まちづくりは、ものがたり。(新湊内川の場合)
この数年関わりを深めているのは、地元富山県のビジョニングだ。新田知事になり、「幸せ人口1000万」(ウェルビーイングを高めて関係人口を1000万人にする)という新たなビジョンを掲げ、その旗のもと様々な施策を展開。その一環で毎年「しあわせる富山」というカンファレンスをやっている。
今年の会場は、富山の中でも僕の生まれ故郷である射水市、新湊内川というエリアだった。川といっても海と繋がってる漁港であり、漁師町である。もちろん今も漁業が営まれており、白エビや紅ズワイガニをはじめ、様々な魚種が水揚げされている。
そんなエリアも全国の地方と同じように高齢化が進み(現在も一番多い人口分布は85歳以上の女性!)、外から人が来ることなく緩やかな衰退に向かっていた。年々まちが暗くなっていた。
しかし12年前に、尾道から移住された明石さんが、一軒の空き家をリノベーションして六角堂というカフェを開いてから、少しずつこの情景を魅力に感じる人が広がり、宿やバー、レストランなど、川沿いが少しずつ商いが生まれ始めている。
そんなローカルな人たちによるトークセッションがあった。僕の中でのまちづくりのイメージが更新された。
まちづくりというと、どうしても「何が課題か」「どこに何を作るか」「どんな計画か」に焦点が当たりがちだが、それは機能の話でしかない。機能であれば、より便利な文明が求められる。
だが、実際そこにいる人たちがやってるのは「伝承」であった。
漁師の町屋を受け継ぎ、デザイン事務所と小さなお店を開いた明石あおいさん。周囲の反対を押し切り、海風で錆びれた外壁を生かした隠れ家ビストロを開いた齊藤さん。または、年々人が居なくなるまちの中で、営業時間は終わってでも、店の灯りを点けつづけていたおじいさんの想いを受け継いで居酒屋をつくった地元20代の五十嵐さん。
ここに居ない人の名前を挙げればキリないが、とにかく内川に何かを感じた一人一人が、まちに転がっている思い出を拾い、建物も体験もリノベーションしながら、物語のように紡いでいる。
その様子を、地域おこしのプロであるさとゆめの嶋田さんが「まちづくりは物語なんだ」と言って、その通りだなと膝を打った。
物語として考えたら、まちの面倒臭い人も、トラブルも逆境も、すべて物語を面白くする要素になる。逆にほとんどの行政は、機能でまちづくりを考えるから、文化が抜け落ちて、まちのリズムを失う。(射水市にはそのセンスを持った役人がいた…!)
「風景がどうあるべきかを考えることは、どう生きていくかを考えることである」。文化研究者の惠谷浩子さんの言葉だ。
まちづくりでは、「景観十年、風景百年、風土千年」と言われる。だからこそ、内川ではハード重視の景観条例ではなく、もっと営みまで含めた風景(情景)条例をつくれないかと考えている。なぜなら、文化は永く続くことで、価値になっていくものだから。
奈良時代の歌人、大伴家持はこのエリアで220余の歌を詠んだと言われている。それだけ、情緒に迫る風景が当時からあったのだろう。
僕が小学校の頃、そんな大伴家持の歌を暗唱し、演劇をしていたことを思い出した。あの頃は意味が分からなかったが、これはこの土地の物語だったのだ。そしてあれから四半世紀経っても、僕は覚えている。その感性が、まちへの想いに繋がっているのかもしれない。