「悪書を避けよ」という考え方から感じ取ったのは本を選ぶことよりも普段接するメディアとの付き合い方だった話し。
どうも、大関です。( @nobooknolifeso)
僕は読書が大好きだ。虫は大嫌いだけど、本の虫だ。ジャンルとしては小説、ビジネス書、ノンフィクションなど、ほぼ毎日、本を読んでいる。本を読むのに飽きたら、他の本を読んだりもする。ここまで来ると、ある種の変態である。
読んでみないことにはわからないけれど、楽しい本、為になる本に出会うこともあれば、楽しくない本、読みはしたものの頭の中に「?」が浮かぶ本に出会うこともある。
読みたい本はどんどん増えていく。
「何を読んだらいいんだ!」と思っていたときに『デカルトの憂鬱』という書籍に出会って、本を選ぶ基準が変わった。その内容を共有したいと思う。
「悪書」を避けよ!
デカルトが言うに、下記の3種類の悪書が存在するのだとか。
1、「邪悪なものと出鱈目なもの」
2、「論争的な書物」
3、「紋切り型の論題や注解、概要ないし索引など」
検証可能なデータや証拠がなく、反社会的な人の不純な動機で書かれた「邪悪なものと出鱈目なもの」。
自分とは考えや生まれや育ちが違うという理由だけで、他人を攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動からなる本である「論争的な書物」。
要約版やダイジェスト版、解説書を読んだだけで、それを理解した気になるなと戒める「紋切り型の論題や注解、概要ないし索引など」。
これまでの読書生活を思い返して、その様な本ばかり読んできたのではないかと反省したと同時に、
「いや、待てよ……。これってSNSにも当てはまっていないか?」
とハッとさせられた。
特に1、2、の項目が当てはまると思う。
Twitterやネットニュースなどでバズってリツイートされてくる情報、話題になる情報。いわゆるフェイクニュースだったり、とある芸能人が発言した内容を批判したものだったり……。炎上した話題に集まってきた人たちがさらに薪をくべる。そういった情報を追えば追うほど、自分の時間は減っていくし、精神衛生も害されていく。
そうした内容を自分が発信していないことを祈りつつ〆たいと思う。