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花束を日々に


日々は“なにげない日“で束ねられている。
その“なにげない日“に花を添える。
すると、なにげない日は“特別な日“に化ける。

私は花を贈るというコミュニケーションが好きだ。

きっと“言葉にできない想い“を形にできた気がするからだろう。

(同僚に贈った花束)

愛とは言葉ではなく、行動であり
誰かを想うとき“行動“を伴う自分で在りたい。

自己満足だとしても、大切な人の大切な日には花を添えたい。

草かんむりに化けるで「花」
なにげない草が花に化けるように、見えていなかった想いが鮮やかになる。

花束を贈られると“終わりの始まり“を意識する。
花の命は短いからだ。

花は枯れゆくから美しい。
命も果てるから美しい。


日々に花を添えるという行動は、3万7千年前からあったそうだ。
ネアンデルタール人が遺体に花を供えていたという。※諸説あり

言葉にできない想いに直面し“美しい“を集め、
束にして、故人に添えたのだろう。

3万7千年前から続くロマンチックな行動は、
人を人たらしめる。

お花屋さんの前で、贈る花を悩んでいる現代の悩んでるタール人。みんな遠い親戚なのだ。

私には行きつけのお花屋さんがある。

店員のヨウコさんは、花を贈る相手の人物像を伝えると、その相手をイメージした花束を作ってくれる。

(お仕事中のヨウコさん)


「こういう相手に贈ります」という注文方法。

出来上がった花束を受け取る時、言葉にできなかった言葉を受け取れた気持ちになる。

(同僚に贈った花束)



人生を豊かにするのは「出逢い」や「縁」だ。
出逢いや縁に時間やお金を使えた時、私は豊かさを感じる。

高級レストランでの食事より
食事を我慢して昼休みに花束を受け取る

その時間こそが私を私たらしめる。

出会いの数だけ別れが増え、別れの数だけ贈る花束が増える。

誰かと交わした言葉の1つ1つを束ねるよう、
私の人生はこらからも花束で彩られるのだろう。

日々変化する通貨の価値より、豊かさを感じる
想いがある。

いずれ、目の前の全ては灰になり土に還る。

目の前の“人”と“今“を過ごせたことに感謝を込め、花束を。


3万7千年後も“想い“には変わらぬ価値がある。

(それでは聴いてください↓)

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