未来は過去の再編集
最近ビジョンへの考え方が変わった。僕が立ち上げたニューピース社では、Visioning(ビジョニング)という概念を掲げ、10年間仕事をしてきた。
最初はスタートアップのビジョン開発が主で、とにかく社会や市場の未来を構想して、言葉やビジュアルなど表現の力で描くことが生業だった。(今もその相談は多い)
ただこの数年はパーパスの必要性が叫ばれるようになり、大企業や老舗企業さらには地方自治体や政治分野からも相談を受けるようになった。問いを共通化するなら、「この時代に、未来に向かってどのような旗を掲げたらよいか?」
もちろん強いトップダウンで、意識と行動を変容できる組織であれば、(一見突飛に思える)非連続なビジョンでも機能させられるが、僕が知る限りそういう組織は多くはない。
相談をもらった時点で、成長に陰りが見え、経営の求心力は弱まり、現場の声のほうが強くなっているケースは多い。または政治のように現場にこそ主権があるケースも。そういう組織においては、非連続なビジョン自体が受けいれられない。変化の可能性を信じてもらえないからだ。
そうなったときに、プロセスとしてボトムアップで意見を聞きながら、巻き込みながら形にしていこうとやりがちだが、僕は悪手だと思ってる。というのは、現場には中長期の時間軸なんて視座はないからだ。未来志向ではなく現在志向になる。
じゃあどうすればいいのか。と悩んだ僕が辿り着いたのは、未来を未来として描かないこと。未来として掲げたいことを、過去の歴史の中に見出すこと。つまり所与のストーリーとして捉え直すということだ。
例えば、最近福岡出張に行ったので福岡市で言うならば、福岡市は“アジアのリーダー都市“というビジョンを掲げている。その根拠を「今後アジアが伸びるから」と語るのではなく、「遣唐使に始まり、福岡は歴史上ずっとアジアの玄関口として栄えてきた」と語る。すると、ビジョンは妄想ではなく強固なアイデンティティになる。
独自性は英語でOriginalityというが、要するにOrigin(起源)にこそヒントがある。そこから紡がれた歴史(History)の意味を再解釈すること。新しい物語として再編集することがビジョンとなる。
それは過去を生きた人々を肯定し、より多くの人を巻き込むリーダーシップになる。これは地方のビジョニングに関わらないと気づけなかったことかもしれない。この学びを、仕事を通じて社会に還元していきたい。
P.S.
この冬ニューピースメンバーの企画で、茨城県立歴史館にて「なぜ恋してしまうのか?展」を開催するので良かったら観てみてください。