「一体、誰が悪いのだろう」と胸糞悪くなった「人間の羊」から財務省のセクハラ問題を考えてみた話し。
どうも、大関(@nobooknolifeso)です。
財務省のセクハラ問題
(https://www.google.co.jp/amp/biz-journal.jp/i/amp/2018/04/post_23039.html)
が報道されていたときに思い出したのが大江健三郎さんが書いた「人間の羊」という物語だった。(『死者の奢り・飼育』に収録されています)
かいつまんで、物語を説明すると、小説の舞台はアメリカの占領下にある戦後日本。主人公はバスに乗っていたところ、酔っ払った米軍兵3名に絡まれる。怒った米軍兵にズボンを下ろされ、下半身丸出しで四つん這いにさせられ、「ひつじうち、ひつじうち、パンパン」というリズムに合わせて尻を叩かれる。主人公だけではなく、居合わせた乗客数名も同じ目にあわされます。
降車場所に着いた米軍兵はバスを降りていきますが、米軍兵たちがやっていたことを傍観していた教師が憤慨し、米軍兵たちを訴えようと声を上げます。ただ、主人公を含めて、被害者たちはバス車内であったことを公表したいと思いません。米軍兵にされた仕打ち、自分の名前を世間に出されることを考えたら当然です。そんな雰囲気に教師は納得しない様子。
降車駅に着きバスから降りた主人公ですが、教師はなおもしつこくつきまとい言います。傍観していた自分も悪かったが、米軍兵を訴えるべきだ。こんなことがあっていいはずがない。誰かが犠牲にならなければ、いけない。つまり、君が犠牲の羊になれと。
教師とともに交番へ行きますが、主人公は被害届を出すのを最後まで渋ります。そして、教師からのつきまといから離れるために、主人公は教師を突き飛ばして逃げますが、教師は家の前までもついてきます。
そこで、主人公に対して最後に言い放つのが、こちら。
「俺はお前の名前をつきとめてやる。・・・お前の名前も、お前の受けた屈辱もみんな明るみに出してやる。そして兵隊にも、お前たちにも死ぬほど恥をかかせてやる。お前の名前をつきとめるまで、俺は決してお前から離れないぞ。」
主人公は被害者なのに、教師の正義感のせいで、いつのまにか主人公が悪者のようになってしまった。
状況は違うけど、財務省のセクハラ問題をそれぞれの立場に置き換えてみると、このようになる。
主人公:セクハラ告発者(共同通信女性記者)
米軍兵:セクハラ加害者
米軍兵に辱めを受けた人たち:セクハラ被害者一同
教師:財務省
もちろん、記者という立場から見れば実名を出して当然と思った人も多いはず。でも、僕は腑に落ちなかった。
被害者が悪いようなニュアンスがあったから、かもしれない。
無意識のうちに、正義や常識を振り回すと被害に苦しんでいる人をより苦しめることがあるということを感じとった。