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【映画】こんな日本の描き方は久々だった!~「HAPPYEND」

ちょっと不思議な映画を観てきました。空音央監督の「HAPPYEND」です。タイトルにも書かせてもらっていますが、内容よりも監督の映像の撮り方にとても惹かれました。今回はそうした話をしていきたいと思います。


まずはあらすじから

XX年後の日本。幼なじみで親友のユウタとコウは、仲間たちと音楽を聴いたり悪ふざけをしたりしながら毎日を過ごしていた。高校3年生のある夜、こっそり忍び込んだ学校で、ユウタはとんでもないイタズラを思いつく。翌日、そのイタズラを発見した校長は激怒し、生徒を監視するAIシステムを学校に導入する騒ぎにまで発展。この出来事をきっかけに、大学進学を控えるコウは自身の将来やアイデンティティーについて深く考えるようになり、今まで通り楽しいことだけをしたいユウタとの間に溝が生じ始める。

映画.comより抜粋

もう、このあらすじはすでに明らかになっていますので、ちょっとストーリーに触れてしまうと、そもそもこの二人が「とんでもないイタズラ」をするのが悪いので、「そりゃ、校長先生も怒るだろ」ってツッコミを入れたくなると思いました。まあ、そう言ってしまうと「それを言っちゃあ、おしまいよ」という無粋なわけで、ここは大目に見て映画を楽しんで欲しいと思います。が、繰り返しますが、そりゃ、お前らが悪いだろ、といい年したオッサン(←私のこと)は思いましたね(笑)。

ただし、映像は初期の岩井俊二映画を彷彿させた!

一方、今回私がこの映画に惹かれたのは、映像です。見ながら、どことなく「どこかで見たことがあるな」と考えていたのですが、そこで思い出したのが岩井俊二監督の「FRIED DRAGON FISH」。

深夜放送でこの作品を見たときの衝撃は本当に凄かったです、自分の中では(それからフジテレビのゴールデンタイムに放映した「ifもしも」内の「打ち上げ花火~下から見るか、横から見るか」も)。舞台は日本なのですが、全くこれまで見たことのないような日本の描き方だったんです。そして今回の「HAPPYEND」も同じで、どこかアジアの異国のような雰囲気も出していたように感じました。

三谷作品同様、日本語を排除した効果!?

ここで私の大好きな三谷幸喜監督の話に急に飛びますが、三谷監督はよく「靴を履いたシチュエーションの作品を撮りたい」とコメントされています。これは靴を脱ぐと「生活感」がどっぷり出てしまうから、そこを排除したい、というような説明をされていたように思います。これは先ほどの岩井俊二監督も同様で、当時の「ザ・日本」という絵が見事なまでに排除されていました。これは私が思うに「看板」だと思っています。映像の中に「看板」やら日本語で書かれた何か(なんでもいいんですが)があると、観客はそちらを読んでしまいますよね?するとなんだか急に映像に「生活感」が溢れてしまうんだと思います。ですから両監督の作品に共通するのは、そうした部分の「排除」が全編を通じて行われていたのかな、と感じました。

本作も近未来ながらもどこか不思議な時代設定に

ということで、本作「HAPPYEND」も極力「日本語」を排除し、時代を感じさせないようになっていました。画面がうるさくないので、近未来という不思議な時代設定にはちょうどマッチしていたように思います。そして不思議なのは、近未来といいつつ、あまり学生たちがスマホを使っていないんですよね。劇中の学生さんたちの生活ぶりとしては「令和」でもなく、むしろ「平成」か「昭和」の雰囲気。まあ、校長先生が導入するAIシステム云々は近未来感が少しは出ていましたけどね(あとは学校の生徒たちに外国籍が多かったこと、これは将来ありうる未来像かもしれません)。

いよいよ本題。AIシステムをどう考えるか?

そんなわけで主役二人のイタズラによって、校長先生が導入したAIによるシステム生徒監視システム。もう隣国では導入されているんでしたっけ?たしかそんなニュースを見たことがある気がしているのですが、これは全然あり得る(というか、もう日本でも街頭各地に防犯カメラが張り巡らされていますからね)世界だと思いました。少しだけストーリーに触れると、劇中、この監視システムの導入是非について、生徒たちが喧々諤々の論争になるのですが、「自由」を求めて導入に反対する生徒もいれば、むしろ「治安維持」がなされるので賛成だ、という意見も出てくるんです。このあたりも妙にリアルですよね、よく作られていると思います。ま、そもそも発端のイタズラが悪いんですけどね(←しつこい!笑)。

監督の主張には賛同しかねる部分もありますが・・・

監督については、いろんな意味で「若いな」という感じがしました、私にとっては。たしかに劇中には様々なモチーフやメッセージが隠されており、ひねくれ者の私には「ああ、多分こういう主張をしたいんだろうな」というシーンが多々ありました。ただ、この監督の良さ(と敢えて言いたいのですが)は、監督ご自身の主張に強引に持って行くのではなく、それも含めて見るものに委ねている点だと思います。私自身はメインのモチーフ(AIによる監視システム)を見て日本の隣国の恐怖を感じ、より一層、日本人で良かったなと感じましたしね(多分、これは監督の主張とは真逆だったかもしれません)。

ただし、「息苦しさ」は分かる気がします

一方、監督のメッセージ云々には賛同しかねる部分もあるとはいえ、どことなくこの作品の世界観に覆う「息苦しい日本」像はなんとなく分かる気がします。何も言えなくなる、表現できなくなる、そして個性をなくしていく・・・というような感覚は「分かるなー」と思いましたね。若者たちに、なんとなく尖っていることを良しとしない、無難であること、普通であることが求められるのも酷だよな、と。ま、繰り返しますが、ユウタとコウのおふざけは決して許されないですが(笑)、何もかも雁字搦めにして生徒たちを四六時中監視して枠にはめてしまうのもね・・・と。AIだったり、新しいテクノロジーというのは本来、人間にとって「良いもの」であり、よりクリエイティブに、そしてより生活を良くするものであってほしいですよね。ただ一方で今回のストーリーのように「悪用」も簡単にできてしまうのは、現実にも起きていることでありますし、本当に難しい問題だと思います。そのあたりも上手にほのめかしていたように思いました。

普通に高校生の成長物語として観れば・・・

幼なじみの二人。実はバックグラウンドが異なり、一人(ユウタ)はまあ裕福で、もう一人(コウ)は普通かちょっとだけ生活に苦労している階層。高校までは二人でワイワイつるんで、バカやったり、笑ったり楽しんでいたけれど、「卒業」を前に徐々に互いの考えが変わっていく。これって普通にあることですよね?そうでないとおかしいし。もしかしたらユウタは先に進みたくなくて、「今」を楽しむ、いや「しがみついていた」のかもしれません。一方、コウは卒業を目前にし、将来を考え始め、次のステップに進もうとしている。どちらも互いを思いやり、時にぶつかりながら、「その先」へ歩き出していく・・・そんな「成長物語」としても観ることができましたし、私としては監督の主張やら、その他いろいろ盛り込まれた政治的メッセージ云々を抜きにして、この部分にフォーカスしてみると結構楽しめると思います。ラストの二人。これからどうなるんだろう・・・?と先が気にあるエンディングも好感です。


神戸だったんですね!東京だとずーっと思っていました(笑)

これも監督のメッセージ内で明かされているのでネタバレにはならないと思うのですが、ロケ地は神戸だそうです。「ゆりかもめ」的な列車が何度か映っていたのでてっきり東京のレインボーブリッジを渡る前のあたりの湾岸地域あたりがロケ地かな、と勝手に思っていたのですが、多分ポートアイランドか六甲アイランドあたりだったんですかね。高校もちょっと近未来的雰囲気があって良かったです。とにかく撮り方がキレイなので、どこか日本ぽくない映像に仕上がっています。ここが一番私がこの作品を気に入った点かもしれません。



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