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好きにならずにいられない
北欧映画なるものを観た。
なんやら怪しい扉を開いてしまった感があり、面白い体験だった。
「好きにならずにいられない」という映画。
監督と脚本はダーグル・カウリさん。初めて知ったが本作を観て、既にややファンだ。
主人公はフーシという、モテない40代の太った男性。わたしはついつい、同僚のY原T也さんを彼に重ねてしまった。
(本人の名誉にかかわる為、イニシャルのみ)
そのせいで感情移入がスムーズだったし、リアルさを加速させた。
北欧映画だからなのか?ハリウッドによくあるジェットコースターのような展開はなく、淡々と物語は進んでいく。
錆びれた遊園地に置いてある、100円入れると動くパンダの乗り物みたいなペース感。
だから妙にリアルでドキュメンタリーを観てる感覚を覚える。
物語は進み、残り5分。
私は無意識に(おい、希望を見せてくれよ?おい、カウリさん!希望を待ってていいんだよな?)と焦り始める…
そして映画は静かに終わるのだ。
わたしは痛感した。自分の傲慢さを。
フーシは報われて欲しいとか、
フーシは幸せになって欲しいとか、
そんなのは全て自分本位な発想で
「誰にとっての?」という問いが欠けているということ。わたしが観たかったのはわたしにとっての幸せと、わたしにとっての希望だったのだ。
映画を観終わってしばらくして、わたしはフーシの「大きな一歩」も「大きな希望」も見えてない観客の一人だったとわかる。少し凹む。
劇中でも、フーシの周りは◯◯すべきだとか、◯◯を知るべきと自分の物差しを押し付けてくる。
私はそんな悪役と大差はなかったようだ…
吉H達Yさん
(本人の名誉に関わるのでイニシャルのみ)に彼女を作る!とか
◯◯すべきだ!とか鼻息荒く言っていたが、誰にとっての?が欠けていた。
この作品は現代社会を上手く映し出している。
真面目に生きてる人ほど生きにくい世の中。
それでもフーシは誰の悪口も言わないのだ。
フーシが恋に落ちた彼女のこんなセリフが印象的だった。
「空港の中が大好きなの。旅が始まる場所だけど、まだ何も起こってない」と…
フーシは自分の働く空港をこんな風に表現してくれた彼女に、自分という人間を肯定された気がした。
その事が彼には「大きな一歩」だったように感じる。
目の前の人にとっての「大きな一歩」も、「大きな希望」も見逃さない。人の悪口も言わない。
劇的な展開でなくても、何気ない日々の中にある希望を見つけられる人でありたい。
ありがとうフーシ、ありがとう吉原達也さん。