みみをすませば
何の違和感もなく、まいにち耳にイヤホンをつけて、音楽なりラジオをきいている。
情報収集だったり、すき間時間をりようして音声コンテンツで勉強だったり。
これって、かくじつに耳が肥えてきてるきがする。
いつでもどこでも、すきな音楽が、すきな声が聞ける。これっていうことなしの、最高なことなんだけど、便利過ぎるのってちょっと寂しい気がしませんか。
寂しいというか、うまく言葉でいえないんですけど、こう・・・
んー、生のおと?を聞きたいっていうのかな。
ひとの声じゃなくて、もののおとだったり、小さなおとかな。
たとえば、靴で砂利を踏んだ時の「じゃりっ」っておと。
池に小石をなげたときの「ぽちゃっ」っておと。
初期のプレステで、ソフトをローディングするときの「きゅいーん」っておと。
野菜を包丁で切っている「とんとん」っておと。
キンキンに冷えたビール缶を開ける「ぷしゅ」っておと。
おふろが沸いた時にしらせてくれる「おふろが沸きました」っていうアナウンス。
こういう小さなおとにみみをすませると、なんかたのしい。
小さなおとにこそ、思い出が深く刻まれている気がする。
いま、溢れているおとには思い出がない。
もし、思い出におとがあるんだったら、どんなおとなんだろう。
たまにはイヤホンをはずして、まわりの小さなおとにみみをすませたい。
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