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【ショートエッセー 神戸新聞文芸 202501】長らく食ひ足らぬ物

 ときどき猛烈に食べたくなる食べ物がある。食べたいなら今すぐ食べればいいではないかと思うのだが、作るのが面倒だったり、手頃な値段で食べさせる店がなかなか見つからなかったりで結局食べずじまいになってしまう。自分には縁のない食べ物と結論づけてしまうのは早まっている気もするが、そう言いたくなる食べ物は確かにある。

 その一方、その縁のなさそうな食べ物が自分を支え続けてきた気もする。実は縁が深いのかもしれない。本当に縁がなければ出されても食べたいと思わないだろう。当節四十八、もう今日明日死んでも年相応だと納得される年齢になっている。長らく食ひたらぬ物を今のうちに書き記すのも大事だろうと思う。

【湯豆腐】美味しいことは分かっているし、作り方も難しくないのに作らない。飯のおかずにならないからかもしれない。本当に湯豆腐が好きなのかと呆れられそうだが、つめたい風の吹きすさぶ夜に、昆布だしに浸かったまま白く光っている豆腐を思い出すことがあって、むしょうに食べたくなる。

【八宝菜】酢豚や麻婆豆腐もそうだが、自炊派の勤め人にとって中華料理は、面倒な工程が多かったり特殊な調味料や香辛料を用意しないといけなかったり、結構ハードルが高い。中でも八宝菜は豪気な名前がわざわいして自分で作ろうとは思わない。加えて、八宝菜という賑やかな名前に比べて見た目がどうもぱっとしない。「今晩のメインは八宝菜だから定時に上がります」とときめくひとなんているんだろうか。八宝菜の材料をそらで言えるひとなんているんだろうか。美味しく、栄養バランスもよく、料理には何の落ち度もないのに、地味なのがたたって中華丼にお株を取られてしまって注目されない。人間でも八宝菜みたいなひとは結構いそうな気がする。

【冷凍ドリアン】十五年ほど前、果物専門店で冷凍ドリアンが売られているのを見て、ほう、ドリアンねと買って食べてみた。実家で解凍して真空パックを開けるとそれはもう強烈な匂いで、家族からこんな臭いものは二度と買ってくるなとものすごい剣幕で怒られた。果物の王様と言われるのにふさわしい、甘く濃厚なクリーム状の果肉だった。わたしはドリアン特有の硫化物様の匂いは比較的平気だが、葱や玉葱の匂いが嫌いなひとにはドリアンの匂いは地獄だろうと思う。

【クジラの竜田揚げ】小学校の給食でたまにクジラの竜田揚げが出た。噛み応えのある肉だったが味は覚えていない。今思えば、玉葱、ピーマン、素揚げのじゃがいもも入っていて、なかなか豪華だった。自分で作りたいとまでは思わないが、出されたら絶対食べるだろう。そして昭和の頃を懐かしく思い出すだろう。

 長らく食ひ足らぬ物を書き出してみて、たいていのものは何だかんだ複数回食べていることが分かって意外だった。それだけ中食や外食が発達しているということなのだろう。案外いい時代なのかもしれない。

(終わり)

※この作品の著作権は作者(本木晋平)にあります。無断での引用・転載・複製は固くお断りします。

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