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昭和100年。渡辺恒雄さんの死去に寄せて
ナベツネこと渡辺恒雄さんが亡くなった。享年98歳。何十年にもわたって、読売新聞グループ本社の代表取締役主筆に君臨し、絶大な影響力を誇った。
巨人のオーナーとして、プロ野球界での伝説は数多あり、「俺は最後の独裁者だ」と自ら語っていた。「メディア界のドン」「政界のフィクサー」とも呼ばれたナベツネは、政治部記者として築いた圧倒的な人脈と情報網を武器にして、権力を手に入れていった。若き頃は、元々のオーナーである正力松太郎と中曽根康弘の連絡役を担っていたとか。
(ちなみにどうでもいい話だけど、正力松太郎さんは地元が富山県射水市で同じで、高岡高校の大先輩である。高校の廊下には正力さんの書が沢山飾ってあった)
改めて、一時代の終わりを感じるニュースである。昨日も、ホンダと日産(三菱)の経営統合の報道を見て、ついに日本の自動車産業もここまできたかと思った。マスメディアのビジネスモデルも影響力も、明らかに耐久年数の限界を迎えつつあるし昭和が終わりつつある。
来年でちょうど昭和100年である。
今SNSを見ていても、「昭和 vs 令和」となっている感じがする。価値観がぶつかり合ってる景色を見るほどに、まさに時代の変わり目なんだと思う。今年の流行語大賞に選ばれた『不適切にもほどがある』もまさにそんなテーマだった。まぁ流行語大賞って、という感じではあるが。
どちらがいいとかではない。昭和の集団主義的な強さは何かを成長させていく上では不可欠だし、令和の共感・共創的なスタイルも新しいものを生み出していく上では必要だ。水と油のように見えるが、いろんな世代がいる以上、結局ハイブリッドモデルでやっていくことが求められるのだろう。
こうやって考えれば考えるほど、自分がほぼ生きてきた平成とはなんだったんだろうと思う。令和か昭和かが議論される中に、平成が出てくることはほとんどない。失われた30年というのは、その時代が掲げる価値観がなかったのかもしれない。
これから僕らが生きて、何かしらのインパクトを出していくことで、平成の存在感を出していきたい。昭和の象徴である98歳渡辺恒雄さんの訃報を聞き、そんなことを考えた。ご冥福をお祈りいたします。