ禍と日本のコロナ禍は本質的に異なっているのだから。
他国――特に欧米なんかは単純にコロナで死ぬ人が多かったので「恐怖心」から過剰な感染対策に走ったのだが、もともと「個」が強いので「もはや、コロナも大したことねぇな」――そう判断したら、すぐに全体主義的な状況は是正され以前の生活に戻る。
一方、日本のコロナ禍は始まりからオカシイ。
なんせ「猿真似」と学園祭的「一体感」から始まったのだから。
「欧米はコロナでたくさん死んでいるよ! 日本は別に死ぬ人も少ないんだけど、一緒になって大騒ぎしなきゃイェーイ!」
――的なノリで専門家もメディアも大衆もモンキーダンスを踊り始めた。
……そう、始まりからそもそも違っているのだ。
「二週間後はニューヨークのようになる!」
どっかの岡田晴恵はメディアで煽り散らしてくれていたが、あれも本当は
「二週間後にはニューヨークのような非日常的な状況が訪れるんだ! 楽しそう、イェーイ!」
――これが本音に違いなかったのだ。
終わりなき日常を打破するかもしれない非日常。……こんなような歪んだ期待をしてしまったのだ。
さて、欧米なんかは政府の側が「ロックダウン」等、強権を発動して市民を縛ったのだが、ここも日本は異なっていて、政府はあくまで各種感染対策を「要請」するに留めたにも関わらず、ハロウィーン大好きアホ日本人どもは自らが権力者となり、祭りに参加しない者を嬉々として取り締まり始める。
マスク着用も飲食店の自粛もあくまで「要請」に過ぎないのに、市民の側からそれらを取り締まろうとする者が多数現れる。
自ら権力の側に立ち、己が権力者かのように嬉々として正義を振りかざす。日本では権力者が権力を振るわずとも市民の側に権力者が現れたのだ。これも歪んだ一体感と非日常を求める願望のひとつのあらわれと言えるだろう。
そうこうしているうちに他国は続々とコロナ禍を収束させる。 日本もそれに続くべきだと本音では思っているにも関わらず、馬鹿な日本人どもは自ら悪ふざけを終わらせることができず、悔しさ余ってか全体主義に染まっていない者を却って強く叩き始め、その「個」のなさをさらに極めていこうとする。
明らかにコロナはただの風邪に成り下がったにもかかわらず、コロナ禍が産んだ最高のアイテムであるマスクを着用していない者を、異常な熱量で排除しようとする。 他国では絶対に通用しない行為だが、自らの悪ふざけを正当化する為にも絶対にやめることができない。
純粋な恐怖心を抱いていない「個」ナシのモンキーどもが、全体主義的な一体感を逆に喜び熱狂的に踊り狂う。
――これが、日本のコロナ禍の正体なのだ。日本のコロナ禍は他国のソレと根本から異なっているのだ。
己のアホ中学生的なノリや感情を 「カンセンタイサク」 とかいう有効性のないバッタモンで糊塗して正当化していることを本当は理解している。 だ・か・ら、日本人だけがコロナ禍を終わらせることができないのだ
こんな連中の為に日本のコロナ禍は終わらないのだ。こんな連中の為に日本の子供たちは貴重な時間と生活と健康を奪われていくのだ。
学園祭はいつか終わる。ハロウィーンもいつか終わる。コロナ禍もとっとと終わらせよう。恥ずかしくても己自身をしっかり見つめてくれや。
もうやめようぜこんなこと。