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打算か、愛を思い出さんか?
資本主義社会は打算的に生きることが必要。
私は必要以上に打算的になっていないか。
いま一度立ち止まってみる。
毎日さまざまな決断を繰り返して生きている現代人。流れてくる情報の配信者は成功者に見え、フォロワー数=人間的価値のような錯覚を起こす。
資本主義社会で強者の声は通りやすく、弱者の声には誰も耳を貸さない。経済的成功こそ人生の勝者だと世間は煽る。
ただ、成功者の頂点とされたスティーブ・ジョブズは生前こう語っている。
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同社のCEOを務めた。
私がずっとプライドを持っていたことや富は、 迫る死を目の前にして色あせていき、 何も意味をなさなくなっている。
私も“ハッ“とさせられる事があった。
私は犬を飼い始める前、実家の母に相談をした。
実家も犬を飼っていたので、何かアドバイスが聞けるのではと考えたのだ。
「犬を飼おうか迷っている」と母に伝えると
「何を迷う事があるのか?」と聞かれた。
“新築で買った家が痛むのではないか?“とか
“売る時に値が下がるのではないか?“とか
“臭いや汚れが気になるかも“と…
母はこう諭した。
何のために家を買ったの?中古で売るため?汚さないで使うため?家族と豊かな時間を過ごす為じゃないの?豊かな心を育むためじゃないの?
頭部をブン殴られたような衝撃だった。
この母に育てられた私が、随分と打算的じゃないか。将来への不安から打算と愛のバランスを欠いた。
何かを選ぶと、一方の可能性が消える。
例えば家政婦に子育てを任せば
その時間にお金は稼げるが、初めて立つ我が子の歴史的瞬間に立ち会う可能性が消える。
誰かに対価を払い何かを委ねた時、自分が得られた感動を放棄することになる。
打算的になるなとは言わない。
人生は長い。計算も必要。
ただ、人生というのは瞬間の連続とも言える。
必要以上に打算的になると、もう一方にあった真っ直ぐな愛を失う可能性がある。
愛でメシは喰えない。その通りだろう。
ただ、“打算的か、愛“かの
区別を誤りそうな時、バランスを欠く時
自分が死ぬ直前の走馬灯を思い描いてみる。
私が思い出すのは、きっと…
“真っ直ぐな愛“だ。
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