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映画「セッション」ラスト15分間が大好きな人集まれ
監督デイミアン・チャゼル「セッション」公開の2015年から現在の2022年まで、この作品を見たこの世のすべての人が言っている言葉がある。もう何度も何度も繰り返しみんなが言っているから聞き飽きてるのもわかってる。
それでも、
それでもあえてもう一度だけ言わせてほしい。
「ラスト15分が最高なんよ。」
この世の映画のどのシーンよりも熱い。
ほんとに熱い。
激熱。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
ってくらい熱い。
映画を見た後、こんな感じで叫びたくなる。
決して燃やされたトゲピーの鳴き声ではない。
大好きなラスト15分を振り返りながら語らせてほしい。
ダメって言っても語る。
ラスト15分の始まりのシーンが特に好きだ。
鬼畜パワハラ指導教官フレッチャーに騙され、ステージ上でボコボコに打ちのめされる主人公ニーマンがうなだれて父親に抱きしめられるシーン。
このまま帰るのかと思いきや、主人公の目の色が変わる。
この瞬間から劇的な15分の幕が上がるのだ。
セリフは一切ない。
でも目が言っているのだ。
「このくそやろうが」と。
ここで僕の口角はいつもの10倍あがる。
もうにっこにこだ。
そして映画終了まで二度と下がることは無い。
いや、むしろ上がり続ける。
家で見ていると、エンドロールが終わると同時に、真っ暗なエンディング画面に入る。
すると、どこかの誰かのにやけきった気持ち悪い顔とご対面する。
いつもそこで正気に戻るのだ。勘弁してほしい。
ラストシーンは名曲「Caravan」と映像の小気味良いカットが本当に気持ちいい。
楽譜、ドラムのスティックの先、他の奏者、ニーマン、フレッチャーと、曲に合わせてテンポよく移り変わっていく画面に思わず体も動く。
最初は目で殴り合うかのようににらみあっていた二人がだんだん表情が緩んでいくのも口角アゲポイントの一つだ。
完全に楽しむ方向へ回ったのは、二人の掛け合いのシーンだろう。
時節シーンに映りこむ他の奏者の顔、そして、ニーマンの父。
どちらの表情も、驚きでも怒りでもない。
わけがわからないのだ。何が起こっているのか全く理解できていない。
フレッチャーとニーマンの二人だけが理解しあえる世界に突入してしまったのだ。
一度演奏は終わる。
しかし、それでもドラムを叩くことを辞めないニーマン。
フレッチャーもさすがに止めようとするが、止められない。
いや、止めてはならないと気づく。
主人公も同様、このときにはもう仕返しで演奏しているわけではない。
二人とも、演奏の中に見たのだ。
これだけ相容れず、ぼこぼこにやりあってきた二人の唯一の共通点といっていい、音楽の到達点、レジェンド「チャーリー・パーカー」の影を。
ドラムの音とスティックがスローモーションになりずれていく。
完全にニーマンはゾーンに入っている。
徐々に小さくなっていくドラム音。
少しづつ、
少しづつ小さくなっていき、完全に止まる。
そこから徐々に、
徐々にあがっていくドラム音。
何度も何度もうなずくフレッチャー。
思わず上着を脱ぐ。
最後の最後にスローモーションの中で見つめあう二人。
ここでフレッチャーの口元は見えない。
しかし、頬にしわがよっていることはわかる。
それを見て、思わずフレッチャーに向けて笑顔がこぼれるニーマン。
きっとフレッチャーも笑っていたのではないか。
いつもしかめっ面の彼が見たこともないようないい表情をしているのを見て、自分が一流への壁を確かに破ったことを確認し、ニーマンも笑ったのではないだろうか。
ラストシーン。
最高潮の盛り上がりを迎えたところで、他楽器も演奏に加わり、ニーマンがラストにドラムを叩ききる。
そして、曲が終わると同時にこの映画も終わるのだ。
名門音大に入学したドラマーと伝説の鬼教師の狂気のレッスンの果ての衝撃のセッションとはーー!?[才能]VS[狂気] この衝撃に、息をのむ。
Amazon Primeの「セッション」の概要欄にこのように書いてある。
僕は少し違うと思う。
この映画は、「狂気」VS「狂気」だ。
ドラムの練習で出血した手を氷水につっこんだり、車で事故にあった直後流血しながら演奏したり、ステージで勝手に演奏を始めたり。
主人公も十分に狂っている。
最後に二人で笑いあうシーンは、二人が仲良くなったわけでも、お互いのことを許したわけでも何でもないのだろう。
二人はただ圧倒的な音楽の境地にたどり着きたかった。
そして、たどり着いたのだ。
人間性を捨て去り、ただ最高の音楽を作ろうとするフレッチャーの「狂気」
人生すべてをドラムへと捧げ、伝説になろうとするニーマンの「狂気」
この二つが合わさって。
いやあ、やっぱり最高の15分間ですよね。
映画の中でも屈指の名シーンだと思います。
レビューサイトを見ていると、この「セッション」という映画は、人によって感じ方が大きく異なるみたいですね。
「この映画はJ・K・シモンズが最高なんだよ!」という人もいれば、「痛々しくて見てられない!」という人もいるみたいです。
僕が「ラスト15分最高!」という感想を持ったのは前述の通りですが、それともう一つ。
ニーマンがちょっとだけうらやましいなと思ったのです。
どうしてフレッチャーにぼこぼこにされて、血だらけになってまで演奏するような、見ていて痛々しいニーマンがうらやましいのか?
僕にはニーマンのように、人生すべてを捧げてまで打ち込んでもいいと思えるようなものがまだ見つかっていない。
人生を全振りする何かを見つけていることがうらやましいと思うのです。
きっと一つのことに取り組み続ける人生は、映画ほど極端ではないとしても過酷なものだと思います。
しかし、誰かがまっすぐに一つのことに向かって努力を積み重ねる姿はほんとうにまぶしい。
そして、僕たちの心を動かします。
オリンピックを見て感動するのはなぜでしょうか。
メダルを取った選手が涙を流しているのを見て、思わず見ているこちらもうるっときてしまうのはなぜか。
僕はその人の背後にある血のにじむような、どこまでもまっすぐな努力を肌で感じるからだと思います。
彼らは世界一位を目指して、努力を積み重ねています。
一見努力は自分のためだけのような気がしますが、そうではない。
まっすぐな努力は人を感動させるのです。
この映画のラスト15分も、主人公のこれまでの莫大な努力を見ているからこそ、感動もよりいっそう大きくなるのではないでしょうか。
いつか自分も打ち込めるものに出会いたいですね。今はいろいろやって探し続けるしかないなと思っています。
ちょうどAmazon Primeに来ていたので久々に見ました。
みなさんも是非もう一回見てください。
やっぱり最高だから。
※カバー絵引用元:Whiplash TRAILER 1 (2014) - J.K. Simmons, Miles Teller Movie HD(https://www.youtube.com/watch?v=7d_jQycdQGo)