後悔先に立たず・・・「人生の最期に後悔するリスト」を見て思ったこと
終戦の日が過ぎました。毎年のこととはいえ、やっぱりいろいろと考えさせられる時だな、と痛感しています。特に今年はパリ五輪卓球女子代表の早田ひな選手の「特攻資料館行って、普通に卓球が出来ることを感謝したい」というコメントが私の中でずっと残っていました。私自身昨年、初めて鹿児島の知覧と鹿屋にある特攻隊の資料館に足を運び、散華された隊員の皆さんの遺した手紙を拝見し、今ある平和、私たちが送ることのできる日常がどれほど恵まれているのかを感じることが出来ました。そんな中でふと目を通した雑誌(プレジデント)に気になる特集がされていたので、今回はその内容について書き綴っていこうと思います。
人が死の直前に後悔することリスト
上記のリストは緩和ケア医の大津秀一さんによる記事に書かれていたものです。今回はこの中から特に40後半を迎えた私自身が特に共感したテーマについて紹介していきたいと思います。
喜怒哀楽に振り回され過ぎたこと
私にとってはドキッとする一言でした。というのも、自他ともに認める喜怒哀楽の分かりやすい人間なので(笑)。ま、前職当時に比べるとだいぶ落ち着いたかな、とは思っていますけどね。「喜怒哀楽」の中でも「喜」と「楽」を多少大袈裟であっても表現することは良いと思うのですが、「怒」と「哀」は周りに良い影響は及ぼさないですからね。それにこれからますます年をとっていくにあたり、周囲に怒りをまき散らしているのは相当迷惑ですよね。もっと常日頃から周囲に対して「寛容」でありたいと思いますね。といいつつ、「ダメなものはダメ」「ならぬものはならぬ」精神はなかなか是正できないんですけどね・・・涙。
美味しいものを食べておかなかったこと
家系・次郎系ラーメンは若い時に食べておくべし!
まず思いつくのはラーメンです。私の場合、30代半ばの頃にはすでに豚骨系や家系が食べられなくなってしまいました。あの油っこさがどうにも受け付けられず・・・涙。家系だったり次郎系に並んでいる若い方を見ると、羨望の眼差ししかありません。と、同時に「(いつか食べられなくなるから)今のうちにたくさん食べておくといいよ!」と声には出しませんが、心の中で応援しちゃっています(笑)。同じようにきっと歳を重ねるにつれて脂っこい食べ物をどんどん体が受け付けなくなるんだろうな、と思うと、やっぱり食べられるうちに食べておきたいなと思いますね。
ビュッフェも若いうちに食べまくっておきましょう(笑)
それと同じようにバイキング(ビュッフェ)系もまた、自分の衰えを感じざるを得ない空間であります。まさに「目では食べたいんだけど、身体が受け付けない」という感覚です。それこそ10代、20代の頃なんて「元を取ってやるぞ」とひたすら食らいついていたというのに、今では1皿、2皿でもうお腹いっぱいですからね。ま、50代が見えてきたこの歳で10代、20代の食欲である方が逆に恐ろしいわけですが・・・(笑)。とはいえ、バイキングってワクワクしますよね、テーブルに出されているご馳走を好きなだけ食べていいという優越感。ホテルの朝食バイキングなんかも未だに大好きです。
一方、年齢を重ねるにつれ、食が細くなることもありますし、それこそ高級レストランだったり、高級食材を食べたとしても、若い時の感覚とは少し違うのかな、と思ったりもします。それよりは家族や友人と一緒に食べる普通の食事であっても、思い出ということも加味すると、それ以上の味わいが出るのかなと思ったりもします。まあ、とにもかくにも健康でなければ食事を楽しめませんからね、そういう身体でありたいと思いますね。
仕事ばかりで趣味や旅行に時間をさけなかったこと
これは賛否両論だと思います。仕事命であっても、仕事をすることが生きがいになって楽しく働いている方であれば、仕事をしている時が一番イキイキしているだけですから、無理やり趣味を作れ云々言っても聞く耳を持たないと思います(かつての私がそうだったので、なんとなくそういう感覚でした)。一方、若干の「燃え尽き症候群」になってしまった今の私からすると、やっぱり趣味や旅行も大事、という考えも非常によく分かります。私自身は転職して少し仕事量をセーブし、趣味や旅行等のウェイトをかつてよりは高めた生活を送れているので、これに関しては良かったかな、と思っています。また別の記事で書きましたが、「やりたいことリスト」は常に作っているので、時間に余裕が出来た時は、そういうリストを見て一つずつ潰していく(ま、すぐに新しいリストが出来るので、なかなか減らないんですけどね)・・・という行動を心掛けています。
大切な人に「ありがとう」と伝えられなかったこと
これは先ほどの知覧や鹿屋の特攻隊資料館で感じたことなのですが、大切な人、大事な人に「ありがとう」「愛している」を伝えることは何よりも優先順位の高いことだと思います。特攻に出陣された隊員の方々は皆10代、20代の前途洋々たる若者ばかり。彼らはこの理不尽な運命を受け入れ、戦争を辞めさせるため、これから先の日本国のために飛び立っていったのだと思います。もはや「悟り」に近い境地である方々の「魂の言葉」には、家族への感謝(特にお母さんへの感謝の言葉が多かったです)、兄弟姉妹、そして愛する妻や子どもたちへの愛で綴られていました。
もちろん戦争で命を落とされた隊員の方々と、現在の平和な日常とを同等に置くことなどできないわけですが、事故などの突発的、予期せぬものでない最期という意味では、遺された方々のためにも心に留めて奥のではなく、伝えておきたい言葉はすべて伝える、もしくは手紙に残すなどすべきだな、と思いました。
ということで、今回は「将来に向けて思うこと」について書いてみました。これは人間であればいつの時か必ず迎えることになります。それが明日なのか、遠い先なのかは誰にもわかりません。それでも必ずそういう時が来る、ということだけは決まっているわけです。もちろん常にこのことを考え続けるということではありませんが、なんとなくでも考えたうえで生活を送れば、後悔は少なくなるような気がします。ちょっとディープな話題にはなりましたが、「後悔先に立たず」という諺もありますからね、少しでも軽減できるヒントになれば幸いです(少なくとも私はそう感じています)。