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こんな不幸な1日ある!?

 

今日は本当に不運な一日だった。

早起きして試合会場へ向かう一本道が工事で通行止め。

ナビにも出て無かったので、工事現場についてからのUターンからの十数キロの迂回させられた結果、遅刻。

フルイニングで出場する予定だったが2打席にデッドボールを受け、負傷交代。

主審をたくさん、ずっとやることに。

17時にグランドを後に。

夕立が激しく、服がずぶ濡れになった。

その後に、マックのドライブスルーでもまだ雨が激しすぎて

注文するために窓を開けたら再度ずぶ濡れに。


本当に、今日は不運な一日だった。












こんな悲しい考え方って損だと思いませんか?


ここまで書いたことは、
本当に今日起きた出来事です。

十数キロ迂回してきたし、

デットボールを受けて負傷交代、

マックでずぶ濡れになった、ましてや車の中も…


ただ、この全てを他責であると考えていると

とても苦しい生活になってしまう
のではないだろうか。


少し話を変えます。

責任を持つことで
その人は自由を得ることができる。

これについては、
なんとなく納得できる方が多いのではないだろうか。


例えば、
バイト先の店長は責任者です。

僕らがミスをしたときに謝罪し、責任を負います。

だから、採用不採用は店長が決めれるし、

シフトも店長の自由が効きやすい。


責任を持つものが自由を得る


では、

先ほどの愚痴はどこに責任があるように書いてあるのか。


・工事を明記してないナビ

・デットボールで変えた監督

・雨

自分は悪くない。
全部、周りのせいなんだ。

と言わんばかりの内容です。


この、他責思考の何が不幸か。


様々な意見がありますが、私はこう思います。

「自分の人生なのに自由がないと感じる」


先ほどの繰り返しですが、

責任を持つことで自由も獲得する。

この責任を、自分以外の他のものに与え続けたら、


なんと!

自由がどんどん無くなっていくではありませんか!


これがどれほどの苦痛か。

世の中にとして使われている感覚が一生続くってこと。


私からすると、恐怖でしかありません。


やるべきこと

①不運な出来事から「主体的な選択」を思い出す。

工事による迂回

その工事する道に入る数キロ前の看板に

一瞬「全面通行止め」の看板が見えた。

この時に、しっかり確認すればよかった。

主体的に「看板を無視」した結果が
遅刻に繋がった。


デットボールと交代

デットボールに関しては、

1ボールでの二球目。

ピッチャーはリーグ戦でも戦う

カットボールの良いピッチャーだった。

初球も顔の近くのボールだった。ここで、

「ボールが浮いている。しっかし踏み込んで、ストレートもカットも浮いたらかっ飛ばす

と考え、
インハイに来たボールを振りに行った。

曲がったらストライクになるような高さ。


振りに行く!

曲がらない!!

ドコン!!!!(デットボール


デットボールは打ちに行った代償。


そして、交代について。

「出続けたい」を連呼したが、
「明日もあるから大事をとろう」という意見を聞き納得。


長い長い主審

これは、

普段お世話になっているチームへの感謝になる。

いつもありがとうのつもりで全力で主審をやり通した。



「主体的な選択」

意外と忘れがちになってしまう。

全て、自分が選択しているんだ。


なんで勉強してるの?

なんでバイトしてるの?

なんで学校にいってるの?


自分の主体的な選択を見つめなおそう。

そうすると、

自分が自分の選択で生きていることを把握できる。


②行動する時に自分がその行動を主体的に選択したことを把握する。


今後、何かしていくときに

「主体的な選択」に基づく部分にフォーカスして行動を積み重ねていこう。

自分が選択をしていることを実感し続けよう。


その中で、
思い通りにならないこともたくさんある。

ホームラン打ちたいのに簡単には打てない。

140km/h出したいのに全然出ない。

もっとカッコいい男になりたいのに、全然なれない。

その悔しさに立ち向かうときこそ

自分を成長させ、
好きな自分を作っていくこと

である。


大人の自己肯定感って

「好きな自分を育てていくこと」

だと思っている。


未来に向けて「主体的な選択」を繰り返し、

好きな自分を育てることで、

自己肯定感は無限に積みあがっていく。



まとめ

自分がやっていること全て
自分がそうしたほうが良い!そうしたい!

主体的に選択したことの積み上げである。


経済的な自立を行えていない人は、

厳しい側面もあるので一概には言えないが、

自分がどう生きるかの、候補は環境が提示してくれる。

親であれ、教員であれ、社会の風潮であれ。

ただ、

自分がどう生きるかの、選択は自分が行ってきている。


主体的な選択に気づこう。主体的な選択を楽しもう。

そして、

メンタルの自由を得るために、

自分の人生は自分で責任を持とう。



この積み重ねが、
メンタルを健全なものにし、
自己肯定感を無限に増やしていくことだろう。


私も、未熟な22歳。

主体的に生きて、自己肯定感を無限に上げていきたい。


おわり

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