なんだかバランスがあまり良くない世の中な気がする
さて、このnoteで色んな記事を拝見していると、
どうしても私の場合、トランスジェンダーに関連した記事が
多く表示されます。
それ自体は別に構わないのです。
ただ色々拝見していると、特に誰の記事がという訳ではないですが、
ときどき
「バランスがあまりよろしくないな」
という感じを受ける記事に出会うことが有ります。
そしてよく考えると、それは単にnoteの記事だけでなく、
世の中自体がそうなんだと感じる事があるのです。
※特定の記事などを糾弾したり批判・否定する意図は全くありません。
また、特定の人を批判や否定する意図も全くありません。
あくまでも私の個人的な私見・所感ですので、ご了承ください。
①例えば性自認至上主義
何と言うか、よく「性自認至上主義が云々」という話が
出てくることがあるのですが、これって
極端なんじゃないかと感じるのです。
性自認至上主義を掲げれば、当然それに反発する方々が出てくるのは、
想像に難くありません。
「至上」という事は、これが絶対的だと言っている事と
ほぼ等しいと私は捉えています。
世の中に絶対的なものなど存在しないのに、
絶対と決めつける事自体に無理があると思えるのです。
そして、「絶対だ!」と主張すれば、それに対して
「そんなの認めない!」と強硬に主張する方々が出現するのは
自然な事だし、当然ではないでしょうか。
なぜ、「性自認という考え方もあるよね」程度で収まらず、
それを絶対的なものにしようとするのか、私は不思議なのです。
また、性自認至上主義は身体性別を完全に度外視した、
とても排斥的な考え方とも受け取れますから、
これはこれで無理があると思うのです。
②例えば性別二元論至上主義
また、これは私も最近知ったのですが、
性自認ではなく、身体性別の「性別二元論」も、
近年の研究で変化があるようです。
まだ詳しくは調べておらず、論文記事をチラ読みした程度ですが、
少なくとも6~7通りの身体性別が存在するという研究もあるようで、
もはや単純に
「男性」「女性」の2性別で別ける事自体に無理がある
という論調も出て来つつあるようです。
今のところ、男性・女性の2性別以外に分類される方は、
性分化疾患という疾患として位置付けられているようで、
こういう方は100人に1人の割合で存在しうるという事が
言われているそうです。
これも今後研究が進むと、疾患という扱いではなくなるとか、
そういう変化する可能性も十分あるでしょう。
という事は、もしこの研究が今後進めば、
「性別二元論至上主義」もまた、
バランスが良くない考え方なのではないかと思うのです。
いまは全世界的に性別二元論がほぼ全てな気がしますが、
研究が進むと、これも変えざるを得なくなる時代が
やってくるかもしれません。
そうなったとき、性別は男女の2つしかありえない!
それ以外は認めない!などと言っていたら、
また問題が発生するでしょう。
それに、性別二元論至上主義は、上で書いた
性自認至上主義を完全に度外視した、
非常に排斥的な考え方であると受け取る事も出来るので、
これもやはり無理があると思います。
③至上主義という考え方は争いを起こす
さて、性自認だろうと身体性別だろうと、こうやって考えた時、
「○○至上主義というのは極端であり争いを生む」
という風に思うのです。
それはそうでしょう、お互いに排斥的な考えに基づいて、
相手を排除しようという意思が見て取れるのですから、
争い・衝突しか生まないのは当然だと思います。
性自認にしろ、性別二元論にしろ、
こういう考え方もある
こういう見方もある
こういう捉え方もある
という風に、絶対だ!とか認めない!とか言うのではなく、
もっと穏やかな捉え方をした方が良いのではないでしょうか。
そういう捉え方をすることで、無用な意見や思想の対立を防ぎ、
それぞれの立場の人たちが相互に理解し尊重し合いながら、
建設的な議論などもしやすくなる可能性が高くなるでしょう。
また、この○○至上主義以外にも対立構造を生みやすいものに、
「カテゴライズ」が有るのではないかと考えています。
④例えばLGBTなどのカテゴライズ
LGBTやLGBTQ、LGBTQIA+など色々な言い方が有りますが、
こういったカテゴライズというのもまた、
対立構造を生みやすくなるのではないかと思います。
こういう風にカテゴライズする事で、この中に含まれる人は
どこか特殊な人、変わった人、特別な人、といったような見方を
世間からされることが多くあるかもしれません。
しかし、この中に含まれる人々ってそんなに特殊でしょうか?
そんなに変わってるでしょうか?
例えば、男性が男性を恋愛対象にする事が特殊ではないと思うし、
女性が女性を恋愛対象にする事も特殊ではないと思います。
また自分の性的指向や性自認が何なのかわからなくて悩む事も、
特殊な事ではないでしょう。
しかしながら大多数の男性は女性を、女性は男性を恋愛対象とする為、
それ以外の人々をカテゴライズして、
特殊な人という位置づけにしているだけだと思うのです。
で、こういう風なカテゴライズをしていると、
何か問題が起きた時、LGBT以外の人とLGBTの人、
もっと言うとマジョリティとマイノリティの対立構造が
できやすくなるのではないでしょうか。
こういった対立構造が生まれやすい考え方自体、
相互に排斥的な考えに基づいて排除し合おうとしている様にも
見る事も出来てしまいます。
カテゴライズは一見、誰でもパッと見てわかりやすく
ひとまとめにされているように見えます。
ですが、
マジョリティはマイノリティに対して排斥的かもしれないという疑心暗鬼。
マイノリティはマジョリティに対して排斥的かもしれないという疑心暗鬼。
こういう相互に疑心暗鬼になりやすい仕組みが、
カテゴライズだと思うのです。
そんな風になってしまっては、
やはり衝突や争いしか生まないのではないでしょうか。
⑤私はSOGIという考え方がバランスが良いと考えます。
SOGI(ソジ)というのは、
性的指向(Sexual Orientation)
性自認(Gender Identity)
この2つの言葉の頭文字をとった略称であり、
これはマジョリティやマイノリティなど関係なく、
「すべての人」に共通する捉え方です。
自分は男性が好きとか、女性が好きという「性的指向」。
自分自身は男性であるとか、女性であるという「性自認」。
これは誰にでもあるものではないでしょうか。
この考え方であれば、誰にでもあるものなので、
特定の人を特別視せず、穏やかな気持ちで
受け入れたり、理解したり、お互いに尊重する事が
出来るのではないかと考えています。
ちなみにこういった分野ではとても先進国のタイでは、
性別は単純に身体性別だけではなく、
性自認をうまく取り入れて18種類に定義されているそうです。
タイの人々はとてもこういった事に寛容かつ柔軟性が有ります。
⑥最後に
さて、ここまで色々書いてみましたがいかがでしたか?
性自認至上主義や性別二元論至上主義、LGBTのカテゴライズなどを
あくまでも例として書きましたが、私は決してこれらの考え方を悪だと
糾弾したい訳ではありません。
そうではなく、そういう考え方もあるよねと思いつつ、
私がここで言いたい事は、
「もっと穏やかに、お互いに尊重する社会になってほしい」
という事です。
その為には、もっと考え方や捉え方のバランスを取ることが
とっても大事なのではないかと考えています。
そして、急進的な考え方や極端な考え方、
分断を生みやすいカテゴライズをするのではなく、
SOGIのような誰にでもあるものを基準に、お互いを尊重して
話し合える世の中になったらいいなと思うのです。
例えば○○至上主義のように、強い思想が出てくれば、
その反対側に位置する人々は、
私たちが排除されるかもしれない!
私たちが差別されるかもしれない!
私たちの場所が奪われるかもしれない!
私たちが脅かされるかもしれない!
この様な思考が働いてしまい、その結果として
私たちを排除させない!
私たちを差別させない!
私たちの場所を奪い返す!
私たちを脅かさせない!
といった感じで、反発する思想もまた
強い思想として出現します。
つまり、反発する抵抗勢力が強いという事は
それだけそもそもの主張が強いという事だと思うのです。
そうなると思想と思想のぶつかり合い、
意見と意見のぶつかり合いが生まれます。
つまり衝突が生まれます。
大体の場合、衝突から建設的な方向には
あまり進まない傾向があります。
しかもその規模の大きさに比例して、
建設的な方向に進まない度合いも大きくなるのではないでしょうか。
ですから、反発し合うのではなく、お互いを尊重しながら
穏やかに話し合ってあらゆることが解決できる社会に
なってほしいと願っています。
尊重し合うことで、色々な事のバランスがとりやすくなり、
多くの人々にとって、より生きやすい社会を
作れるのではないかと思います。
バランスよく色々な事を建設的に解決に導く為には、
お互いに尊重し合う。
自分たちの意見を絶対だと決めつけない。
相手を受け入れる、受容する。
主張はするが、強く主張し過ぎない。
相手を真っ向から否定や批判しない。
こういうことをしっかりと実践していけば、
バランスが取りやすくなるのではないかなと思っています。
それによって、建設的な方向に動く事ができ、
あらゆる人にとって暮らしやすい社会を作る
一助になるのではと思っています。
誰にとっても住みよい社会、生きやすい社会が出来ていく事を
心から願っています。
その為に出来る事があるなら、やっていきたいと思います。