見出し画像

【日本音楽史】

[参照]
教養のための音楽アカデミア
イリエユヅチカ音楽教室
月のあかり
みのミュージック

【歴史】
神楽 かぐら
大和歌
久米(くめ)歌

【飛鳥・奈良時代】
中国・朝鮮を通じて
雅楽の原型が伝わる

【平安時代】
【雅楽】の成立
雅楽の源流は、広大な古代アジア大陸の中のインド 北部やベトナム辺りより発生した音楽や楽器がシルクロードを通って中国に伝わり、また1400 年~ 1500 年前の中東ササン朝ペルシャ(現在のイラン辺り)で発生した楽器や音楽が同じくシルクロードを通り中国へ と伝わりました。多くの様々な楽器や音楽と古代中国 の文化・音楽が中国の中で 300 年程かけて融合し統一され、我が国へは飛鳥時代から平安時代初めの 400 年 間に、その楽器や音楽が運ばれ伝来を致しました。そ して平安時代中期までには日本人の手による作曲も盛 んに行われ、現在伝承されている雅楽が完全に出来上がりました。
https://www.icd-japan.gr.jp/pub/vol54/23-vol54.pdf

[管絃(かんげん)]
(世界最古のオーケストラ)
→楽器演奏だけ
篳篥(ひちりき)→竹笛
龍笛(りゅうてき)→横笛
笙(しょう)→和音楽器
楽筝(がくそう)→琴に近い
楽琵琶→
羯鼓(かっこ)→リズム統括(コンサートマスター)
楽太鼓(たいこ)
釣鉦鼓(つりしょうこ)

[舞楽(ぶがぐ)]
→音楽+舞
●陵王
蘇莫者(そまくしゃ)四天王寺・聖徳太子
催馬楽(さいばら)衣更(ころもがえ)

[歌謡(かよう)]
→楽器+声楽

[国風歌舞(くにぶりのうたまい)]
→楽器+歌+舞

宮廷音楽
鄭声の雅楽を乱れるを悪む。
(論語 陽貨第十七)

平安時代に今の形になる
口伝
神楽(かぐら)アメノウズメ
伊勢神宮・宮比神(みやび→雅)

雅楽(明治時代)
→明治撰定譜
音曲→音楽

越天楽
五常楽(ごしょうらく)

調子
八多良拍子→むやみやたらに

序破急

[今様(いまよう)]
今様とは今日風・現代風の意味ですが,歴史的には,平安時代中期から鎌倉時代にかけて,宮廷で流行した歌謡のことを指します。これを「今様歌」といい,今様はその略です。
神楽歌(かぐらうた)・催馬楽(さいばら)など以前からの歌(古様)に対して,当代最新(今様)の流行歌という意味がありました。
 今様は主に七五調四句の形をとり,当時は長いくせのある曲調が特徴と感じられたようです。扇や鼓などで拍子をとる場合や楽器の演奏をともなう場合もあり,また即興で歌ったり,歌詞を歌い替えたりすることもありました。
 また,その形式には様々な種類があり,それら全体を指して今様と呼ぶ広い意味と,その一つを指して今様と呼ぶ狭い意味とがありました。後者の場合は「只の今様」「常の今様」とも呼ばれました。
 そのほか,仏教歌謡の影響を受けた法文歌(ほうもんうた)や,神事歌謡・民間歌謡などの影響を受けた四句神歌(しくかみうた)・二句神歌(にくかみうた),また和歌とかかわりの深い長歌(ながうた),さらに定まった形が整えられていない古柳(こやなぎ)など多くの種類がありました。

https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka05.html#:~:text=今様とは今日,という意味がありました%E3%80%82

庶民のポピュラーソング
後白河法皇がどハマり
梁塵秘抄(りょうじんひしょう)→歌詞集

【室町時代】
秦河勝が申楽・能楽の始祖
能の成立(観阿弥・世阿弥)
→総合舞台芸術
能の音楽
囃子(はやし)演奏隊
謡(うたい)コーラス隊
武士・武家との繋がりが強い
財閥をパトロンとして生き残った

【戦国時代】
1582年頃
琉球の三線(さんしん)伝来
(素材ニシキヘビ)
[三味線]
(素材犬か猫)本土に伝来
(琵琶法師が弾き始めた?)

出雲阿国(いずものおくに)女性
かぶき踊りを創始
歌舞伎の元となった
→遊女歌舞伎で三味線が使われた
人を惑わす楽器だった⁈
さまざまな種目が生まれる
→津軽三味線(吉田兄弟・蜷川べに)

【江戸時代】
[箏(こと)]
箏曲(そうきょく)
八橋検校(やつはしけんぎょう)
検校は役職
当道→盲人の自治組織のトップ
箏曲(そうきょく)の創始者
八橋の形
元々胡弓→二十歳から箏弟子入り
平調子(ひらじょうし)を開発してチューニング→都節音階を取り入れた
六段の調べ(超有名曲)
新たな流派→山田流・生田流

コトとは弦楽器全般の総称
箏(ソウ)柱(ジ)を使って音を取る
琴(キン)手で押さえて音をつくる
別の楽器→漢字の省略により統一

[筑紫箏(つくしごと)]
天文(1532-55)ころ、筑紫善導寺の僧順が、それまで寺院歌謡として伝承されてきた伴奏の歌曲を組歌形式に編集した曲をいうが、以来、箏曲に用いられる筆を雅楽の箏と区別して筑紫箏ともいい。
また、近世箏曲全体の総称として、筑紫ということもある

[尺八]
長さが一尺八寸
一節切(ひとよぎり)尺八の一種
→幕末に衰退

普化(ふけ)宗の虚無僧(こむそう)が法具として吹いていた
→普化(ふけ)尺八
源実朝(さねとも)頼朝・北条政子の息子
政治ゴタゴタあり→ 文化人、宋にあこがれ
義理の息子に暗殺される
心地覚心を宋に派遣して尺八を学んだ
虚無僧寺が増加して尺八が普及

キリシタン音楽
江戸の人々にはあまり受け入れられなかった

1820釈行智(しゃくぎょうち)
わらべ歌を集めた行智の『童謡集』を編纂

【明治】1868→1912(44年間)
西洋音楽の導入(危機感)
軍事的・外交的を意識
ヘンデル「見よ、勇者は帰りぬ」表彰式

学校教育の西洋化
授業→箏曲からピアノへ

1868神仏判然の令(神仏分離政策)
普化(ふけ)宗(仏教)の解体
尺八もいらない
吉田一調(琴古流尺八奏者)が説得

伊沢修二1851→1917(65)
『教育学』(1882→1883年)
『小学唱歌集』(1882→1884年)
『視話法』(1901年)

音楽取調掛→東京音楽学校→東京藝術大学音楽学部の母体となる
→日本の音楽と西洋の音楽をミックスして新たな日本の音楽をつくる
→俗曲改良(卑猥な歌詞)

1881年
日本で最初の音楽教科書は、文部省音楽取調掛編『小学唱歌集 初編』(1881年)で、「見わたせば(現、むすんでひらいて)」「蝶々」「蛍(現、蛍の光)」など今でもよく知られる旋律が含まれているが、これらは外国曲に日本語の歌詞を付けたものである。第1曲「かをれ」のドとレの旋律から漸次音域を広げて長音階の練習をするなど、西洋音楽の練習曲集のようであった。ただし、音楽取調掛が当初から西洋音楽教育を目指していたわけではなく、紆余曲折の結果である。

外国の音楽に日本の歌詞
→蛍の光(スコットランド民謡)

1884年(明治17年)仰げば尊し
卒業生が教師に感謝し学校生活を振り返る内容の歌で、特に明治から昭和にかけては学校の卒業式で広く歌われ親しまれてきた。
→ 乾杯(長渕剛)

1894・1911不平等条約の改定
鹿鳴館時代、近代国家の証明が必要だった
→日本の音楽教育が西洋音楽に偏っていった

唱歌教育の開始
ヨナ抜き長音階(ファとシを抜く)明るい
→日本人が歌いやすい
金太郎・もしもしかめよ

滝蓮太郎1879→1903(23)
荒城の月

1997年東芝EMIから発売
「甦るオッペケペー」より
三代目桂藤兵衛/作川上音二郎/演出『オッペケペー節』
1900年(明治33年)パリ万博での川上音二郎一座の公演をイギリスのグラモフォン社が録音したもの。
川上音二郎の声ではありません。
イギリスのEMIに保管され埋もれていたものが、1995年に再発見されました。
日本人最古の録音と言われていましたが、2003年に同時期に録音されたものが新たに見つかったため、日本人最古の録音とは断定できなくなってしまいました。しかし日本人の歌声としては最古のものではないでしょうか。

1907日本民謡全集→前田林外選訂

【大正】1912→1926(14年間)
山田耕作1886→1965(79)
(西洋音楽の父)
(日本初のプロのオーケストラ設立)
1912日本人初の交響曲を作曲
赤とんぼ

流行歌
1914カチューシャの唄が大流行
歌謡曲の先駆け
富裕層の教養目的で西洋クラシック広がる

1918童謡運動
唱歌を批判(子供向き・幼稚すぎて芸術的な深みがない!)
ヨナ抜き短音階(暗い)→都節音階に近い
楽しい→哀愁

宮城道雄1894→1956(62)
(箏曲)
水の変態
1929春の海 作曲者(正月の音楽)
西洋音楽も取り入れた

いとう呉服店(現松坂屋)創立
いとう呉服店少年音楽隊
→現)東京フィルハーモニー交響楽団の母体

武満徹(たけみつとおる)1930→1996(65)
ほとんど独学で音楽を学んだが、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器(琵琶・尺八)を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」によって、日本を代表する現代音楽家となった。
●あの人からのメッセージ
「耳をすませば〜森の中で音をつかまえて〜」
武満徹 草野心平
テープ音楽「水の曲」
系図〜若い人たちのための音楽詩〜1994
詩:谷川俊太郎・朗読:遠野凪子

【昭和】1926→1989(63年間)
第一次世界大戦特需(好景気)により
西洋音楽の人気が高まる
富裕層子供の習い事、箏→ピアノ・バイオリン

尺八・都山流(中尾都山)楽譜を出版
→既得権を放棄→資格制度の導入
楽譜の改良
琴古流

服部良一

1941年(昭和16)に文部省が出版した音楽教科書『うたのほん 下』に「さくらさくら」が掲載。教育現場に登場する。

【戦前戦後】←1945→
別れのブルース 淡谷のり子
リンゴの唄 並木路子
銀座カンカン娘 服部良一
青い山脈 藤山一郎
美空ひばり

1951
小口大八(おぐちだいはち)
九尾太鼓を創案
→鼓童1984

美輪明宏
ヨイトマケの歌1966
愛の讃歌

小野花子(秋田民謡)

すぎやまこういち(椙山 浩一)
1931→2021(90)
ドラゴンクエストシリーズ
競馬ファンファーレ
半熟英雄

フジコ・ヘミング 1932→2024(92)
ラ・カンパネラ(リスト)

小澤征爾(せいじ)1935→2024(88)
日本の男性指揮者。1973年からボストン交響楽団の音楽監督を29年間[務め、2002年-2003年のシーズンから2009年-2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた。
→N響事件とは
NHK交響楽団が、自ら招聘した小澤をボイコットし、演奏会が中止になった騒動だ。一般には、海外で成功した小澤の態度に、N響が拒否反応を示した―といった構図で語られてきた。

久石譲1950→

坂本龍一1952→2023(71)

吉川洋一郎
好き好き大好き(戸川純)
ラジャ・マハラジャー

平沢進1954→
(全き人格の回復)
マンドレイク→P-MODEL
[アルバム]
時空の水1989(ソロ一作目)
変弦自在
救済の技法1998
ビストロン2004
Gipnoza2013

パレード(パプリカ2006今敏)
TIMELINEの終わり
地球ネコ
Rotation
Lotus
BERSERK -Forces-
BEACON
COLD SONG
Nurse Cafe
Aria
救済の技法
白虎野
◎Aurora(オーロラ)
夢の島思念公園
上空初期値
バンディリア旅行団
ハルディンホテル
サイレン
確率の丘
コヨーテ
庭師king
世界タービン
金星(映画美しい星)
夢みる機械
賢者のプロペラ

川井憲次1957→
傀儡謡(攻殻機動隊 士郎正宗)
Inner Universe by Yoko Kanno & Origa.
rise ORIGA
Follow Me. 5:01.
傀儡謡_怨恨みて散る 3:40.
遠神恵賜 0:33.
ネクサス -Voice to Call- 2:17.
FIGHT. 2:05.
COUNTERATTACK. 
OO GUNDAM. 
Strike.

芸能山城組1966→
AKIRA
恐山
銅之剣舞
ケチャまつり(新宿)

姫神(ひめかみ)1980→
神々の詩
千年の祈り
日本の音楽家。1980年結成。ユニット名は、岩手県盛岡市にある姫神山に由来する。岩手県花巻市の森林の中にあるスタジオを活動拠点とし、東北地方の民謡や民族音楽に影響を受けた楽曲を作り続けている。こぶし(メリスマ)を織り込んだメロディーラインが大きな特徴。各時代で最新のシンセサイザーを用いたInstrumentalを中心に制作していたが、1990年代後半以降は、姫神ヴォイスなどの歌声や生楽器を取り入れた楽曲も多く作られている。

グループサウンド
フォーク&ロック
[昭和歌謡曲]
筒美京平
阿久悠
松本隆
演歌
昭和アイドル
いかすバンド天国(イカ天)
1989年2月11日→1990年12月29日
ゲーム音楽
シティ・ポップ
J-POP
ヴィジュアル系
安室奈美恵・浜崎あゆみ
メロコア
ジャパレゲ
HIPHOP
アイドルのグループ化
(松浦亜弥→日本最後のアイドル)
宇多田ヒカル

【平成】1989→2019(31年間)
光田康典
●-ミィス- ザ ゼノギアス オーケストラル アルバム

辻井伸行(ピアニスト)

【令和】2019→2024現在(6年間)
テクノロジー・電子音楽(DAW)
誰でも和楽器の音を使える
インターネットで気軽に
プロの演奏を見れる
教室を探すことができる
楽器を買うことができる

吉田兄弟
津軽じょんがら節

只野 徳子1981?→
津軽じょんがら節

城 南海(きずきみなみ)1989→
(琉球民謡)
◉童神〜私の宝物〜(わらびがみ、古謝美佐子)
国歌斉唱

野々村彩乃1991→
ソプラノ歌手
国歌斉唱

山口采希(あやき)1991→
軍歌

朝倉さや1992→
山形出身なまりうた
サクナヒメ
最上川舟唄

Chuning Candy
ダイナミック琉球

和楽器バンド

MIYAVI(ギタリスト)


——————————————————
【日本独自の音楽ジャンル】
雅楽

平曲
文楽
三曲合奏
箏曲
尺八本曲
歌舞伎

【日本固有の楽器】
高麗笛(こまぶえ)
琵琶
篳篥(ひちりき)
笙(しょう)
和琴(わごん)
筝(そう)楽箏
鞨鼓・羯鼓(かっこ)
三の鼓(さんのつづみ・さんのこ)
龍笛(りゅうてき)
神楽笛(かぐらぶえ)
能管
篠笛
宮太鼓
小鼓
締太鼓
桶胴太鼓
鉦鼓(しょうこ)
オークラウロ(尺八+フルート)
尺八
パーランクー
三板
小切子
笏拍子
鳴子
四つ竹
木魚
編簓
棒ささら
神楽鈴
三線
クーチョー
三味線→長唄
胡弓
大正琴
トンコリ
ムックリ
十七弦(宮城道雄がつくる)

【民謡】
民衆の、労働・儀礼などの集団の場において自然に発生し、伝承されてきた歌謡。素朴な生活感情を反映し、地域性が強い。遊び歌・祝い歌・仕事歌・酒盛り歌・盆踊り歌などがある。広義には俗謡・新民謡なども含む。
明治以前は「田舎唄」「俚謡(りよう)」「俗謡(ぞくよう)」と呼ばれていた。

[民謡の条件]
自然性・伝承性・移動性・集団性・素朴性・郷土性

町田佳聲(かしょう)1888→1981(93)
民謡の父(民謡の保存活動)
東京放送局(現NHK)入社
日本民謡大観事業→平成5年まで活動
●NHK民謡大観にかけた町田佳聲の執念

1907日本民謡全集→前田林外選訂

竹内勉1937→2015(78)
(町田佳聲の弟子)
日本の民謡研究家。東京都生まれ。 民謡研究の第一人者。10代から民謡採集を始め、のち町田佳声に師事。 1965年、第20回文化庁芸術祭・奨励賞を監修「民謡源流考」で受賞。NHKラジオで長年に渡り民謡番組を担当し、2000年3月、NHK75周年感謝状。

農作業の機械化で民謡が歌われなくなった
→限界年1990年

日本民謡大観1993全13巻
(49年)7601曲
(民謡の来歴や歴史、成立過程など民俗学的見地から注釈を加えた)→柳田國男の助言

松村和子「帰ってこいよ」

[民謡曲]
決定版日本の民謡1997
1.    そうらん節 0:00
2.    江差追分3:41
3.    津軽じょんがら節 7:30
4.    南部牛追唄 11:15
5.    大漁唄い込み 14:35
6.    さんさ時雨 17:44
7.    お立ち酒 21:38
8.     花笠音頭24:31
9.    最上川舟唄 27:31
10.    新相馬節 31:32
11.    磯節 35:28
12.    佐渡おけさ38:44
13.    木曽節 42:41
14.    小諸馬子唄 45:42
15.    山中節 49:04
16.    安来節 52:57
17.     音戸の舟歌56:19
18.    黒田節 59:07
19.    刈干切唄 1:02:13
20.    鹿児島おはら節1:05:42

民謡カラオケランキング(カラオケの鉄人)
1位竹田の子守唄赤い鳥
2位米節 宮城県民謡
3位ソーラン節 北海道民謡
4位会津磐梯山 福島県民謡
5位竹田の子守唄(生音演奏)赤い鳥
6位黒田節 福岡県民謡
7位俵つみ唄 青森県民謡
8位よさこい節 高知県民謡
9位五木の子守唄 熊本県民謡
10位武田節 山梨県民謡

子供盆踊り歌(北海道)
津軽じょんがら節(津軽三味線・青森県)
こきりこ節(富山県)
小諸馬子唄(長野県)
貝殻節(鳥取県)
炭坑節(福岡県)→盆踊り

祇園小唄(京都府)
舞妓が最初に習う舞踊曲であり、一人前になった後も毎日のように舞う『祇園小唄』。昭和5年に生まれ、五花街に受け継がれるこの唄の功績を讃え、毎年11月23日(午前11時予定)に円山公園で「祇園小唄祭」を開催しています。

竹田の子守歌(京都地方)
宮津節(京都府)
京都の田植え唄(京都府)
茶づくり唄・三木屋節(宇治市)

【日本の民謡(一部)】
越中おわら節
桑名の殿様
江戸子守唄
千藤幸蔵
竹田の子守唄
本條秀太郎
さんさ時雨
ふるさとチャイム
ちゃっきり節
斎太郎節
せり込み蝶六
民謡をどうぞ
間の山節
デカンショ節
全東北民謡選手権大会
福連木の子守唄
八戸小唄
日本民謡決定版
種まき権兵衛
クイチャー
日本民謡大賞
五木の子守唄
日本民謡協会
本條秀五郎
子供盆おどり唄
大多喜城讃歌
おてもやん
北海盆唄
室津郷馬子唄
木曽節
民謡をたずねて
安来節
甲州盆唄
江差追分
宇目の唄げんか
木更津甚句
八木節
南中ソーラン
黒田節
さくらさくら
ソーラン節
花ちゃんの民謡は日本一
最上川舟唄
ダンチョネ節
野毛節
日本縦断・民謡大全集
キンカン素人民謡名人戦
藤本琇丈
日本の民謡
イッチョライ
麦屋節
武田節
秋田民謡
長崎ぶらぶら節
ナニャドヤラ
炭坑節
根岸吉之助
クボタ民謡お国めぐり
男なら
島原の子守唄
ドンパン節
汗水節
中国地方の子守唄
佐渡おけさ
潮来節
ノーエ節

【童謡・わらべうた】
ふるさと
富士山
蛍の光
四季の歌

春が着た
早春賦(そうしゅんふ)
春の小川
さくらさくら
花 瀧蓮太郎
うみ
夏は来ぬ
ほたるこい
荒城の月
ちいさい秋見つけた
赤とんぼ
紅葉
うさぎうさぎ
冬の夜

さっちゃん
とおりゃんせ
かごめかごめ
→(ヘブライ語で訳せる?)
はないちもんめ=花一匁
この歌は食べることもままならない昔の貧しい人達が作った人身売買の歌とされた

人買いと農民のバトルの様子をうたにしたみたいです。

はないちもんめ=花一匁 と書きます。
* 花=子供(或いは女の子)
* 一匁=約3.75g(江戸時代頃の銀貨の単位)
ですから売られてゆく娘さん達を「花一匁」と例えたのではいかとされています。
はないちもんめの様に古くから伝わる遊びは、その由来について確たる説が定まっているわけではありません。
一般的には価格一匁の花を売り買いする際のやり取りだとされる説があります。
花を売り買いする歌だとそんな怖く感じませんよね。
しかし「花」は若い女性の隠語であり、一人が一匁を基本とする値段で行われた人買いに起源があるともされる説もあるのです。
この歌を作った本人しか本当のうたの意味を知らないので、一概に断言はできないという訳です。

いちもんめ・・
一匁。江戸時代、上方で使用されていた銀貨の単位で、一匁≒銀3.75gらしい。
また、5匁単位のお金しかなかったため、一文目という説もある。
ちなみに0.1銭くらいらしい。

たんす、ながもち、どのこがほしい・・・
「箪笥、長持、どの子が欲しい?」と、親が人買いに尋ねている様子。「箪笥、長持」とは
「箪笥が長持ちする」訳じゃなくて、物を入れる家具のこと。

花・・・・・・
いちもんめの「花」というのは、人生の中で喩えると青春時代であることから、「花」は若く、
働き盛りの若者(子供)である

この言葉は売る方の親が人買いの人に対して、子供を売りたくないという気持ち、とぼけている様子が伝わりますね。

【浪曲】
浪曲(ろうきょく)は、日本で明治時代初期から始まった演芸で、「浪花節」(なにわぶし)とも言う。三味線を伴奏にして独特の節と語りで物語を進める語り芸(話芸)。一つ30分ほどである。
落語、講談とともに「日本三大話芸」の一つとされ、最盛期の昭和初期には日本全国に約3000人の浪曲師がいた。その後、急速に衰えたが、復興や再評価の動きもある。

【軍歌】
兵士が行軍しながら歌う歌。日本では、明治以降に、軍隊の士気の鼓舞、戦意の高揚、愛国精神の発揚を目的としてつくられた歌、戦友の死への悲しみを題材とした歌も軍歌といわれることがある。

瀬戸口藤吉1868→1941(73)
(日本行進曲の父)

古関裕而(こせきゆうじ)1909→1989(80)
(軍歌の覇王)
福島市生まれ。30年代から、軍歌、行進曲、歌謡曲、ラジオドラマの主題歌など様々な分野で活躍。代表曲は「露営の歌」、64年東京五輪の「オリンピック・マーチ」など。

◎紀元二千六百年
行進曲「軍艦」(軍艦マーチ)
●軍艦行進曲
指揮:三島由紀夫、演奏:読売日本交響楽団
昭和43年、文京公会堂
月月火水木金金
海の進軍
露営の歌1937
歩兵の本領
荒鷲の歌
行進曲「愛国」

海上自衛隊 東京音楽隊
宇宙戦艦ヤマト 佐々木功
三宅由佳莉1986→ (海上自衛官2等海曹)

山口あやきチャンネル AYAKI
紀元二千六百年
紀元節(幼稚唱歌集)
出征兵士を送る歌
同期の桜
軍艦行進曲
ラバウル海軍航空隊
抜刀隊
勇敢なる水兵

【演歌】
明治時代の自由民権運動において政府批判を歌に託した演説歌の略。
1920年代「船頭小唄」流行頃には演歌師が活動していた。
1960年代半ばに日本の歌謡曲から大衆芸能として人気となったジャンルで、日本人独特の感覚や情念に基づく娯楽的な歌曲の分類の一つである。当初は同じ音韻である「艶歌」や「怨歌」の字も当てられていたが、1970年代初頭のビクターによるプロモーションなどをきっかけに「演歌」が定着した。なお、音楽理論的には、演歌の定義はない。

始まり→明治・大正時代
演説歌→政治・社会風刺の話芸の一種

オッペケペー節(日本最古のラップ)
川上音二郎(講談師)

1960年代後半
藤圭子→1969デビュー大流行

現代用語の基礎知識1970に
「演歌」掲載

艶歌の竜 五木寛之

ビクター4大スター
藤圭子・青江三奈・森進一・前川清

1980年代に衰退
カラオケボックスで延命

八神純子 目覚めたときに

【演歌史】
[起源は自由民権運動にあり]
演歌の起源は1877〜(明治10年代)に起こった自由民権運動の「演説歌」で、当初は書生(現在の大学生)による政治や社会批判などがおもな内容でした。やがて政治活動家が歌うようになったことから「壮士演歌」「壮士節」となり、『ダイナマイト節』や『オッペケペー節』などが流行ります。
日露戦争前後からは庶民の心情がテーマとなり、政治性よりも流行歌としての性格が強くなりました。バイオリン伴奏をつけて歌うなど大衆歌謡の基礎が作られ、職業化した「演歌師」が登場。大正時代に入ると西洋音楽の手法も取り入れられましたが、大正10年(1921)に発表された『船頭小唄』は日本固有のヨナ抜き音階で作曲され、その後の昭和演歌の基本となります。
そして昭和3年(1928)、日本ビクター蓄音器(現・JVC・ケンウッド・ホールディングス)や日本コロムビアといった外資系レコード産業の成立によりレコード歌謡が誕生。レコード会社が企画・制作を行う仕組みができ、それまでの演歌師に代わって洋楽系歌手が登場しました。

[ラジオの普及で「田舎調」が流行]
昭和20年(1945)の敗戦後、戦前から続く文化は封建的とみなされ、アメリカから流入したジャズ調のレコード歌謡が「都会調」として主流になります。レコード会社は疎開していた歌手たちを呼び戻すとともに、新人歌手の開拓に奔走。天才少女歌手と呼ばれた美空ひばりもこの頃にデビューしました。
やがてラジオが全国に普及すると、地方を舞台にした「田舎調」の楽曲が誕生し、春日八郎や島倉千代子らの曲がヒットします。日本らしい特徴を持つ田舎調の楽曲のヒットは、都会調で席巻されていたレコード歌謡に衝撃を与えました。これにより都会調を代表する美空ひばりも田舎調に近い楽曲を発表し、後年「演歌歌手」と呼ばれるキッカケとなります。

[流しから発生した「艶歌(えんか)」]
1960年前後になると、「流し」の系統がテーマとなる「艶歌」ジャンルが誕生しました。流しとは、ギターなどの楽器を持って酒場を巡り、客のリクエストに応えて歌ったり伴奏したりする人のことです。代表的な艶歌歌手・こまどり姉妹は、三味線流しで暮らしていたという生い立ちから「貧しさ・不幸」というイメージでプロモーションされました。
また、流しは任侠との親和性が高く、昭和37年(1962)にデビューした北島三郎は『ギター仁義』『兄弟仁義』など任侠をテーマにした楽曲を発表しています。

[演歌の知名度が広がる]
昭和38年(1963)、コロムビアを退社したスタッフたちが演歌専門レーベル「日本クラウン」を設立しました。これにより流行歌と演歌が分裂していきます。この頃、吉永小百合らの「青春歌謡」ジャンルが誕生し、海外からはザ・ビートルズなどのフォークロックやブルースが流入。日本の音楽界の楽曲ジャンルは一気に多様化しました。
昭和41年(1966)作家の五木寛之が音楽ディレクター・馬淵玄三をモデルにした小説『艶歌』を発表します。当時の艶歌は政治批判精神を欠いているとして一部の人々から否定されていましたが、この小説は芸能化した艶歌を肯定的にとらえ、音楽ジャンルとしての「演歌」の確立に大きく貢献しました。
その後、有線放送を通じて美川憲一の『柳ヶ瀬ブルース』が大ヒットし、ブルース歌謡にフォーク要素を取り入れた藤圭子がブームに。これにより演歌の知名度は上がり、若者のあいだにも演歌歌手の存在が広がりました。
 
[演歌の形式化とカラオケの登場]
1970年代後半に入ると五木ひろしや八代亜紀の知名度が上がり、モダンな曲調と長い下積みというエピソードも相まって人気を誇りました。一方で演歌は形式化し、過剰にこぶしをきかせるなど特徴的な要素を商業的に消費する流れが続きます。昭和52年(1977)にカラオケが登場すると夜の盛り場で演歌が歌われるようになり、都はるみの『北の宿から』、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』などがヒット。テレビ番組では演歌歌手をメインにした「NHK歌謡ホール」もスタートしましたが、ヒット曲より過去のスタンダードナンバーが中心でした。
その後、カラオケボックスが普及し若者のカラオケ利用が広がると、演歌の占める割合は徐々に低下していきました。

[平成時代の演歌市場]
平成に入ると、J-POPと呼ばれる若者世代の歌がレコード歌謡のほとんどを占めます。この変化に伴い、レコード歌謡全般を指していた「歌謡曲」という呼称は、特定の時代の特定ジャンルの楽曲を指すようになりました。演歌の市場規模は縮小し、一部レコード会社では演歌部門が撤退。そのなかで、平成12年(2000)に氷川きよしが、平成20年(2008)にはアフリカ系アメリカ人のジェロが日本で演歌歌手としてデビューします。

[熱狂的なファンをもつ演歌]
平成以降は「演歌」という新ジャンルを築いた歌手が相次いで亡くなり、NHK紅白歌合戦の常連だった大御所たちも存在感が衰退していきました。また、昭和時代のような目立ったヒット曲も登場しなくなりました。現在、演歌を支えるのは青春時代に演歌に触れていた世代で、若者世代は演歌から遠のいています。しかし、一部のテレビ局では演歌のレギュラー番組を自社制作しており、演歌は現在でも熱狂的なファンに支持されています。

【海外にみる演歌の歴史】
[台湾で流行した「台語歌」]
台湾では、戦前に日本語教育を受けた世代が日本の歌を聴いていたことから、日本でヒットした演歌の大部分は台湾語でカバーされ続けてきました。台湾人歌手の歌謡ショーで、日本の演歌が歌われることも多かったようです。
台湾で作曲されたオリジナルの演歌曲も多数あり、題材や歌唱法は日本の演歌と変わりません。台湾での演歌は「台語歌」と呼ばれ、現在でも高い人気があるようです。

[共通点の多い韓国の「トロット」]
韓国の大衆歌謡「トロット」と日本の「演歌」は、メロディ、リズム、特徴的な音階、こぶしをきかせた歌い方など多くの共通点があり、ルーツが同じだという説もあります。トロットは韓国演歌とも呼ばれ、「釜山港へ帰れ」はNHK紅白歌合戦で歌われたことがあるほど日本でも親しまれています。戦前の韓国では、日本の演歌が翻訳され韓国人歌手によって歌われることもあったようです。
日本でも翻案された韓国の歌が人気を得たことがあり、1970年代後半以降は桂銀淑ら韓国人歌手が活躍しました。

いいなと思ったら応援しよう!