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これが「実力の無い人」こそ発信者になるべき最大のメリット
はじめに
森下眞之介こと、僕は基本的に実力はありません。
野球はもちろん、勉強も、大学の成績も秀でたものはありません。
ただ、僕自身が大学2年から始めたTwitterでの発信がなければ、
もっと野球は下手なままだっただろうと実感している、
発信したからこそ、頑張れたことが僕の中でたくさんある。
その内容について、考察したのでよかったら最後まで読んでいってください!
本編
過去の自分を振り返った時に、
誰にも評価されない、見られない物事に関して必死に頑張れたことってありますか??
ただ自分が満足したいから、って
苦しいことを乗り越えられたことはありますか?
僕自身は、そのような経験は思い出せないくらい少なく、
逆に、
「4000字の期末レポ―トはどうせなら良いものにしよう」
「練習は苦しいけど頑張る自分を応援してくれる家族のために甲子園に行くんだ」
などなど
非常に苦しかったり、大変な思いをして取り組んだ物事には
必ず自分を見てれている、見ている他者の存在があった。
人は何か大きな課題を乗り越えるときには、他者の存在が必須であり、
その存在のおかげで頑張り切れることがほとんどである。
SNSで発信することは、人に見られることである。
人に見られるからこそ、
より良い自分でありたいと願うものだ。
特に男性に関しては見栄っ張りであり、
かっこ悪い自分をさらすことには抵抗があるだろう。
ここで、「かっこ悪い」について追記しておきたいが
実力がないことはかっこ悪い事でない。
実力がない時に、上を向いて頑張っていることはかっこいいとは言えないだろうか。
①実力がない×何もしない
②実力がない×成長するために頑張る
①はかっこ悪くい。
②は「かっこいい」という評価になりやすいだろう。
実力が同じでも、
その物事に対する姿勢が変わると、
かっこよさは180度変わる。
話を戻しますと、
人に見られることにより、
きついことや大変なことも頑張れる。
例えば、
部屋が汚い人でも友人を呼ぶときには少しは掃除をするだろう。
一人部屋に籠って勉強するよりも、
受験生が集まるカフェに行った方が勉強を頑張れるだろう。
その延長線上に、SNSでの発信はある。
人に見られる意識と
その環境に溢れるすごい人たち。
その中に飛び込むことで
勝手に自分も成長していく。
まとめ
時には、優しさのない言葉に傷つくこともある
そのようなネガティブな面も含めても、
「自分」を発信することは、
自分自身を成長させてくれるものである。
成長したければ、
身近に頑張っている人を置くこと
そして、
たくさんの評価を受けることが大切である。
その両方が行える環境に現時点に身を置けている人は少ないだろう。
ましてや、実力の無い人は他人に興味を示してもらえないことが多く、
成長しづらくなっているだろう。
だからこそ、
自分を発信することで
成長しやすい環境を生み出し
成長へ繋げて行ってほしいと願っている。
実力がない人こそ、
発信していく事で
自分自身の成長に繋げられる
恥を捨て、未来の自分のために発信してみてはどうだろうか??
おわり
最後まで読んでいただきありがとうございました‼️
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