【無職】
ご存知の方も多いですが、
僕は『40歳無職です』
https://note.com/shimox/n/n366d42135e9c
無職になった経緯は、↑こちらをご一読頂けたら幸いです。
薬局を辞めたのが、2021年12月11日
12月12日からは晴れて『無職新人 下楠薗康司』
となりまして、派閥や会派に属すことなく、
新人として肩書きに恥じぬ活動に粉骨砕身で
臨んでおります。
明日で、ちょうど1ヶ月です。
お題も頂戴しましたので、この1ヶ月を、時系列に沿って振り返ってみようと思います。
12日(無職初日)
平島棟梁に誘われて、三瀬の山間でアースバッグでの建築をしているという山ちゃんの元へ。
山ちゃんは、約20年にわたり、山の中を整備し、家を建て、増築したり、建て替えたり、と、サラリーマンを続けながらやってきた方。
棟梁から『サイボーグ』と聞かされ、断片的な情報だけで、魅力的な山ちゃんの元に、無職初日にして会いに行けることになった。
山ちゃんとの出会いから、僕が受け取った感情を、言葉にするのは難しい。
なんて言ったらいいか言葉にならない感動があった。
ただ、たしかなことは、無職初日に、山ちゃんに出会えて良かった。という多幸感がありました。
(棟梁には感謝しかない)
山ちゃんに会い確かな感動を持ち帰り
代わりに三瀬エリアの汲み取り式トイレに片靴を奉納して無職初日を終えました。
13日
龍星と九州大学病院へ
特に大きな病気というわけではないけど、口腔内に問題があり、九州大学病院で治療をすることに。
大病院の診療は、基本的に平日。
無職が早速活かされた日になった。
もちろん、働いていたとしても、企業勤めなら有給休暇、自営業にしたって臨時休業をすればいい話だけど。
薬局での5年間は、休みらしい休みはなかったので、新鮮な気持ちで過ごした。
14日〜15日
この一年、週に一回は訪れていた雲仙へ
平日の昼間に滞在するのは初めてだった。
つい癖で、着いたら何をしよう。みたいなことを考えそうになるが、2日目の朝には前日に考えたことなど、どこふく風で。惰眠を貪ったり。
昼間に、スマホで、オンラインミーティングに入ったところ
『無職をサボるな』と怒られた。
ストイックに無職しよう!
と心に誓った無職4日目
16日
福岡に戻り
薪を貰いに行き
薬局で頼まれごとをこなし
うきはに移動して
翌日からのアースバッグ作業のため棟梁に会い
新たなコワーキングスペースへ行きみっちゃんと話をして
鳥栖に戻りワクチン2回目
(あれ?時間足りてない?と少し思う)
17日〰19日
アースバッグクリエーション
7月に作ったファイヤーピット&ベンチ
に続き、カフェテラス&ステップの製作
3日間、合計10名が作業にあたり、ステップの躯体並びにテラスの基礎になる2段を製作した。
前回も、金土日での開催だったが、僕は1日程度しか関われなかった。
今回は、晴れて無職(新人)として参加。
アースバッグでの製作はもちろんながら、うきはに集う人々と作業を共にし、話したりする中で、
『あぁ、僕が目指す生き方は、この『今』なんだろうなぁ』と。1人感慨に耽ったりしていた。
20日 龍星再診
21日 子どもの居場所研修
22日 子どもの居場所250回記念&クリスマス会
(年内最後)
23日 ここてらす地域説明会
24日 ちぐさ弁当&るーこぼんに、昼間からたむろ
夜はダンスイベント鑑賞
25日 雲仙にてmacciの活動サポート&準備
26日
2回目となる『ファミリーコンサート』を実施した。
前日から寒波が発生。
天候は味方しなかったけど、
macciのたくさんの味方を目撃した。
macciは僕のパートナーでありダンサーだ。
彼女は、雲仙産まれ、2年前に雲仙へUターンした。
そこから、驚くスピードで、人脈、活動、スクールを拡大させてきた。
パートナーだからではなく。
1人の人間として、尊敬、羨望、憧れ、ありとあらゆるポジティブな感情を抱いています。
彼女に会えば、きっとわかってもらえる。
12月のファミリーコンサートは、一時中止も考えた。そんな僕の迷いをmacciが断ち切り開催。
結果、開催して良かった。
(毎月やっていきます。協力者大歓迎です🙇♂️)
27日〰1月4日
ジョージア国🇬🇪へ
(詳細はジョージア体験記🇬🇪にて)
※近々書きます
4日〰現在
帰国者として
オミクロン濃厚接触者として
絶賛隔離期間中
ついたあだ名は。
『オミクスゾノ』
『のうこうじ』
『電波を持った囚人』
『ブロイラー』
みんな!オラにコミニケーションをわけてくれ!