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「梅雨明け」を、今の自分と交差させると...

近畿地方の梅雨が明けた。観測史上もっとも早い梅雨明けなのだそうだ。

梅雨に入ったときには、じめじめとした長雨にどんよりとした気持ちになったけれど、ここまであっさりと明けてしまったら、何だかちょっと寂しい気持ちになった。

去ったら去ったで恋しい梅雨。おそらく梅雨の戻りがあるらしいけれど、もう少し、しとしとと降る雨のなかをいく時間を味わっていてもよかったのに。
そんな身勝手な思いもよぎる、複雑な梅雨明けだった。

以前から「梅雨」という言葉は妙に気になっていて、よく論文や書籍で言及している。もちろん実際の梅雨ではなく、あくまで”メタファー”としての梅雨、島根の土江正司先生の「こころの天気」というワークに関連してである。『傾聴・心理臨床学アップデートとフォーカシング』という本で、僕はこんなふうに書いた。

体験過程の観点から生まれたワークとして、「こころの天気」が知られている(土江, 2008)。これは、状況についての感じを天気に喩えて言い表すことで、状況について振り返ったり、うまく距離を置くことをねらいとしている。たとえば、ある状況を「梅雨入り」という気象用語で喩えるとき(岡村, 2013)、それは今の状況だけでなく、「しばらく長雨になりそうだから、あまり動かないほうがよさそうだな」とか「雨でも楽しめるものはないだろうか」など、次なるステップを含んでいる。メタファーを展開させてながら、その状況との新たな「かかわり方」も想像されていくのである。

池見陽(編)『傾聴・心理臨床学アップデートとフォーカシング』65頁。

自分のその時の状況、その状況についての身体感覚を、梅雨入りに喩えてみる。”梅雨入り”と、自分の状況を「交差」させることで、つまり、そう理解しようとしてみると、どんな意味が立ち現れるのか、探求してみる。そうすることではじめて、現在の状況のある側面が際立ってくる。

今度は試しに、妙にあっけなくやってきたこの「梅雨明け」を、自分の状況と交差させてみると、その状況のどんな側面が立ち現れてくるだろう。

降るはずだった雨の不在。今の自分(や自分の状況、人間関係など)に足りない「何か、うるおいのようなもの」はないだろうか。

不意に始まってしまった夏の気配。何か準備し損ねていることが、今の自分にないだろうか。

しとしとと降り注ぐ雨を見上げる時間。そのような「留まっていたい」というような時間を、自分は求めていなかっただろうか。


身体感覚は、今はそこには存在しないもの、自分が求めているものを予感している。

突然のこの「梅雨明け」という気象現象を、今のあなたの状況と交差させると、そこにはどのような意味が立ち現れてくるだろうか。そこには、今のあなたに必要な「何か」が指し示されている、とフォーカシングでは考えている。

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