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お金で回る世界、ギフトで回る世界。
お金で回るのか、それともそれ以外のモノ(=ギフト)でまわるのか。
所有なのか、共有なのか。
これは二元論でもなく、極論同士の突き合わせでもなく。
両輪だろうな、と常々思っていた。
玉ねぎのことを通じて、それを改めて気づいたので、書いてみる。
玉ねぎチャレンジ(玉ねぎトレイル)をしていて。
最初はあくまでちょっと配るだけ、だった。
これがどんどん拡大していったわけ。
で、配る注文を受けながら感じたことは。
玉ねぎを買うとすれば、それはその人のもの、という意識が強まる。
でも、これがもらったものだとすればどうだろうか?
もちろん、自分で食べてもいい。
ただ、買ったもの以上に、誰かに贈りやすくなる。
そんな気がしないだろうか?
買ったもの以上に、もらったものの方が、あげやすい。
そんな原則があるのではないか、と考えた。
所有、というか、
金額を極限まで釣り上げていくコンサルタント。
共有、というか、
お金を全く決めずに、ギフト制で循環させていくリトリート企画者。
どちらにも触れてきた。どちらにも哲学を学んできた。
(彼らが教えてくれた、というよりは、勝手にそう学んだ、という感じ)
それに加えて、学生時代に
「収益事業」と「公益事業」を両輪で回す
ということも教えられてきた。
お金になることをすることは大事。
それは「お役立ち料」だから、とかいう精神論以上に、
現実を豊かにしていくには必要だから。
ただ、お金になっていないことに、
お金の補助輪をつけることで、前進させる力をつける。
そんな瞬間も大事じゃないかな、と思ってはいた。
それを改めて、
玉ねぎを通じて、両輪を回す意識を、持ったのかなと思う。
医療に関連する仕事で収益を作りつつ。
そのほかのことで公益に貢献する。
ということは、やりようがあるんだろうなと。
もちろん公益が医療に関連するものかはわからないけど、
何か未来につながるものであれば、とは思う。
ということで、
お金で回る世界と、ギフトで回る世界を、
両立させていくように、これからもまた進んでいこう、
と思うのでした。