言葉の奥を感じることと”察してちゃん”
事業承継チャレンジが終了したワタシ。今は新しい道を歩み始めた。
今、いろいろな方と接する機会がある。会話をする機会が多い。対面でもweb上でも。
何の本で読んだか、なかなか難しいことを言われた。たぶん、これだと思う。この本だと思う。
言われたのは
「言葉の奥を感じること」
言葉の奥を感じること。
#大切だと思い 、2回言った
言っていることと、考えていることが違うことがある。
「大丈夫だよ」と言いながら、
大丈夫だと思っていない。
「いいね」と言いながら、
いいとは思っていない。
「いらない」と言いながら
欲しいと思っている。
よく考えたらめんどくさいこと。
要は「察してちゃん」。
ん?なんかこう考えたら「言葉の奥を感じること」ってどうなんだ?って思うようになってきた。
いや、「世の中けっこう察してちゃんが多いから、言葉の奥を感じて行きましょう」ってことか。
それならわかる。
と言いながらも、ワタシも察してちゃんの一員だ。
ホントは〇〇したいのに、「いいよ、いいよ」と言っている。摩擦を恐れてそう言っている。逃げている。
ただ、摩擦を恐れているだけで、察して欲しいとは思っていないから、「察してちゃん」でもないのか。
#どっちだよ
#ちゃんと考えてから書け
そして、この「感じる」ことは対面だと情報が多いので読み取ろうと努力することは可能。
たとえば、細かい目線の動きやらしぐさやら、体温やらやら。
これがweb上だと難易度が格段と上がる。言葉だけを受け取ってしまうことも多い。言葉だけだと、なかなか奥を感じることは難しい。
ということは、相手も同じこと。
webで話をするときは対面以上に動いたり、リアクションを取ったりしていった方が良さそう。相手にも言葉の奥を感じとってもらうように。
あ、直球を投げればいいじゃんって思ったけど、ワタシも察してちゃんのためなかなか難しい。
もう少し直球投げたいな。
#新しいチャレンジ
#どうせ上手くいく
#これでいい
#これがいい
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